どーなつを食べたら

子どもがかわいい、となかなか思えない。

道行く子どもはかわいい、道行く犬も猫も、ゆっくり海辺を歩くおじいちゃんもおばあちゃんも、かわいい。でも、自分の子どもをかわいいと感じることがない。それが今年に入ってからのわたしの悩みだった。

造形はかわいいと思う。動きも様子も。けれど、2歳になった頃から子どもの存在をかわいいと感じられなくなって、変だなと思ってた。そして先週やっとわかった。子どもといると痛いのだ。子どもと接すれば接するほど自分の人間としての至らなさ、過ち、心の狭さが痛いほど見えてきて、かわいさより自分の愚かさが目につくし、自分の愚かさを子どものせいにしたくなっちゃうしで、心があっちこっちへ向かって、忙しくって疲れて。嫌なわたしになっていることもわかってて。

ああでも、iPhoneの写真アプリを開くと、一週間前の子どものあの表情はかわいかった。わたしも多分、かわいいと思って撮った。
子どもが描いた家族の絵も、そんな絵を描く子どもがむっちゃかわいくって撮ったんだきっと。

子どもをかわいいと思う自分に慣れきって、その感情のちょっとの起伏さえ記憶に残らないほどに、わたしは子どもがかわいいのかもしれない。かわいい、の感度が鈍ってるのかも。

もしかしたら、かわいいって気持ちはドーナツにまぶした粉砂糖みたいに、簡単に溶けちゃうのかもね。食べたらじゅわっと甘くても、目に見えない。食べ終われば手はべとべとしてヤな感じで、そこには不快しか残らない。

慣れきって忘れてたあの重い甘さを、今なら文字にできるかもなぁ。文字は、記憶だもの。

ドーナツを食べたら、べとべとの親指と人差し指をぺろりと舐めてしまえ。

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高柳しい

海から来ました。(エッセイ)

エッセイと写真。
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