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神話の転用

モノ=記号
人は、物に意味を付けるため、対象とする物に関する知識を得、メタファー(隠喩)としての意味を物に与える。そうして、物は何らかの記号と化す。と言った主旨の「消費社会の神話と構造」を70年に発表したのは、フランス人の社会学者ジャン・ボードリヤールです。
タイトルからして、レヴィ・ストロース的ですが、未だ若かりし頃、人々のライフスタイルを、ある価値軸で分類しつつ、「いるいる、こういう人」「そうそう、こういう人ってこうだよね」と言ったリアルなマーケティングの手法に活用した事を思い出します。

差異化
例えば、この本では車を挙げています。車の普及が大衆化した当時、自らの権威や社会的階層を直ちに表したいとする記号としての大型高級車(オレオレ系?)ではなく、敢えて2CV(フランス・シトロエン社の農作物を載せることも出来る廉価な大衆車、みにくいアヒルの子とも称された今では味わい深い車)を選ぶことは、他の人と異なるアンダーステイトメントな自己アピールに、その人の教養やセンスを記号として盛り込む意味を持ち、暗に何らかの社会階層を表したい、手の込んだハズシの記号使い(こなれ感を目指
すナルシスト系)でもある、と言った旨の内容があります。(オレオレ系、ハズシ、ナルシスト系等とはボードリヤールは言っていませんが)
ファッション誌のコーディネートコピーには、今でも、このこなれ感がクラス感を出す、と言ったコピーが目に付きます。2CVの例と同様な意味に思えませんか?
私達の世界は、今でも、呪術的な神話の世界を引き継いでいるのです。 (オレオレ系もナルシ系も、この面では同じなのです)         但し、この神話づくりは、他の人との違い、差異化のためのものなのです。
差異化は、時に、イヤらしい選民的意識やエリート意識に繋がります。

こんなハズでは
本来、「消費社会の神話と構造」は、モノ=記号の背後に、マルクスの商品論が控え、これをモノに限らず社会全体に拡げた所に特徴がありますが、 あらゆる財やサービスが差別なく普及可能となったはずの社会なのに、今度は他者との差異化のためのシステムが社会を覆うようになった事への批判的なものなのです。
やがては、普及可能な財やサービスが受けられない人が、差異化の果てに出現する、警告の書だと思っていました。また、資本主義を消費から捉えたものであり、マーケティングに活用される事は本意からは皮肉的なことです。人間たらん、人間の抱えた矛盾への思想の書と思っています。

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