表参道日記-1: 芝生の壁と、表参道ヒルズのこと。

発端は、表参道である。
私は今では日がな一日部屋の中で仕事をしていて、ファッションや素敵グルメなどには全く縁がない。
「おしゃれ」の世界からはるか遠く、女の世界の外側で暮らしてきた。
だから、表参道をぶらつくような習慣はないのだが、実はこの表参道を始終、往復していた時期がある。

20代後半から30代前半にかけて、私は恵比寿のとある会社でアルバイトをしながら、星占いの記事を書く、という生活をしていた。
私は万年ダイエットをしていないとすぐ太ってしまう体質なので、そのときも「このバイトを利用してなんとか痩せねば」と思い、バイト先から数駅を歩く習慣をつけようとした。
何度か迷子になりながら、恵比寿から原宿まで、渋谷を経由せずに直線的に歩くルートをみつけた。

そのとき、必然的に毎日通るようになったのが、表参道だった。
表参道はつねに、たくさんの若者と、たくさんの観光客で賑わっている。
じっと突っ立っていて、時にさっとハゲタカが舞い降りるように道行く人を掴まえ、なにやら話しかけている不思議な人々。
カメラや大仰な機材を持って、人待ち顔に座り込んでいる人々。
道沿いにはエルメスやショーメやバーバリやなにやかにや、入ったことはないけど名前は聞いたことがある、というブランドのショップが、軒を連ねている。
化粧っ気ナシ、ぼさっとしたアラサー女の私は、間違ってもその人々から声をかけられることはなかった。
ひたすら、この場違いな場所から逃れようと、足早に道を駆け下りるのみだった。

私がこの道を通い始めた頃、古くてかっこいいな、と思っていた建物があった。
落ち着いた砂色のプレーンな壁に、モダンな形の窓。
現代では決して建てられないだろう、シンプルだけれどもどっしりした風情で、太いケヤキ並木にぴったり調和していた。
建物には美容院やギャラリーなど、おしゃれな店舗がたくさん入っており、窓は色とりどりに明るかった。

その建物が、ある日突然、工事中を示す白い壁に覆われた。
更に少し経つと、白い壁が、緑色に変わった。
よく見ると、工事現場を覆う仮設の壁に、びっしりと、芝生のような草が植えられている。壁の芝生。
直立した、芝生。

「なんだこれは?」

とびっくりして、ちょっと興味をひかれた。
ナカミはなんなのだろう。
サッカーに関係する施設かな?それとも、最近流行の「エコ」か。
短絡的に淡い想像を巡らしつつも、特に調べたりはしなかった。

バイトを辞めてしばらくしてから、テレビのニュースで、あの芝生の壁のナカミが

「表参道ヒルズ」

としてオープンしたことを知った。

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さらにそれから1,2年した頃、私は表参道をブラブラと歩いていた。
近所で打合せがあった折、そういえば、あの芝生の壁の中が今どうなっているのか、興味がよみがえったのである。

そこに行ってみると、ピカピカの、背の低いショッピングモールができていた。
これは、ニュースでも見ていたし、想像の範囲内だった。
しかし、表参道をどんどん上がっていくうち、奇妙なものが見えた。
建物の端っこが、おかしい。
ピカピカの近代的な建物の端に、懐かしくもレトロな一棟が、端然と残っていたのだ。

表参道ヒルズのぴかぴかの本体と、古い建物とは、どうやらつながっているようだ。
奇妙だなと思いつつ、建物のファサードを眺め回しているうち、ふと、建物の前にあった掲示板に目がいった。
そこに「ジャコメッティ」の文字を見つけた。

ジャコメッティのポスター展の、案内チラシだった。
今、この古い建物の中のギャラリーで、開催されているらしい。
私は慌てて建物の中に入った。

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アルベルト・ジャコメッティ。

彼は、彫刻家として有名だ。
中でも、細長い「歩く男」シリーズがよく知られている。
が、絵画も多く残していて、10年くらい前に、私はその一枚を見たことがあった。
「アネット」というタイトルの、彼の奥方が描かれた絵だ。

それを見たとき、息を呑んだ。
描かれた人間は、縛られていた。
幾多の針金のような厳しい線で、拘束されていた。

あたかも、作家が不意に透明人間の存在に気づいてしまい、それを他の人たちにも知らせるために、逃げてしまわぬように大急ぎでそのかたちごと「掴まえた!」と叫んでいるような激しさだった。
私には、そういうふうに見えた。

この感想はあまりにも個人的すぎて、たぶん私自身以外には何の意味も持たない。
でも、そこにたしかに、浮かび上がるように、うめき声を上げそうに、まさに「誰かがいた」のだ。

白い壁、白い画面、黒い線。

たくさんの人で賑わっていたはずの展覧会なのだが、沈黙と、白い平面と、そこに描かれた「アネット」しか、思い出せない。
絵を見てから数年後、そのままの書名の本に遭遇した。
いまは無き、吉祥寺のパルコブックセンターである。

「ジャコメッティ」矢内原伊作、著。

みすず書房。

みすず書房の本は、白い。石膏のような白地に、シンプルかつ瀟洒なフォントでタイトルが打たれている。潔癖で、澄明で、美しい。
私はみすず書房の本を見ると、無性に「どれか選んで買いたい」という衝動に駆られる。
このときもほとんど反射的に、手にとっていた。

