見出し画像

僕が、1年で仕事を辞めた理由。

イシダイです!
このコロナの影響で家にこもっていたせいで、考える時間が増えた事もあって、逆に病みそうになった時期もありましたが、なんとか生きてます(笑)
でも、この期間だったからこそ、自己内省するキッカケにもなったし、このnoteのタイトルについても少しずつ言語化できてきたので、ポジティブに捉えています。



さて、タイトルについてですが、
結論からいうと、

「理学療法に興味がなかったから」

です。

え、お前理学療法士やろ?は?と思われる方もいると思うので、

このことについて話していけたらと思います。



元々、理学療法学生時代から、資格を取ったあと就職するかどうかも悩んでいました。

二十歳の春に初めて一人で旅に出て、そこで色んな場所や人に出逢って、
「こんな自由な生き方もあるんだ」
と、思ったことがキッカケです。

そこから、行動的になったな〜とも自負していて、更に色んな人と出逢って、色んな価値観に触れて"ワクワク"してきたんです。

「世界に旅も行ってみたい」
「理学療法士以外の世界も知りたい」

なんて、色んな事を思うようになって、就職するかも悩んでいたんです。

そんな気持ちでなんとなく臨んだ就職説明会で、前職場の上司の、
「患者さんにハッピーになってもらう為には、まずは自分たちがハッピーでいれるように」
という言葉で、ここだ!と思って、なんだかんだ就職する道を選びました。

そして、自分でも、
「就職したら楽しくなって、3年くらいは落ち着くのかな」
なんて思ってましたが、結局は1年で辞めちゃった訳です。

そこで、

「理学療法そのものじゃなくて、"人"が好きなんだ」

と、気付いたんです。

そもそも、学生時代は定期試験や国家試験という明確な目指すべき数字があったから勉強にも取り組めていたんですが、徐々にそこに対して意欲が薄れていきました。

それがちょうど旅に出た後くらいからです。
果たして、自分が本当にやりたいことは理学療法士なのか?と考えた時に、どこか違和感を覚えるようになったんです。
学校での成績も分かりやすいように、下がっていきました。

実際に就職してからも、理学療法の知識や技術を高めたいとも思えませんでした。

理学療法に対して、
「ワクワクしなかった、興味が沸かなかった」
んです。

まだ、目の前の患者さんがいたから、なんとかやれていましたが、
患者さんに関わる事以外は勉強しようだったり自己研鑽しようと思えなかったんです。

医療者対患者の関係性じゃなくて、"人対人"として接したかったんです。 

何気ない会話の中で笑顔になってくれたり、
ご家族が来てくれた時に、普段以上の能力を発揮出来たり、
そんな姿を見ていると、もうこれって医療の力ではないと思うんですよ。

医療においては、知識や技術を高めて質の高いものを提供する、研究してエビデンスを創り上げることも、もちろん必要だと思います。
でも、これはやりたい人がやればいいと思うんです。

僕は、そこに対して興味が持てなかった。

それよりも、
「医療の枠を越えたところで、幸せを感じてほしい
と思ったんです。



資格職はその資格を仕事にしないといけないんでしょうか。
その資格自体に興味を持たないといけないんでしょうか。
常に意識高くいないといけないんでしょうか。

僕は、そうは思いません。

資格職、特に医療系の資格にいえると思うんですが、
大学や養成校に入る時点で、明確な目的があってその資格を取得した人は、その資格が強力な武器になると思います。
でも、なんとなくで進路を選択した人は、逆にその資格があるが故に、人生の幅が狭まってしまっているような気がするんです。

僕の勝手なイメージですが、おそらく半数くらいの人は、なんとなくなんじゃないでしょうか。
僕自身も、高校の先輩が理学療法士の養成校に行っていたからなんていう、なんとなくな理由です。

医学部だと6年、リハの養成校でも短くて3年は国家資格を得るまでに時間を要します。
その資格を得る為に、多大な時間とお金を費やします。

だからこそ、資格を取ったからには、それを職として歩んでいくというのは必然的な考えかと思います。

また、資格を取った上で他の事をやるなんて言っても、
「せっかく取った資格なのにもったいない」
なんて事も言われたり、世の中からも中々理解されにくく、
もし違和感を感じていたとしても、なかなか言えないものです。

