自分とは、何者か。(3/5)

閑話休題。

前回の続きである。

お久の死後、新吉はそのまま下総の羽生村に居着いてしまう。地元のチンピラ・甚蔵のところに転がり込んだのだ。
しばらくして、自ら殺したお久の墓にお参りしたところ、お久の親類の家の娘・お累(るい)に出会う。
ずばり「累」である。
お累は、少々大柄だが若くて色白の、美少女である。
彼女はオトコマエで都会の香りのする新吉に一目惚れし、二人は結婚することになる。が、めでたい婚礼の前に、お累がちょっとしたはずみで囲炉裏に転がり込むという事故が起こる。彼女のきれいだった顔は、この事故で、半分焼け焦げになってしまった。

新吉、またも醜女と一緒になってしまったのだ。
子供も産まれるが、その子供は諸事情あってどうしても可愛いく思えない。当初は優しくしていたものの、新吉はだんだんと二人を虐待するようになる。

一方、彼は村の庄屋が深川から請け出してきたお賤という女性に出会う。彼女は新吉よりちょっと年下の美人で、歌や踊りのうまい、粋な女性である。新吉にとっては、以前に奉公していたときの顔見知りでもあった。彼女は機転が利く上に、なにしろ江戸っ子同士なので気が合って、新吉は妻子を顧みず、しきりにお賤のもとに通う。

お累は病を得、新吉の心変わりに絶望して自害、子どもも死んでしまう。
新吉とお賤の二人は、病の床にある庄屋を密かに殺し、二人の犯罪を知ってしまった甚蔵も殺して、さながらボニーとクライドのように、手に手をとって羽生村を逃げ出した。

だが、実は「お賤」は、新吉と無縁の女性ではなかった。
彼女は他ならぬ新吉の父、深見新左衛門が女中に産ませた娘なのだ。つまり、新吉には腹違いの妹にあたるのだった……。

・・・・・・

このくらいが言わば「真景累ヶ淵・新吉編」のあらすじである。
全体の話はこのほかに、新吉の兄の物語、庄屋の家の敵討ちの物語などが複雑に交錯しながら進む。新吉・お賤はしばらく登場しないが、ラストに、二人の劇的なクライマックスが待っている。

****

新吉は決して悪い人間ではない。むしろ優しくて、真面目な若者である。育ての親の勘蔵が「実は自分は叔父ではない、新吉の家の門番だったのだ」と打ち明けるシーンなどは、新吉がいいヤツで感動するほどなのである。

しかし、新吉はやはり、ちょっと弱い。甘やかされると調子に乗り、酒を飲めば乱暴になり、なにかと、易きに流される。それは「悪」かというと、そうでもない。ただ、不思議とその弱さを刺激するような出来事が次々に起こる。彼の中にある「なにか」が事件を呼び、更にその事件によって彼の中の「なにか」が引き出され、これが繰り返されて、運命の輪が回る。

この「怪談」を読んで、私は夢中になりながらも、どうもおかしいな、と思ったのだ。
というのも、皆川宗悦の呪いで、憎い敵の息子である新吉や兄新五郎が不幸になる、というのは、よくわかる。
しかし、なぜ、宗悦にとっては一番大切なものであるはずの二人の娘まで犠牲にしてしまっているのだろう。
新吉は豊志賀を見殺しにしたが、兄の新五郎も、宗悦のもう一人の娘・お園を、やっぱり殺してしまっているのだ。
宗悦を斬り殺した新左衛門、その息子二人が、宗悦の愛娘二人を「なぜか」殺してしまっている。運命に魅入られるように引き寄せられ、愛し、やがて誤って殺してしまうのだ。

実は「宗悦の呪い」は、深見家が取りつぶしになったあたりまでで、一区切りついているのである。宗悦が殺された日付は12月20日だが、そこから深見新左衛門の妻が死ぬ日、新左衛門自身が死ぬ日と、すべて宗悦の月命日「20日」に起こっている。さらにお園が死んだ日、長男新五郎がお園殺害の罪で捕まる日までこの「20日」スタンプは続くのだが、次男新吉の物語に入ると、このスタンプは外れるのだ。

新吉の物語の中には、宗悦の思いよりも、豊志賀の思いが流れている、と圓朝は言いたかったのだろうか。
否、圓朝は、「新吉の物語は、幽霊や呪いの物語ではない」と考えていたのではないか。
少なくとも、私はそう感じる。

では、新吉の物語は、「怪談」でなければ、なんの物語なのか。


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マルジナリア・2

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