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『ウルトラマンZ』は現場で働く大人たちの99%の頑張りと1%のウルトラマンでできている

『シン・ウルトラマン』はまだ見てないけど、『ウルトラマンZ』を見た。
なぜならツイッターでみんなが『ウルトラマンZ』でワイワイしていたからです。みんながワイワイなるとホイホイ見たくなる性質をしています。
そして今、ホイホイ釣られて良かったと心底思っている。

まず最初に断言するが、自分は特撮に疎い人間だ。最後に観た特撮映画が昨年の大阪アジアン映画祭でオンライン上映された『関公VSエイリアン』というレベルで特撮に疎い。
ウルトラマンの思い出は園児の頃に『ウルトラマンティガ』の総集編を収めたビデオを狂ったように見ていたのと、『ウルトラマンコスモス』の主演俳優が逮捕(後に冤罪と判明)されて「はえー」と思ったくらいだ。
仮面ライダーも戦隊シリーズもウルトラマンもちゃんと見ていたのだが、今日まで続く「面白い話を一週間も待つのが死ぬほど苦痛」という性質によって早々に特撮ヒーロー離れをしていったと記憶している。

大学生になってからは興味本位で仮面ライダーエグゼイドにエキストラとして参加したり、たまたま仮面ライダーアマゾンズの変身シーンの撮影現場を目撃したりと何かと縁があったが、それでも鑑賞に至ることはなく今日まで過ごしてきた。
仮面ライダーエグゼイドは撮影中に主演俳優の人に微笑みかけられ「オッ♡」となり見る寸前までいったが配信が無かったので観賞にまで至ることはなかった。

別に「特撮は子供が見るもので、大人が見るのは恥」などという化石みたいな価値観を持っていたわけではない。じゃあなんで特撮を見なかったかというと「見たい」と思った時に仮面ライダーエグゼイドが配信に無かったように、タイミングが合わなかったとしか言う他ない。
だが、時は来た。なぜならツイッターでみんながワイワイしていたからだ。そして大抵の場合、ツイッターでみんながワイワイしている作品は見た方がいい。なぜならツイッターでみんながワイワイしているような作品は面白いからだ。
硬派なオタクを気取って「あの作品はオタクが騒いでるから見ない」とか言って大衆に流されない自分を演出するわりに一次的に面白い作品にアクセスできるほどアンテナが高くないと結果的に自我が大衆によって形成されているオタクになってしまうので、例え他人の意見に流されようとも面白い作品を見る方が良いはずだ。
というわけで感想。

感想

ウルトラマンがカラテをして巨大ロボットがロケットパンチして怪獣が爆発したりするドラマが2クールやってる事実がまず滅茶苦茶やばい。
特撮に慣れ親しんでいる人には今更なことかもしれないが、冷静になって欲しい。ウルトラマンが巨大怪獣とカラテして巨大ロボがロケットパンチしているんだぞ? それがお茶の間に流れているとうことの重大さを改めて認識して欲しい。超やばい。
しかもそれを毎週やってのるが滅茶苦茶すごいし、酒を飲みながらゴジラVSコングやモータルコンバットを見てケラケラ笑うような連中のためではなく、子供のために作ってるのもやばい。
子供は毎週ウルトラマンZを見てMEMEにウルトラマンとロボットと怪獣のタトゥーを刻むわけだから、凄まじい情操教育がここで行われている。

ウルトラマンZはデカくてヤバい

今更なことかもしれないが、ウルトラマンはデカくてヤバい。
ウルトラマンZはちょっとおかしなキャラクター性をしており、普通にめちゃくちゃ喋ったりするがウルトラ兄弟物語を読んだことあるのでそこは特に気にならない。
普段はめちゃくちゃお茶目なのに人類が手に余る兵器を手にしたことに対するリアクションが「良いんじゃないか、別に……」でフツーに超越者だったりするウルトラマンだ。
しかし戦闘スタイルがカラテだったりヌンチャク振り回したりするのはどうみてもおかしい。ヌンチャクはなんかZの形をしてるという明らかに酒を飲んだような発想から実装されている。正気とは思えない。
だが一番「正気か?」となったのは、ウルトラマンZが赤に変色した途端、プロレスをはじめたことだ。
しかもウルトラマンZだけがプロレスするならともかく、なぜか怪獣も一緒になって毒霧を吹いたりする。とてもじゃないが、子供のMEMEに刻み付けるのはあまりにも胡乱な光景であった。
しかしデカいウルトラマンZが宇宙由来のカラテやプロレスしたり、しまいには光る胡乱なヌンチャクを振り回したりする壮大な光景は否応なく気分を昂らせる映像体験に満ちており、文句なしにヤバいと思う。

