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おとん

店の外からは中の様子が全く見えず、常連客らしき賑やかな声が聞こえてくるという、一見にとって入りづらいことこの上ない、典型的な店。


ガタガタと音を立てて、開けずらい引き戸を開け、のれんを潜って意を決し入ってみると、目の前のカウンターの数席だけの狭いお店。

そして「おとん」、という店名にも関わらず、おかんがひとり、カウンターの中で切り盛りされているお店。

もたれられんよ
湯豆腐

湯豆腐を、背中の隙間風に震えながらいただく。



隣り合わせた常連さんが、「ヨコ美味いよ」、と。

ヨコ?

ヨコとは、要するにマグロの小さい奴のことを言うようだ。

なるほど。


いいお店ではないですか。


行儀よく、数回通ってやや馴染みになると、常連さんの釣ってきた鮎など頂いたりもする。

冬はなんと言ってもおでん。


カウンターの上にミニコンロや、おでんの鍋が並ぶと、徳島の寒い冬を実感する。

牛すじと手羽先
亀の手!

亀の手。最初見たときは本当に亀の手なのかと思ったけれど、この辺ではよく採れる岩に張り付く貝の一種。美味しい。

先っちょを取ってちゅうちゅう吸うのだ。


入ると黙ってボトルを出してくれるようになるまで通う。

メニューに有るハイボールは、いやいやおかあさん、ちょっとそれはないんじゃない?というくらいに濃い設定で、その隣にある「濃いめ」のハイボールなんて頼んじゃった日には、一体どのくらいの濃度で出てくるのか空恐ろしくなる。

と、いうわけで、ここの常連はみんな角瓶をキープして、自分の好みの濃度で安全に呑むのだ。

カウンターのこの場所で大相撲中継を眺めるのが好きだった。


流行り病いで阿波踊りなくて寂しいですねえ、と聞くと

「それよ」

「おどりの期間は毎年そらもう目の回る忙しさやけん、四日間でひと月分以上の売り上げがあるんやで。
ほなけんその間だけのアルバイトも雇ってな、えらいことや」

ちょっと目を細めて遠くを見るような表情で語るおかんの横顔見てると、かつての祭りがまたこの徳島に戻って来るのはいつになるのだろうか、と。

その後、店名が「おかん」になったと風のうわさで聞きました。

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