12星座の話-その9:天秤座


(※ 獅子座と蟹座同様、天秤座もすでにこのマガジンのメルマガ発掘シリーズその4「天秤座。」でご紹介してしまってるのですが、いちおう続き物なので、加筆修正したものを再掲いたします。すみません^^;)


天秤座は、乙女座の次にくる星座です。

獅子座で、愛の源泉となる「我」を発見します。次の乙女座で、「我」をもった自分が「他人」と遭遇し、五感と思考の全てを使って観察を重ね、調整します。
そこで、乙女座の世界は、悲しみに包まれます。

乙女座を生きる心は「自分も相手も似た存在なのだから、きっと解り合えるだろう」と考えているのです。同じ人間だから、同じ時代を生きているから、同じように知性を持っているから、本当に話し合えば、詳しく調べれば、ちゃんとわかりあえるはずです。
さらには、もしかしたら「一体化」できるかもしれません。

このイメージは少女の描く「恋愛」や「結婚」のイメージによく重なります。
お互いが深く分かり合い、矛盾なく、一緒にいることで限りなく幸福になれる、という完璧な「愛」のイメージです。
「夢見る夢子さん」という揶揄がありますが、その「夢」は美しく、理想的です。

乙女座は、「現実的、リアリスト」というキーワードの一方で、「完璧主義」とも評されます。これは、矛盾しています。「現実」は、「完璧」とはほど遠いからです。
心身ともに働き者の乙女座の人々が時々、心底から疲れ切ったような、厭世的な表情を見せるのは、おそらくそのためなのかもしれません。

とはいえ、高い完全さを目指す理想を持ってでもいなければ、そもそも、そんなに現実にどっぷり向き合おうという意欲は、出てこないのかもしれません。


詳細に「他者」をみつめていくと、そこには、絶望的な断絶があることに気づいてしまいます。

どんなに見つめても、自分が「その人になる」ことはできません。
相手を望み通り操作することもできないし、相手と自分が同じ行動をすることもありません。
お互いに立場や役割が違い、価値観も違います。どんなに仲がよくても、どんなに話し合っても、なぜか解り合えないことが出てきます。

実はこの悲しみこそが、乙女座から天秤座への飛躍の、原動力です。

天秤座は、自分と他人が「違っている」ことを熟知している世界です。
乙女座の段階で抱えた絶望を、ちゃんと胸に抱いています。

他者と融合することはあり得ない。他者を全て理解し尽くすことはできない。

でも。

この「でも」が、天秤座のテーマです。

人と人とは関わり合っています。人間関係が社会や世界を成り立たせています。つながっていくしかないのです。

最後の最後では解け合えない、けれど、関わって、つながっていきたい。
こののぞみを、天秤座は叶えようとします。

天秤座は、主に以下のようなテーマを管理するとされます。

・婚姻
・ライバル
・敵
・裁判

天秤座の天秤は、「はかる」ための道具です。
「天秤」は古来、法律や裁判、裁定の象徴とされてきました。弁護士さんのバッヂの真ん中には、今も天秤が描かれているそうです。正義の女神は天秤を手にしているのです。
この天秤で、女神は善悪や大小をはかります。

べつべつに置かれた、断絶した存在同士を位置づけたり、つなげたり、関わらせたりするのが、「天秤」の役割です。
度量衡がちがっても、天秤ではかれば、公平に取引をすることができます。価値観が違っても、それを調整する道具があれば、なんとかコミュニケーションできるわけです。

天秤座は風の星座です。
理性という道具で、コミュニケートしようとします。
お互いの存在を切り離した上で、そこに、美しい橋を架けます。
もし、お互いのバックグラウンドが同じで、必ず意見が一致するなら、「天秤」は必要ありません。意見が違い、物差しが異なるからこそ、両者を「はかる」道具が必要なのです。
天秤は調整の道具ですが、その前提となるのは「たがいにわかりあえない」という現実です。
絶望しているからこそ、天秤を持ち出すのです。
離婚調停が裁判所に持ちこまれるのは、もはやお互いがお互いの力では解り合えなくなってしまったからです。裁判という天秤を使ってはじめて、話ができるというわけです。