特撮アクションのクオリティが異常

自分はアジアンアクション映画オタクである。なぜなら大抵の場合、常軌を逸したアクションはアジアから生まれるからだ。
そういったわけで常軌を逸したようなアクションをわずかながらも見てきたわけだけど、それでも『ウルトラマンZ』に存在するとある特撮アクションにはかなり度肝を抜かれた。
ウルトラマンZ観賞者なら既にわかるだろう。そう、7話だ。
圧倒的な巨大感と疾走感。それをワンカットで行ってるのだから、技術的にめちゃくちゃヤバいことをやっている。
ああいう驚きと新鮮さに満ちたアクションを見るために映像コンテンツを摂取していると言っても過言ではない。
あと、それを抜きにしても普段から特撮アクションのクオリティがめちゃくちゃヤバく、セットやCGがチープでもちゃんと巨大感を覚える技術力に感心する。撮影や編集のテクだけじゃなくスーツアクターの演技力とかもあって、現場の総合力みたいなのを感じて好きだ。

『ウルトラマンZ』は現場で働く大人たちの物語

世の中の優れた作品が常にそうあるように、作品の本質は序盤にある。
それは「地球防衛軍の基地がめちゃくちゃ地味」ということだ。

※ここから最終回のネタバレが含まれるでございますよ

ウルトラマンZの1話には色んな驚きがある。
変身シーンの口上の「ご唱和ください、我の名を!」がめちゃくちゃかっこいいとか、ロボットのデザインが死ぬほどイケてるとか、幼少期ぶりに触れるウルトラマンは驚きと興奮に満ちていた。
けど一番ビックリしたのはやはり「地球防衛軍の基地がめちゃくちゃ地味」ということでした。
地球防衛軍、それはもう地球を守らなければいけないわけだから背景のパネルが光ったり光らなかったりするし、司令本部も空間を広くとって近未来的なシルバーのデザインじゃなければいけないわけだ。
少なくとも子供はボタンが光ったり光らなかったりするのが超好きだし、なんなら大人も大好きだ。
子供の頃見たウルトラマンは、確かにボタンが光ったり光らなかったりしていた気がする。
それこそスタートレックのブリッジのように近未来的でイケてるデザインだったのを微かに覚えてる。
だが、ウルトラマンZの基地ビジュアルはこれだ。

完全に町工場

パネルで謎の光が明滅してないし、デカいスクリーンとかもない。
安っぽい蛍光灯が部屋を照らし、業務用のエアコンが室内の温度を最適に保っている。机の配置もコンパクトだ。ショドーが掲げられたりもしている。また、隊員たちのスーツも赤とかブルーのテカテカしたやつではなく、グレーだったりする。グレーて。
個人的には一周して死ぬほど面白かったしグレーの戦闘服はリアルでかっこいいが、おおよそ子供がワクワクするような要素が見受けられない地球防衛軍となっていた。
これには流石に不安になった。「今のウルトラマン、予算少ないのかな」となった。少なくとも地球防衛軍の基地と聞いて来てみれば、業務用のエアコンがブーンとなっている施設だったらちょっとガッカリするだろう。
だが話数を重ねていくうちに、地球防衛軍の設備が町工場レベルなのは物語上に重要な意味を持っていることがわかる。
なぜなら『ウルトラマンZ』は現場で頑張る大人たちと、それを助けるウルトラマンの物語だからだ。

