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ブルーアーカイブ エデン条約編3章についての走り書き

エデン条約編3章についてメモみたいな感じで書いたことをまとめてみました。いつもなら丁寧な前置きをして細かい解説までいれて、文章として整ったものをお出ししようとがんばったりするのだけど、ここにそういうものはない。アビドスの大地ように荒涼とした、散文めいたものだけがある。

第4章をやってしまうとまた印象が変わってしまいそうなので、ひとまず第3章をクリアした直後の感覚を残したいということで思いついたままをアレする走り書きとなってます。ご容赦を。

エデン条約編3章、超よかった。超よかったんだけどブルーアーカイブは異常なゲームだと思った。しかも面白さの要素が重層的というか、要素要素が複雑に絡まり合っているので言語化できない。なんとか頑張ってみるけど、多分できないと思う。

エデン条約編2章でどろどろの政治劇が「勉強をがんばる」という普遍的な学園の景色に帰着して舌を巻いたが、なぜこのようなことが可能になったかというと、この作品はブルーアーカイブ(青春)だからということが3章をやってわかった。

ブルーアーカイブは子供が未熟な精神のまま強大な暴力や生命力をもつことによって歪みが生じている面と、それによって救われている面、両方ある。そこに先生が介入することによって、なんとかなったりする。先生は本当にすごい。
ヒナなんかは暴力の強大さと精神の均衡がとれていないのがエデン条約編3章で明らかになったが、それでもがんばるのでヒナは偉いし強いなあと思った。引けてないので実際のところは知らない。

エデン条約編で生徒たちのイデオロギーや憎悪による対立を描くのは、ブルーアーカイブにおける先生のスタンス「先生は全ての生徒の味方」に対してとても真摯。それでミカやアリウススクワッドのメンバーが実際に俺の生徒名簿にいるんだからすごい。

ブルーアーカイブはソーシャルゲームであることにもめちゃくちゃ真摯。ソーシャルゲームであるということはどういうことなのかを理解した上で強固な世界観やキャラクターを作り上げている。それが街や学園、転じて国家を描くことに繋がっている。また、「全ての生徒の味方」というスタンスに対する挑戦にもなっている。

いややっぱミカがプレイアブルにいるのやべえよ!!!

ブルーアーカイブ復帰初日にミカを引き、それからエデン条約編を進めた俺の恐怖がわかるか?アリウススクワッドもいるんだぜ?

全ての生徒の味方ということは全ての青春の味方ということ。その青春を乱すことは決して許されない。先生が「全ての生徒の味方」と言いつつ時に生徒と対立するのはつまりそういうこと。
キム・ヨンハPが「透明な世界観」にそぐわない存在を清渓川に沈めるMEMEがあるが、あれはある意味正しい。

それを踏まえてエデン条約編3章がどのように素晴らしく、どのように面白かったかというと、わからない。ただエデン条約編3章の面白さが集約されているなと感じたところはヒフミがクライマックスにタイトル回収して「IKUZO TEMERA」と啖呵を切るところではなく、セイアがミカともっと対話をするべきだったと反省したところだったりする。エデン条約編にある重層的で複雑に絡まり合った主題や面白さの要素が一点に集約されたのは、多分あの瞬間だと思う。

ゲーム開発部編はゲーム開発部という戦闘的に弱いキャラ(キヴォトス人なので暴力は持つし、ゲームでの性能はまた別)が超強い人たちの手助けを借りつつエモーショナルの爆発によってなんとかなるというストーリーラインが「なんらかの劇場版っぽいなあ」と思ったがエデン条約編3章のクライマックスも沢山のキャラクターがピンチに手助けしてくれて「劇場版っぽい」という感想が浮かんだ。この「劇場版っぽい」というのは「お祭り感」に近いかも。

この重厚で多層的なストーリーに劇場版のようなお祭り感が両立しているのは、ブルーアーカイブが「ソーシャルゲームであること」に対してめちゃくちゃ真摯だからだと思った。

自分はシャニマスが好きなのだが、「ソーシャルゲームであること」に対してめちゃくちゃ批判的なのがシャニマス(正確に言えば「アイドルは実在する」というスタンスを頑迷かつ狂気的に貫こうとした結果批判的にならざるを得ないといった感じ)なので、ブルーアーカイブとシャニマスは正反対なゲームだといえる。
ちなみにシャニマスはクリエイティブのほうが「ソーシャルゲームであること」に対して批判的な一方、アホみたいな拝金ガチャを最近やりはじめてテーマとビジネスの矛盾に溺れそうになっている。がんばってほしい。
シャニマス、「アイドルの実在性」を強く信じていながらその実在するアイドルの素の物語をガチャで切り売るのはなんなんだよと思わなくもないが、じゃあその実在するアイドルの素の物語を覗いている俺らはなんなんだよということにもなるので、そこらへんで共犯関係が発生している気がする。

逆にブルーアーカイブはソーシャルゲームであることに対して批判的であるどころか誇りを持っているんじゃないかってくらいストレートなソーシャルゲームなので、そのような矛盾や悩みが発生しないので凄くやりやすい。だからエデン条約編1章でヒフミを裏切り者と断定して無限に侮辱したりもした。あの時は本当にごめん、ヒフミ。
ちなみにnoteの下書きには「阿慈谷ヒフミは裏切り者」というタイトルの記事が残ってる。

それでもタカ派の軍事クーデターの首謀者がプレイアブルにいるのはどういうことだよ。

エデン条約編3章は憎悪の物語。繰り返されてきた憎悪の連鎖の終着点はそれこそ「相手を根絶やしにする」くらいしかないわけなのだけど、だから「誰かが人殺しにならざるを得ない物語」なんだけど、これが本当に「誰かが人殺しにならざるを得ない物語」がギリギリそうじゃなくなったのは、全てブルーアーカイブ(青春の物語)だからということに集約される。そういう作品だからご都合的になんとかなった、ということではなく、「憎悪」というものをちゃんと描いた果てで前提としてブルーアーカイブ(青春の物語)だったので、かなり納得できるというものがある。でもまだ一章残ってるんだよな、エデン条約編。
アリウススクワッドが生存しているのでまだ憎悪の連鎖は残っているわけだし、逆に言えばそれはこの先の果てを描くということなので、とにかくすごいということだ。

それにしてもミカの持つ憎悪の根拠が空虚だったのがめちゃくちゃやばい。インターネットで特定の属性の人間を憎んでるやつで「過去にかれこれこういうことを私自身がされたから憎んでいます」という人、実際には少ないもんね。憎悪の質感がすごい。なんでミカがプレイアブルにいるんだ。いつもお世話になってます。

エデン条約編のおもしろさは全く言語化できないけどどうにかまとめるとすごくソーシャルゲームであり、ブルーアーカイブ(青春の物語)だからということになる。なにを言ってるんだ俺は?

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