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教養を身につけた先にある文化

めーっちゃ久々なnotoな気がする。

というのも、日々感じたこと・考えたことは記録として残しておこうといつも思ってはいる。

でも思っているだけだった。

ただ最近はまた文章を書くハードルが下がってきているし、ちょうどまだ眠くないから忘れないうちに残しておこうと思って夜中にパソコンをパチパチしている。

うまくまとめれる気もしないけど、自分の頭の整理が目的なのでとりあえず書いていこうと思う。



友人がYouTubeをやっていて最近こんな動画を上げていた。

普段仲良くしている友人だけど、自分のビジョン的な話まではしないから、
「へー!こんなこと考えているんだー!」と感心したと同時に、自分ごととしても考えてみた。

「はて、自分自身は今後何をしていきたいのか?」

今はチームとして大きな目的に向かっていたり、シェアハウスもやっている。

でもそのチームの目標はあくまでチームの目標であって、個人の人生レベルとは別になってくる。

じゃ個人レベルで考えた時に、先述の友人の動画を見て思ったのは、大きなテーマとしては「教育」かなと思う。

シェアハウスもそこに少なからず繋がってくる。

そもそもシェアハウスを始めたのは、前住んでいたシェアハウスでの生活が楽しくて「自分でもこの空間を作ってみたい!」と思ったのがキッカケになる。

そこから2年くらい続けてきたけど、色々見えてきたこともある。

まず、思ったより世の中ポンコツな大人が多い。

このポンコツという表現だと語弊があるかもしれないので補足しておくと、当たり前のことを当たり前にできない人が多い。

シェアハウスでの生活で言えば、
「玄関で靴がバラバラだったら揃える」とか
「シンクに洗い物を溜めない」とか
「トイレットペーパーがなくなっていたら補充する」とか
「先に寝ている人がいるのなら気を遣ってテレビのボリュームを落とす」とか

これらのことは一人暮らしをしていたら勝手にしてくれという感じだけど、他者と生活をしているのだから僕からしたら”当たり前”のことだった。

でも、それできない。

まずはそれに愕然とした。

会社では上司として後輩に仕事を教えたり、指導する立場の人間であっても一歩外の社会に放り出されたらこんなものなのかと。

この時点では、”当たり前”ができないのは「思いやり」や「優しさ」が足りないからだと思っていた。

だから「ここは一人暮らしと違って他人と生活しているから、もっと相手の立場になって物事を考えよう。仮に自分が帰ってきて玄関に靴が散乱していたら嫌だよね。もしそうなら他の人もそう感じるはずだから靴は並べよう」みたいな伝え方をした。

それを繰り返していくと徐々にその価値観が伝わって目に見えて変化が現れた。

でも、ある人は変化があってもある人はそうではなかった。

この時、僕は「それは伝え方が悪いからだ」と思っていたから、言葉選びや伝え方を試行錯誤した。

それでもまるで変化がなくて「なぜなんだ・・・」と考えたりもしたけど、今になって思うのは、あくまで”僕の当たり前”であって、その人の当たり前とはかけ離れていたんだなということ。

考えてみればそうなんだけど、生まれた場所も違えば関わってきた人も違うし、育った家庭でのルールなんかも違ってパーソナリティが異なることこそが当たり前だ。
今に至るまでの環境が全く違うんだから僕にとっての”当たり前”を理解できるはずがない。

無理な押し付けになっていたかもしれないから、反省点である。

そこに気づいたから最初の「ポンコツ」と言う表現は撤回する。

(一緒に話していた友人からは「その人の良いところにも目を向けれないと自身の成長もない」なんてことも言われたし、改めて他者へ対するリスペクトを持たなければなとも自分に言い聞かせている。)

ポンコツなんて言ってごめん!!笑

ただそれを踏まえるにしても、正直「思いやり」や「優しさ」で解決できる問題なのではないかとは考えてしまう。

ここで僕が「靴は並べよう」「シンクにものは溜めないようにしよう」とかルールとして明文化したら”管理”という観点で言えば楽ではある。

ルールを設けた時点でそれが正義になるから、ルールから逸脱したら悪で制裁やペナルティを与えればいい。

でも個人的にはそんなルールによって秩序が保たれた世界はなんか寂しさを感じてしまう。

もうちょっと深掘ると、盲目的にルールに従う世界は望んでいない。

ルールが存在するにしても「なぜ?」までを考えているか。

信号だって車が来て危ないから事故を防ぐために【青=進め、赤=止まれ】という決まりがある。
それを盲目的に【青=進め、赤=止まれ】の部分しかみていない人が多すぎる。

「人は殺したら捕まるから殺さない」ではロボットと同じじゃないか。

国家単位で見たらそのルールが法律であって秩序を保つために必要不可欠とは言え、もうちょっとその存在意義にまで目を向けてもいいのかなと思う。

だから「想像力」や「思考力」を養ってほしいと思うから、先ほどのちょっと周りくどい伝え方になっている。

そしてルールのみによって管理される殺伐とした世界ではなく、「思いやり」や「優しさ」のもとで秩序が保たれる世界が理想ではある。

ルール以外の判断軸を持った人々が集まれば、その先に文化の創造があると思っていて、そこを目指したいなと思っているからシェアハウスもやっている。

とは言え、なかなか無理難題だともわかっているから、ルールも取り入れつつ文化を創っていくというのが重要だったりもするし、そもそも人によって当たり前が違うということや脳みそのタイプが違うことなどを理解した上でコミュニケーションも取らないといけない。

まぁそこら辺を楽しいと思えるから、多少なりとも向いているのかなとは思うけど、その前にもうちょっとビジネスとしても成り立たせないといけなかったりするから、課題は山積みである。

ま、そもそもシェアハウス以外の手段かもしれないけど、そこは一旦置いておく。

そして最初の「教育」というテーマに戻るけど、どちらかというと「教養」の方が近いかもしれない。

「教育」という言葉の意味をちゃんと理解できていないから何とも言えないけど、教育によって得た知識を成熟させ、社会で渡り歩いていくための本質的な教養として身につけてほしくて、その過程の中で「思いやり」や「優しさ」で成り立つ文化の創造を目指すといった感じ。

言い換えたら文化の創造のために教養を身につける、かな。

そしてそこを目指す理由としては、血は繋がっていなくても家族といえる存在を増やしたいというのがあるし、もっと言えば一人は寂しいからそういった存在が欲しいのかなとも思う。


てな感じで今の解像度はこれくらいだから、一旦記録に残しておこうと思う。

こう書いてて思ったけど、やっぱり人に話したり書くことで自分自身でも頭の整理が新たな気づきがあるから、また気が向いたら備忘録的に残していこうと思う。

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