主人公ハルキが所属する組地球防衛軍日本支部の対怪獣ロボット部隊「ストレイジ」は、熟練のプロフェッショナルで構成されている。
怪獣が現れれば研究者がその生態を解析し、熟練の整備班が調整したロボットを発進させ、叩き上げのパイロットがそれと闘う。ウルトラマンZが来るのは全てを尽くした後だ。
物語のほとんどは現場の大人たち「ストレイジ」の頑張りであり、ウルトラマンはその最後の最後で手助けしてくれるに過ぎない。
これは上層部がパーツを別々の会社に発注したせいで接続がうまくいかず巨大ロボットがまともに動かない回があることからも明らかだ。
上層部がパーツを別々の会社に発注したせいで接続がうまくいかず巨大ロボットがまともに動かない回がある子供向け特撮ヒーローってなに????
他にも「フッ…」とほくそ笑む敵か味方かわからないトリックスター的なキャラの表の顔がよりにもよって主人公の兄貴肌な隊長なため、現場組の無茶に対して上層部の緩衝材となって「ハイ、ハイ、スミマセン。大丈夫です。ハイ、問題ないです」と頭下げてくれたりする。

言ってしまえば『ウルトラマンZ』は怪獣が出てくる下町ロケットだ。ストレイジは現場組であり、戦う相手は怪獣だけじゃない。古今東西の現場のドラマがそうであるように、上層部とも熾烈な戦いを繰り広げたりする。
物語の終盤。ストレイジは上層部を無視した無茶な作戦によって解散に追い込まれてしまう。
一方のウルトラマンZとハルキも、無茶な戦いによって二度と変身できない体になってしまう。ウルトラマンZは助けに来てくれない。迫る地球滅亡へのカウントダウン。そして迎える最終回で「現場の頑張る大人たちのドラマ」は最高潮に達する。

現場で働く大人たちの意地とプロフェッショナルの精神の発露が世界の終わりに立ち向かう。上層部からは見放され、完全な野良犬集団となってしまったストレイジだが、それでも手の伸びる範囲にいる人を救うために立ち上がる。これを現場で頑張る大人たちのドラマと言わずになんという。
プロフェッショナルであるところの彼らは、自分らにできる最大限の範囲の最善を尽くす。
その果てにウルトラマンZは現れるのだ。「ご唱和ください、我の名を!」と。
そして現場で頑張るイイ年した大人たちは叫ぶのだ。「ウルトラマンZ!」と!
あんなにかっこいい大人たちが素直にヒーローの名前を叫ぶわけだから、自分も叫ばないわけにはいかない。結局のところ、ウルトラマンZが自分に刺さったのはそういうところなのだ。

『ウルトラマンZ』はウルトラマンZとストレイジが別れるところで終わる。ハルキはもうヒーローとなってしまったので、地球だけではなく宇宙も救わなければならない。現場で働く大人ではいられないのだ。
こうして地球からウルトラマンZは去ってしまう。しかし、誰がそれを不安に思うだろうか?
この地球には、こんなにもかっこいい、現場で働く大人たちがいるのだから。

それにしても『ウルトラマンZ』、上層部がパーツを別々の会社に発注したせいで接続がうまくいかず巨大ロボットがまともに動かない回があるような作品なのに、ちゃんと子供向けに作られているのが凄い。
子供のために面白い作品をウン十年も作ってきたノウハウが詰まっている。これもまた、現場で働く大人たちの意地とプロフェッショナル精神の発露だろう。

未来へ…

『ウルトラマンZ』は完璧な作品かと聞かれれば、素直にうなずくことはできない。
ウルトラマンに変身する度にメダルを一枚ずつ挿入するのは明らかにまどろっこしいし、風に煽られただけでペラペラ揺れるZライザーの安っぽさはクールさから程遠い。中盤に登場した槍なのか弓なのかよくわからない武器はレバーをシコシコしたところでその効果は大変わかりづらいし、大した活躍を得られないまま終盤にはDIOのような悪党の生首に取って代わられる。
あと主題歌が流れる瞬間やアクションの凄さが物語の盛り上がりにあまり比例していないのも不満点のひとつだ。
だが、それを補って余りうる熱量が『ウルトラマンZ』にある。なんなら上記の不満点も上層部によるところの「大人の事情」を大いに感じるわけで、それを作品に昇華しようとしているその姿勢にも「現場で頑張る大人たちのドラマ」を感じることができるわけだ。
ウルトラマンZは頑張る大人のところに来てくれる。だから俺もウルトラマンZに恥じないように頑張ろうと思った。
完璧でない『ウルトラマンZ』とは、つまりはそういう作品なのだ。


…ちなみに『ウルトラマンZ』を観賞した流れで『ウルトラマンオーブ』を見始めた。

なにしてるんですか、ヘビクラ隊長!

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