おそらく、美術の研究者がまとめた「画家の伝記」だろうと思った。
あの絵に描かれていた女性が誰だったのか、他にどんな作品があるのか、そういう、ごくありふれた興味で、本を買った。
しかし、帰って読んでみたら、この本はそんなものではなかった。
この本は、もっと異様な本だった。

「ジャコメッティ」の著者、矢内原伊作は、哲学者で、大学教授であった。
彼がパリに留学した際、彫刻家であり画家であるジャコメッティに出会い、親しくなるうちに「一時間くらいきみの顔のデッサンをしよう」との申し出を受ける。
普段、ジャコメッティはモデルを雇わず、もっぱら弟と妻のアネットを写生するだけなので、矢内原は彼の前でポーズできることを「記念になる」と喜んだ。
この「一時間」は、しかし、一時間では済まなかった。
ジャコメッティは描くほどに矢内原の「顔」に、夢中になった。
画家に情熱的に請われるままに、日本から来た辛抱強い哲学者は、芋づる式に何時間も何日間も、ポーズをとり続けることになったのだ。

矢内原は旅行や帰国の予定を延ばし延ばしして、微動だにせず座り続ける。
画家は毎日精力的に彼を見つめ、ときおり失意や高揚の叫びをあげながら、彼の顔を描く。
描かれている人間と、描いている人間の、真空に閉じ込められたような切迫した緊張感と、「天国的」と言いたいほどの二人の関わりの完全さが、この本を支配していた。

「きみの顔は、こちらに向ってくる無数の剃刀の刃できている。これを描くことは不可能だ。」こう言いながら、彼は休みなく仕事をつづける。「もう少しだ、もう少しの勇気があれば真実に達するだろう、畜生!」この「もう少し」は何時間にもわたって深更におよび、何日も何ヶ月もつづいた。いやかれは四十五年間、この「もう少し」を追いつづけてきたのである。

ジャコメッティは、矢内原に「絵を描くのは戦争のようなものだ。まったく同じだ。私は恐ろしい。」と語った。

「あなたの敵は何ですか、どこにいるのですか」とぼくはきいてみた。「それはきみさ、きみの顔さ」と彼は即座に答えた。「いや、そうではないでしょう、ぼくはあなたに協力しているのであって敵対しているのではありません。あなたの敵は画布ではありませんか」と言うと、「そうかな、いやむしろ敵は私自身のなかにいるのだ、私の臆病が前進をさまたげるのだ、畜生(メールド)」と彼は激しい勢いで自分自身を叱咤した。
 彼の攻略すべき敵は、彼の眼にうつっているぼくの顔である。いったいそれはどういうものなのか。…

モデルと画家のあいだには、こんな会話が交わされる。

「いいかね、落胆してはいけないよ、私は全部こわしてしまうから。そうしなければどうしても先に進めない、きみの顔は消滅するだろう、いいかね。」
「いいですとも」とやむをえずぼくは答える。「遠慮なくこわしてください、しかし消滅してしまうことはないでしょう。」
「そうだ、きみの顔はまたすぐに戻ってくるだろう。前よりも何倍も巨大になって。」

まるで、画家が画面から顔を消したら、モデルの顔もほんとうに消え去ってしまうみたいに思える。
その危機感が、剃刀でぺたぺたと肌を撫でるような感触で伝わってくる。
私はこの本を、ほとんど「愛する」といいたいような調子で読んだ。

矢内原伊作の文章は、平易で論理的で冷静であろうとしているのだが、画家と哲学者のはげしい感情が抑えがたくにじみ出ていて、読むものは否応なくその圧倒的な時空に引き込まれてしまう。
ほとんど本の最初から最後まで、画家とモデルが向き合っている、ただそれだけなのに、どうしてこれほどドラマティックなのだろう。
何度も読み、無数のページの角が気に入った箇所を示すために折られ、背表紙は割れて、この本は「私の本」になった。

一度読んだくらいでは、本は「自分の本」には、ならない。
何度も何度も読み、形状が少しずつ変わり、紙が黄ばみ、紙魚に汚れていくうちに、いつか「自分の本」になってくれる。
本が「自分の本」になっていくに従って、ジャコメッティという芸術家も、私にとって少々特別な存在となった。

誰にも「自分にとって、特別なアーティスト」があるだろう。
単純に「この画家が好き」という言い方もできると思うが、なにかを非常に強く愛好したとき、もはや「好き・嫌い」などの表現では物足りなくなることがある。
それは、自分とその芸術家の間に、ある種の「関わり」が生まれた、という感覚だ。

矢内原伊作の本を通して、ジャコメッティの存在は、私の中のなにかと「関わりのあるもの」となったのだ。

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「ポスター展」ということは、彼の展覧会のポスターだろうか。
展覧会のポスターに、あの「アネット」や矢内原伊作の肖像のような、圧迫感のある作品がポスターに用いられているとは思われない。
あれこれ考えながら、私は今下りてきたばかりの階段を引き返し、「同潤会」と記された建物の最上階、3階まで上がっていった。


(2につづく。)