そもそも、医療は誰かの為になる事ですから、奉仕の精神を持った優しい心の持ち主が多いと思います。
せっかく誰かの為になる武器を持っているのに、それを放棄するなんて…と、どこかに罪悪感を抱いたりするはずです。

でも、ワクワクしないものにはワクワクしないし、
興味ないものには興味ないんです。

この感情に気付くのに、学生4年間+臨床1年間と5年も要しましたが、この期間は全く無駄だとは思っていません。
この選択をしてきたからこそ出逢えた人がいて、今までの選択の繰り返しの末に今の僕がいるからです。



【理学療法士”として”生きていくか、理学療法士”でもある”自分なのか】

僕が常々言っている事ですが、目的なのか手段なのか。

幸せを感じてもらう手段の1つに理学療法士というものがあるだけです。

しかし、僕も手段の1つといいつつも、せっかくの資格だし、なにか理学療法士を活かしてやらねばと、理学療法士を中心に考えていました。

でも、そもそも理学療法にワクワクしていない、興味がないという事に気付いたので、どこかに違和感があったんですよね。

意外と僕も囚われていたんだなと思ったんです。  



こんな事を言ったら、
「そんな心構えのやつが理学療法士を名乗るな!」
なんて、総攻撃される覚悟で言いますが、

正直今は"お金を得るための手段の1つ"くらいの感覚です。

資格があるっていうだけで武器にはなるし、人(特に高齢者の方)と関わるのは好きだし、ゆる〜くでいいんです。

別に理学療法士が嫌いな訳でもないですし、"できる"を増やす素晴らしい仕事だと思っているからこそ、僕は臨床にいるべきではないなと思ったんです。

でも、人が好きという想い、幸せを感じてほしいという目的は変わらないので、
僕という人間がいて、その周りを取り巻く強み・武器の1つとして理学療法士があって、活かせそうなら活かすくらいの考えです。



でも、自分でも理学療法士以外に何があるんだ?と言われたら、それが分からないんです。

医療に携わっているけど違和感を感じている人でも、
本当は何かやりたいんだ?と考えた時に、
僕と同じように自分でも分からない人は多いんじゃないでしょうか?

でも、それって当たり前の事なのかなとも思うんです。

多くのそのような想いを抱いた人は、今まで医療しかやってきていないので、他の事にあまり触れていないので、
そもそも自分が何に興味あるのか、何がやりたいのか分かりづらいと思うんです。

選べる武器が医療という剣しかないので、それを使って戦うしか選択肢がないんです。
弓だったり槍、他の武器を持っていないので、剣を使うしかないんです。
でも、自分は剣使いじゃないなと思っている。
じゃ他の本当に自分にあった武器を探しに行こうよ!
それを探す冒険に出ようよ!
冒険の中で、たくさんの仲間と出会うだろうし、苦しいこともあるかもしれないけど、その分"ワクワク"もたくさん待っているはずです。
最強の剣使いもいいけど、色んな武器を使いこなす主人公も面白いじゃないか。
たとえ使わない武器があったとしても、それを得るまでの冒険は無駄にはならない。
そして、色んな武器・強みをもった仲間が集まって、同じ目的に向かって進んでいく。
ひとつなぎの秘宝を求めるアニメみたいに。
"ワクワク"するじゃないですか!



とはいえ、様々な理由があったり、誰もかもが冒険に出れる訳じゃないことも分かっています。
出なきゃいけないとも思っていません。

でも、出たいなと思っている人がいることも感じています。

じゃ僕が冒険に出ればいいじゃん。と思ったんです。

医療の資格をもっているけど、こんな自由な生き方もあるんだよって言えて、1番説得力があるのは、
僕がそんな生き方をすることだと思うんです。
僕が僕"として"生きることだと思うんです。

それで、冒険に出る一歩を踏み出せる人がいたり、たとえ出なくても勇気を与えられたりしたら、最高じゃないですか。

僕の勝手な冒険が誰かの為になってる。

といいつつも、誰かの為ってのは+αくらいで、

あくまで自分の為

自分のやりたいことやって、

自分に自信が持てて、

毎日楽しくいたい。




やっぱりは"自己満"なんですよね。

サポートして頂いたその優しさは、他の誰かのサポートに使わせていただきます!