天秤座を支配する星は、金星です。
金星は、愛を象徴する星です。
天秤座は、天秤がぐらぐらしているイメージからなのか、優柔不断だとか、バランス感覚に優れるとか言われます。

でも、私の経験では、どうもそういう感じはしません。
むしろ、ごく断定的に「決めてしまっている」印象が強いのです。
あれこれ悩みながら逡巡するなんて、ほとんど見たことがありません。
判断はシャープで、強固です。


天秤座生まれの人々は、誇り高く、物事を俯瞰しようとする方が多いようです。
上の方から見ないと「関係」は把握できないからです。
同じレベルでつかみ合いをしてもダメなのです。
少し離れたところから見極めて、なにかが「決まった状態」で、渦中に入ってきます。
そして、物事をきちんと切り分けて整理し、お互いを関わらせようとします。

このプロセスでは「外側から見て、物事を見極めようとする時間」が必要になります。確かに、「決断する・決定する・選択する」までには、少し時間がかかるのかもしれません。でも、「決めてしまう」こと自体に関しては、あまりぐらぐらすることが無いようです。

天秤座は、美しさを司る星座とされています。
ですが、物質的な美はむしろ、牡牛座や山羊座などの管轄かもしれません。
天秤座に星や重要なポイントを多く持つ方は、「美しさ」というより「全体」を感じさせる印象をお持ちです。
たとえば、スカートとシャツと靴とバッグに、ちゃんと「関係」があるのです。それぞれがまとまった全体の一部として選ばれています。決して、個々のアイテムが散らばった状態になっていないのです。

天秤座は「絵になる」人が多い、と誰かが評していましたが、そういうことだと思います。つまり、全体がひとつのものとしてコーディネートされているのです。
ものとものとの組み合わせ、ものとものとの関係こそが「美しい」のです。ひとつひとつのアイテムがありふれていても、その組み合わせをもって芸術が生まれます。
どんなに美しい色の絵の具でも、それが絵の具として単体である限りはまだ、芸術にはなっていません。

きちんと切り離しておかなければ、本当の意味で「愛する」ことはできないのかもしれません。

お互いの違いを深く知ってそこはあきらめたとき、初めて、解り合える、という体験をされた方も多いと思います。

「自分と相手は必ず解り合えるのだ」と思っていると、失望が多いのですが、所詮解り合えないのだ、と思っているときなら、突然通じたひとつの言葉がとても嬉しいのです。

お互いが別々のモノとして、橋を架ける。

この、天秤座の誇り高く理性的な世界に住んでいると、いつか、その「関わり」は息が詰まってきます。

孤独に苛まれ、お互いの違いがいよいよ絶望的なものに感じられます。

誰にも言えないことを、誰にも言わないままでいることは、人にとっては、とても苦しいことです。

お互いの差。公明正大に言えない秘密。手を伸ばしても触れない場所。

天秤座が創り出した「関係」は、しっかりしていて光に満ちています。

でも、そのことは、それだけではいつか、命を失ってしまうのです。

人と人とは、融合したい衝動と、個として分離したい衝動の両方を持っています。

誰かを見つけたときは、どんどん近寄っていきたいのです。でも、近寄れば近寄るほど、自分が失われていき、いつか「独立した自分」を取り戻したくなります。
この2つの動きは交互にやってきます。それがずっと繰り返されていきます。
両者をバランス良くまぜておく、ということもできないのです。
波のように、寄せては返すのです。

天秤座は、お互いの関係をいったんびしっと切り裂いてしまいます。
乙女座が五感の全てを使って抱きしめようとしたものは、天秤座の世界では、強引に引き離されてしまいます。

引き離された上であらためて、深い溝を隔てて、ちゃんと手を伸ばして、手をつなぐ、という合意が生まれるのが、天秤座の世界なのです。

そのあとの蠍座の段階で、この溝が再び、不思議なやりかたで埋め立てられます。
つながれた手は、そのままの距離と力ではいられないのです。


(「筋トレ」メールマガジン(2006/10/31号)より、加筆修正)