12星座の話-その6:蟹座

(※ 蟹座は、すでにこのマガジンのメルマガ発掘シリーズその2「蟹座。」でご紹介してしまってるのですが、いちおう続き物なので、加筆修正したものを再掲いたします。すみません、、^^;)

双子座の次は、蟹座です。

ここまでの流れをもう一度おさらいしますと、まず牡羊座で、ぽん!と命が時間の中に投げ出されます。

次の牡牛座で、「時間」を生き抜いていくための器、命を入れるいれものが手に入ります。

さらに歩を進めた双子座で、この「形を成した命」が、いろんな世界を旅します。
そして、自分がいる「時間の世界」を知るようになります。
生まれたばかりの子供が、いろいろなものに出会って、その名前を覚え、どんな特徴があるかを体感し、おしゃべりを始める、それが双子座の世界です。

牡牛座の世界は感覚の世界で、双子座の世界は、知の世界、といわれます。
意識を持ち、五感で快不快、美醜、好悪を感じることができるようになり、さらに「他者」と出会って言葉を手に入れ、はじめて「思考」することができる、ということかもしれません。

では、そのあと、何が起こるのでしょうか。

人は、一人で生まれてきます。
世話をして貰って、心地よくして貰って、それを「感じる」ことはできますが、何が自分を気持ちよくしてくれているのか、まではよくわかっていません。

さらに、様々な世界を、知を持って旅できるようになっても、外の世界についての情報は入ってきますが、それ以上でもそれ以下でもありません。

双子座の段階で「外界」を発見しながら、なにかたいせつなものがそのかなたにあることがわかりはじめます。

そこで発見されるのが「感情」「内界」の存在です。

自分の、うちがわ。みうち。安心できる場所。自分の住む世界です。

丈夫な壁で囲まれた、安心できる巣の中で、感情という新しいものを感じられるようになります。

嬉しさ、悲しみ、親しみ、優しさ、喜び、苦悩、不安。

「感情」は、人間が生きていく上で欠かせないものです。

自分以外の人間がケガをしたとき、その痛みをそのまま自分で感じることはできません。
ですが「感情」の力を使うとき、人は、他人の痛みを自分のものとしてあつかう可能性を手にします。

感情は、人の中から流れ出します。

誰かの感情が流れ出してくるとき、その人の内側に「触れた」という気がします。

感情を共有したとき、その人と自分は、同じ時間を味わっているのだ、という気分になれます。

「思いを共有する」と、人と人とのあいだに厳然とある隔たりが、なぜか埋まってしまいます。

牡羊座の世界、牡牛座の世界、双子座の世界では、「個」は「個」です。

なのに蟹座まで来ると突然、「個」と「個」がつながりあってしまいます。

人と人とは、それぞれがそれぞれ、一つ一つの世界を持っているだけだったのに、蟹座まで来ると、何人かが一つの世界を共有したり、人と人との気持ちが、隔たりを超えたりするわけです。

風の星座である双子座の世界では、「旅」も大切なテーマのひとつです。これは、身近な他者の世界への「旅」です。
旅の最中、どこにいってもその人は「異邦人」です。
「兄弟姉妹」も双子座の扱うテーマですが、兄弟姉妹は、人生で初めて出会う「他者」です。

蟹座の世界では、「身内」「家族」「仲間」と、「他人」「外界」とが、くっきり切り分けられます。

中か、そとか。
中は「私」です。外は「他人」です。

これは、ひとつのユニットで実現されることもあれば、複数のユニットができることもあります。大勢を「身内」として、自分の世界を広げていくこともできますし、一対一の関わりのみで閉じたユニットを構築し、ユニット同士は関わらせないようにすることもあります。ユニットの内部では、思いが共有され、自分と相手とが、きりはなされずにくっついています。

この「ユニット」の代表的なものは、家族や親子関係、恋人同士の関係、親友の関係などです。さらに、地域コミュニティや国家(ネイション)などの単位まで拡大していくこともできます。
たとえば、特に野球など興味がなくとも、甲子園に母校が出場するとなれば、学校を卒業したのは遙か昔であるにもかかわらず、熱狂的に応援したくなることがあります。サッカーのルールはよく知らなくとも、自国の代表がワールドカップで活躍している様子を見れば、無意識に熱中してしまうこともあります。母校や自国といったものへの不思議な「所属」の感情は、まさに蟹座の世界のものです。自他の境界線が曖昧になり、まるで自分自身の勝ち負けのように、感情が激しく泡立ちます。

蟹座は「水の星座」です。
水は、星占いでは「感情、共感」を扱います。
本来、バラバラに切り離されている存在である人と人とのあいだに、感情という「水」を流して、とけあわせ、一体にしてしまうのです。

風の星座もコミュニケーションの星座で、他者同士をつなぐことができます。ですがそれは、思考や言葉、ルールなどを使って理性的に行われます。つまり、いろいろな道具を使って「橋を架けている」ので、境目を埋めるということではありません。相手が「我」と感じられたりはしません。

水の星座はその点、他人と自分の境界線がアイマイになります。
感情を共有すると、「我」の範囲が限りなく大きくなってしまうのです。

牡羊座で「ぽん!」と時間の中に放り出された命が、牡牛座で器を得て、快さを覚え、時間の感触を知ります。命に動き回り、情報を得る力がついたところで、双子座という探検に出ることができます。この世界を楽しく探検しているうち、命は、ある欲求を持ちます。

それは、「他者」と関わるだけでなく、さらに「他者と自分を融合させてみたい」という欲求です。他者の内面に触れたい、という欲求です。それを可能にする力が「感情」なのです。

蟹座の仕組みは、人の気持ちをくみ取り、自分の感情を相手に伝え、そこに、2人だけの王国を作り出します。共感しあえる人数が増えれば、それは広がっていきます。

そんなふうに、多くの人々と「我」を共有していくうち、蟹座の世界は、なんとなく無軌道になっていきます。
自分と他人の気持ちが混ざり合い、境界がなくなり、何でも包み込まれてしまいます。たとえば「家族の間では遠慮がなくなる」といった現象です。

一方、外界に対しては非常に警戒的になります。攻撃的になることすらあります。「内側」のすべてが限りなく自分自身であるために、それを守るための力が、外界への敵意へと反転するのです。敵意というよりは、「恐怖」というほうが合っているかもしれません。蟹座は、感情によって一体となった「守るべきもの」を抱えているがゆえに、それを傷つけるかもしれない外界が怖ろしいのです。堅い甲羅で外界を拒否し、内側の心の世界を守ろうとします。

外に対する攻撃、内側に対する抱擁。
内側は、境界線のない世界。外側は、境界線に隔てられた世界。

この構造をつきつめたとき、蟹座から獅子座への跳躍が起こります。

全ての融け合う世界から「個」として飛び出した、魚座から牡羊座へのあの衝動が、蠢動を始めるのです。


(「筋トレ」メールマガジン(2006/7/30号)より、加筆修正)