表参道日記-2: みすずの本と、加藤さんのこと。

表参道ヒルズの坂の、一番高いところにある、古い建物。
この建物にエレベーターはない。
真ん中に階段が据えられ、各フロアの踊り場の両側にドアがあって、ギャラリーや雑貨屋、眼鏡屋などが営業している。
一番上の三階までのぼった左側のガラスのドアが、ジャコメッティのポスター展を開催している「ギャルリ・412」だった。

ここに入ろうとすると、一見して奇妙な事に気づく。
ドアの中に、もう一つドアが見えるのである。
外側のドアは、一面がガラスの、真新しいドアである。
その中に、白塗りの古い、木造とおぼしきドアがある。
中のドアにも、「Galerie412」の文字が見える。
しかし木造のドアをよく見ると、開くドアではないことが解る。
この古い、真鍮のノブの付いたドアは、単に壁に立てかけてあるだけなのだ。

中に入ると、1,2人、絵を見ている人がいて、一隅の丸いテーブルに、白髪の大柄な男性と、小柄で美しい女性が談笑していた。
私はポスターを見て回り、想像よりもずっとデザイン的で洒脱な絵に魅了されて、気がついたら二枚を購入していた。

対応してくれたのは、前述の女性、渡部さんだった。
ゆったりとした澄んだ声で「ジャコメッティがお好きですか」と聞かれた。
私は頷いて、「アネット」の絵を見てからみすず書房の本「ジャコメッティ」を愛読していること、本の内容も好きだが、みすずの装丁も好きで、とにかく非常にあの本を愛好していること、などを、くだくだしく話した。
人は、自分が好きなもののことを、それを解ってくれそうな人に尋ねられると、聞かれもしないことまで、勢い込んで喋ってしまうものなのである。
更に言えば、このとき、私は既に数冊本を出しており、本の「装丁」というものに意識を向けるようになっていた、ということもあった。

編集者と「どんな本にしたいですか」と話し合うときは、内容のことよりもむしろ、外回りの話が多い。
原稿は、相談もなにもない。
書いてしまうしかなく、書いてしまったら後は「いいか、わるいか」しかない。
話し合いが必要なのは、それ以外の部分だ。
厚さや紙質、表紙の具合などを相談するために、形状が似たような本を持ってきてあれこれ相談する。

私の本は主に「占いの本」だが、できるかぎり「占いの本っぽい本」は作りたくなかったし、編集者たちも冒険的な気持ちで仕事をしている人ばかりだったので、本を作るのはいつも面白かった。
「石井さん、どんな本にしたいとか、イメージはありますか」
と尋ねられると、私は判を押したように
「みすずみたいなのが、理想なんですよね」
と口にした。
たぶん、みすず書房の本の美しい装丁と、「ジャコメッティ」に描かれた、芸術家が完全さを追求するときの簡素でストイックなイメージとが、私の中で折り重なって一体化してしまっていたのだ。
まっしろな表紙に、ストイックな明朝の文字。
自分の著作がそれに似合うような内容ではないのは解っていたが、みすず書房の、一切の虚飾を排除した装丁は、私の憧れであった。

そんなわけで、私は「みすずの本」でジャコメッティを知り、その内容に強く心を動かされて、ポスターを買わずにいられないのだということを話した。
すると、渡部さんはちょっとびっくりしたような顔をして、座っていた白髪の男性の顔を見た。
そして「この方、元のみすず書房の社長さんですよ」と、驚きと笑いを含んだ声で言った。

そこに座っていた加藤さんは、あの本の装丁が作られた頃からの、みすず書房の編集者だったのだ。

つまり、本を作った当の本人の前で、それと知らずに私は、その本への憧れを語り、ほめあげていたことになる。
私はびっくりして、真っ赤になって、その後、自分が何を言ったのか、よく覚えていない。
加藤さんは、ちょっと照れたような感じで笑われて、それから少しだけ、本の話をしてくださった。

嘘みたいな、本当の話だ。

(3につづく。)