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【自己紹介】40歳で公務員を辞めました。

家族5人を養う私が、40歳の節目で決断した依願退職。公務員の安定した収入、優遇された福利厚生を捨ててまで手に入れた【個人事業主】としての活路を、自己紹介を兼ねて紹介します。


1 人物紹介

基本情報

・名前
 
石田 圭史(いしだ よしふみ)
・生年月日
 1982年5月22日(41歳)/ ふたご座
・出身地
 茨城県石岡市

すき / にがて

・すき
 →サーフフィッシング
 →インラインスケート
 →読書
 →創作活動
 →掃除
 →子どもとの共有時間
 →料理
 →ラーメン山岡家

・にがて
 
→高圧的なひと
 →嘘偽り
 →カビ
 →花粉
 →暗いニュース
 →自分の時間を奪われること

経歴

・大学中退
・パチンコ屋店員[2年]
・釣り新聞編集者[4年]
 →副編集長
・陸上自衛隊[16年]
 →部隊格闘指導官
★個人事業主[1年目]

現在の事業紹介

・エアコンクリーニング(4~7月)
・トラックドライバー・フォークリフトオペレーター(8~10月)
★鳥インフルエンザ防疫業務(11~3月)
・クロス張替え
★Webライター
★電子書籍出版
・業務委託

★が現在のメイン業務です

2 現在に至った経緯

過酷な業務

陸上自衛隊で16年間勤務をしていましたが、40歳を迎えた年に退職をしました。理由は、がんじがらめの環境に疲れて体調を崩してしまったからです。

自衛隊という組織は基本的に命令を受けて行動をします。命令にもたくさんの種類あります。
例えば射撃訓練をするといったときには、下記のことをやります。

・計画の立案
・場所の調整
・日程調整
・参加人員の調整
・使用弾薬の請求
・救護隊員の同行支援依頼
・射場までの移動手段……etc.

全部書き起こすと大変な量になってしまいますので割愛します。

ひとつの訓練を行うのにさまざまな計画と見積もりを立てて実施をします。そして、訓練参加部隊に対して文書として行動を示すのです。
 
文書作成にも膨大な時間を費やします。文書を起案したら班の上司、関係する部、所属長といった立場の人に合議あいぎをしてもらい、最終的に決裁責任者から決裁をしてもらいます。終わったら正規文書として発簡をするのです。

計画立案~文書発簡まで、とても1日では終わりません。

ですので、休日出勤も当たり前。終わるまでは使命感を持って仕事に取り組んでいましたが、途中からは「なんでこんなことをやっているのだろう」などと思い始めるようになりました。

ガマンの限界

貴重な休みがサービス出勤で終わったときなども多々ありました。そんなときは毎回、子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになるのです。

家族がいる自衛官として働くと、いくつか犠牲となる部分があり、妻や子どもたちに負担をかけてしまうことがあります。

・災害派遣などで長期不在になる可能性がある
・部署によっては朝早く、夜遅い
拘束時間が長い
・危険な訓練などでケガや事故にあう可能性がある……etc.

 私が一番イヤなことがムダに時間を拘束されることで、以下のようなことが多々ありました。

・訓練期間は当然のことながら、訓練前後も普段の業務+訓練準備も行うので帰宅時間がとても遅い
・終礼で全員が集まらないと解散できないムダな待機時間がある
・先輩や上司の休憩時間に付き合わせられる
・宴会が多い
・月に1回以上特別勤務(半週当直か24時間警備)がある
・駐屯地で異常があった場合、その異常が解除されるまで完全閉門となり出入できなくなる
・関東で震度5強以上あった場合、情報収集のため自動出勤
 
これ以上書くと愚痴ブログになってしまうので終わりにします。

このようなことで家族との時間が減り、ギクシャクした感じに・・・。
家庭環境と仕事の調和が取れなくなると、肉体と精神が少しずつ崩れていきます。
そして、2年ぐらいガマンしていたら体調を崩して入院することに。その前からもちょこちょこ休む傾向にありました。前兆があったのですが、仕事優先の考えだったので気にしないようにしていました。

入院期間中

自分と向き合えるいい時間でした。

そして、退職について本気で考えるようになったのです。

入院時間を活用して、自衛官を辞めたら何の仕事なら家族を養えるか必死に模索しました。本を読んだり、ネットで検索してみたり。

ようやく辿り着いたのが個人事業主としての生き方です。

私には独立するための知識や度胸など全くありませんでした。しかしながら、調べれば調べるほど興味が沸き《私でもできるかも》という希望的観測が生まれ、日に日に活力を取り戻していくようになったのです。

2ヵ月の入院期間中に、引継ぎ計画、退職への段取り、個人事業主としての事業内容、開業時期などを取りまとめ行動に移しました。

退院してから退職日が決まり、残された時間の中で自衛官として、そして個人事業主として、課題をこなしていきました。

退職後

たくさんの人に迷惑をかけましたが、最終的には円満な形で退職日を迎えることができました。
 
早速、開業に向けての準備に移行します。メインとなる事業はエアコンクリーニングを選択。エアコンクリーニングの中でも完全分解クリーニングと言われる、最上位の洗浄方法を生業なりわいとするため、大阪で発祥された企業様に講習をお願いしました。

完全分解クリーニングとは、設置してあるエアコンを取り外し、徹底的にバラしてから部品ごとに洗浄、乾燥させてから組み立て、再び設置するといった手間がかかる分、めちゃくちゃキレイになるクリーニングになります。

完全分解クリーニングは掃除できない場所もキレイにすることができる唯一無二の方法

講習修了後は開業日に向けて、怒涛の準備期間に入りました。
・地元に戻るため住居の引渡、引越準備
・事務所の契約
・ホームページ、名刺、チラシ作成
・業務車の購入
・賠償責任保険への加入
・税理士さんとの契約
・地元商工会への入会……etc.

目を引く業務車を購入しました

朝から晩まで準備準備の毎日。
法に触れてないか? これで大丈夫か? 調べて、勉強して、また調べての繰り返し。モレがあるんじゃないかと心配でしたが、潔く腹を据えて開業日を迎えました。

3 ISHIDAYAいしだや開業

このISHIDAYAが私の屋号になります。
2023年5月21日にオープンしまして、さまざまなお仕事をさせていただいております。

仕事に対しての私のモットーは

「仕事は楽しく、徹底的に」

です。

入院中に考えました。考えたというか、私が願っていたことになります。
ですので、名刺の裏にはこのひと文を刻み込み、相手に私のスタイルを知ってもらうようにしています。

私のモットーを名刺裏に書き記しています

隙間時間を活用して、20年前編集記者だった頃のスキルを思い出しながら、拙い文章ですが執筆活動を行っております。このブログを立ち上げたのも、私の文章力向上とライターとしての知見の場とすることが目的です。

現在は体調もすっかり良くなり、毎日楽しく、やりがいを感じながらお仕事させてもらってます。

以上で自己紹介を終わらせていただきます。

ワーゲンバス風業務車1号

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