10年。つるうちはなちゃんのこと。

このあいだ、はてなブログに短い記事を書いたのである。
すると、記事の下に自動的に出てくる「関連記事」に、10年も前のインタビュー記事があるのが目に留まった。

この「インタビュー記事」は、2007年から2010年にかけて、私が個人的にさせて頂いたインタビューを、ブログにガツンと書いていたシリーズものだ。ブログの読者に「お話を聞かせて下さるかたはいらっしゃいませんか?」と「公募」したのだった。

このシリーズで10人目にお話を聞いたのが、ミュージシャンのつるうちはなちゃんだ。

「はなちゃん」と呼ぶのは普通に考えたら失礼だなという気もするのだが、はなちゃんに一度でも会ったことのある方なら、たぶん「はなちゃん」以外の呼び方は考えられないであろう。「はなちゃん」と呼ばれる人は日本に何千人も何万人もいるだろうが、つるうちはなちゃんくらい「はなちゃん」らしいはなちゃんはそうはいまい。はなちゃんがどれくらいはなちゃんらしいはなちゃんかを見るためだけにでも、彼女のライブに足を運んで頂きたいくらいである。

このリンクの「はなちゃん」という文字列を目にしただけで、吉祥寺の薄暗い喫茶店で、はなちゃんの存在が夏のひまわりのようにぴかぴかと光っていた光景を思い出す。「狂ったように元気」と言っていたはなちゃん。辛い恋を、戦士のように勇敢に語ったはなちゃん。音楽への情熱を、呼吸のように当たり前に語ったはなちゃん。当時はインディーズで活動していたが、その実力にふさわしく、たくさんのファンに支えられていたはなちゃん。

はなちゃんは、今どうしているんだろう。

たぶんやっているだろうな、と思ってツイッターを検索してみたところ、果たして、はなちゃんのアカウントが出てきた。そこには、こうあった。

なんと!!
今年、メジャーデビューするのか!!!

私は「はなちゃん、がんばってんな!」という口からぽろっと出てきたコメントをそのまま追記してリツイートしたのだった。

たしかに、音楽をやっていないはなちゃんなど、想像もつかなかった。活動を続けているだろう、ということは、無意識に信じていた。

はなちゃんのツイッターを見たら、毎日お弁当を作っていて、パートナーと幸福そうに暮らしていて、仲間を熱く応援していて、自分自身もひたむきに活動していて、私はもう、ただただ嬉しかった。よかったよかった、と思った。

もちろん、辛いことも苦しい事もあるだろう。表に見えていることだけでは、本当の彼女の「今」はわからない。でも、そこを保留しても、とにかく元気そうでよかったし、彼女は「元気」ということが、とにかく大事なのだ。私は元気じゃなくても大丈夫なのだが、彼女は元気じゃないとダメだと思うのだ(意味不明)。

はなちゃんは私のRTに気づいてくれて、メールをくれ、こんな記事を書いてくれた。

10年も前に自分で書いた記事を読み返すのは、正直、辛いのである。とにかく恥ずかしい。
しかし、意を決して(大袈裟)、はなちゃんへの10年前のインタビューを、読み返してみることにした(で、読み返しての精神的七転八倒はここでは割愛する--;)。

文中、こんなことが書いてあった。

10年後の私が今の私を思い出したら
言いたいことはさぞかし、たくさんあるだろうと思う。

これには理由がある。

というのも、はなちゃんは、私とちょうど10歳ちがうのだ。インタビュー当時、はなちゃんは24歳で、私は34歳だった。彼女と私はおよそ、違ったキャラクターなのだが、なにかが似ていた。ゆえに、私は10年前の自分のかけらを彼女の中に見ていたのだ。
かの稿は、彼女の話を聞くインタビューである以上に、自分自身の10年前を思い出す話となっていた。

めぐりめぐって、まさに10年後の私が、その記事を読むことになったではないか!
ちょっとこわくなった。まるであの頃の私たちに、今の自分が呼ばれたような気がした。

34歳の私は、未知の人々にバリバリインタビューしに行くようなエネルギーに満ち溢れていた。今の私にはそんな勇気もパワーもないような気がする。
34歳の私の文章は、44歳の私から見ると、とにかく盛りだくさんで、表現が過剰で、ムダが多い(多分54歳の私は、今のこの稿を見て「過剰、ムダが多い」と思うだろう)。

でもなんだか、34歳の私は、すごく楽しそうだった。
あの頃の私は、ただ書くのが楽しかったのだろう。自分を全部叩きつけるみたいに書いていた。今の私とは、だいぶ違っている。

そして、はなちゃんは34歳のいま、そういうエネルギーの状態に近いんだろうな、とも思った。あの、バリバリとインタビューをして、自分の道を探ろうとしていた30代半ばの私のパワフルな感じを、今のはなちゃんは持っていて、その力をフルに放出しながら、新しいステージに乗ろうとしているのだ。

はなちゃんは、上記に紹介したnoteの記事で、私へのメッセージを書いてくれたのだが、その中で、こんなお題が出た。

ところで、ゆかりさん。
今は、「愛」についてどう思いますか?

はなちゃんは、「愛」について、こう書いている。

私は、あの頃みたいにキラキラした目で「これが愛!」とはきっぱり言えなくなりました。それは思ったよりずっと曖昧で、本当に千差万別で、だけど空みたいに世界中の人たちのそばにあり、どこかで繋がっている共通意識のようなものに感じています。私はその共通意識にアクセスして表現することを諦めたくなくて、そして、こうして文章でうまく言えないぶん、音楽が代弁してくれていて、私と音楽と愛の旅は、死ぬまで続くのだと、「今」、思っています。

彼女はあれから、胸の中でたくさんの血を流しながら、濃密で美しい、誠実な10年を生きてきたのだ、と思った。

彼女がここで言っていることは、あの時と同じく、本当だ。

私は今も、「愛」については、よくわからない。

ただ、最近気づいたことがある。

それは、「愛」が「時間」と切っても切り離せないものなのではないか、ということだ。

人間の時間は、生まれてから死ぬまで、というふうに、区切られている。でも、私たちは、自分がいつ死ぬのか知らない。死ぬまで、いつ死ぬかは解らない。自分以外の人も、いつ死ぬのかは解らない。

だから仮説として「永遠」が設定できる。
「愛」は、人間と人間のある種の関係が永遠だと仮定することによって、決して貸し借りを精算しないままに、未来にお互いに借りを返しあう機会を保留し続ける、ということなのではないだろうか。

愛が終わるとき、私たちは「精算」という言葉を使う。貸し借りを計算して返してしまうということだ。それ以降はもう、相手に対して、何も負わないことになる。

愛が人間と人間を結びつけるものだとするなら、私たちは未来に、いつもその関係の勘定書きを保留しておく。お互いがお互いに何をしてあげたのか、あるいはなにを奪ったのか、総量を明らかにしない。
労力も、ものも、心配も、優しさも、ガマンも、お金も、相手に注いだあらゆるものの最終的な精算をしない。請求もしないし、繰り上げ返済もしない。期日が来ないから、締めがないのだ。だから総額がなく、返済がない。

これはもちろん、「何をしてもゆるされる」というようなこととは違う。愛という関係のしくみが、そんなふうになっている、というだけのことだ。互いに与えあったもの、負いあっているものについて、その重みに納得できなくなれば、いつか「愛を精算」することになる。それは、ずっとあったはずの「永遠」を諦めることであり、とても苦しい。

愛と時間の関係は、彼女の「一緒にいようよ」という曲の歌詞にも、ちょっと表れていると思う。


はなちゃんは10年ぶりに私が突然声をかけても、喜んでくれた。
未来に保留されている関係、というのはそういうことなんだろうと思う。私は「友だち」ということも「愛」と同じくらいよくわからなかったけれど、たぶんそういうことなのかもしれない、と思うようになった。

それは、共にある時間が長いとか、よく会うとかではなかったとしても、「未来に、また会えるかもしれないし、話すかもしれない」という可能性を持ち続けるということなのだ。その可能性をある程度以上に信用するし、相手に対してそれを許容し続けておくということなのではないか。

何も精算することをしないまま。

そして、愛の関係にある人間同士の、どちらかの人間が死んだとき、死んだ人間は生きているほうの人間のアイデンティティの一部となって、もうけっして消えることがない。二人とも死んでやっと、愛が終わる。

はなちゃん、私は今、愛というのはそういうことかなと思っています。
でも、10年経ったらまた、べつのことを言ってるかもしれません。ははは。

*****

私は今京都に住んでいるよ、といったら、はなちゃんの返信にこう書いてあった。

私、もう6年くらい、「京都銀行」のCMの歌を歌ってるんですよ!
「そんなあなたと〜♪」(なが〜い、おつきあい)って、聴いたことありませんか?笑

えええ!

あああ!

これ!そうだったの!!!!

びっくり!!!

はなちゃん、いろんな驚きを、ありがとう!!(笑)