#MeTooから1年と半年。私の初めての性被害。


初めてこのnoteに#Me Too「私も。」という記事を書いてから1年と半年が過ぎた。

あの日から私の頭の中は、1日も欠かさず「性犯罪」「性差別」「男女平等」「フェミニズム」でいっぱいだ。それは私が私を救い切るために必要なことであると思っているし、絶対にそれが世の中の人のためにもなると信じているからなので可哀想だとかは絶対に思わないでほしい。好きでやっている。

あの記事を書いてから、私はあそこに書いたことが性暴力にあたると知った。現在進行形で弁護士さんを通して戦っている案件もある。あの記事を書くまで、私はあれが弁護士さんに介入してもらえるような件だとは全く思えなかった。

それは私があまりにも性暴力というものに無知だったということもあるし、芸能界ではあるある過ぎて誰も訴えることができるなんて知らないのだ。「訴えよう」という思考にたどり着けないのだ。個人の意思を無視して行為に及んだり写真などを発売することが暴力にあたるなんて、誰にも教えてもらっていなかったのだ。習っていないのだ。

初めての性暴力

記事を書いてフェミニズムや性暴力について学んでいって、思い返してみたことがある。

「私が初めて性暴力といえるものを受けたのはいつだったのだろう?」

痴漢を受けたことや、変質者に遭遇したことはない。

なんかあったかな・・・と考えていた。
一つあった。どこかにしまい込んでいた記憶だった。どうやってしまい込んだのかは覚えていない。

かといって完全に忘れていたわけではない。確実に人生において大きな出来事だったのに、なぜか深く考えずに心の何処かに置いておいた経験だった。

確か高校二年生から三年生になる春、私は名古屋でのアルバイトを見つけた。個人が経営するマッサージ店のティッシュ配りのアルバイトだった。

当時ウェブなんてものはそんなに発達していなかったので、確か普通に求人の冊子などで見つけて応募したのだと思う。人からの紹介などでは決してなかった。普通に高校生オッケーのアルバイト。

ティッシュ配りをしていると、「マッサージもやってみる?」と言われた。マンションの一室でするマッサージ。事前に何回か研修みたいなものも受けた。私は親指が極端に曲がるので(まじでめっちゃ曲がる)、「マッサージにむいてる指してるね」と言われたことをすごく覚えている。高校二年生。それが男性向けの場所だとか、営業許可を取っているかいないかとか、高校生の女の子に価値があるとされるとか、何にもまだ知らない年齢だった。

初めてのお客さんだったか、そうじゃなかったかの記憶はない。
個室でのマッサージの最中、私は私の意思を無視してセックスをされた。
覚えているのは当時その人が名古屋テレビで働いていると言っていたこと。顔は覚えていない。

多分レイプといっていいと思う。当時訴えたら絶対に勝っていただろう。私は未成年だし、マッサージ店だったし。

もう15年くらい前のことなのに、瞬間瞬間は鮮明に覚えている。
その最中の感覚も覚えている。
あの時の私の頭と心の中は「無」だった。
何が起こっているのか分からなかった。
「まぁまぁまぁ」みたいな感じで進められた。
相手がコンドームをしていたのかは分からない。

よく、「レイプは殺されるかもしれないと思うから抵抗できない」などという。それはもちろんあるだろう。
ただその時の私は、頭が真っ白で何も考えることができなかった。
「フリーズ」ってああいう状態を指すんだな、と今なら分かる。
殺されるとか殺されないとか考える能力もないというか、いったい自分に何が起きているのか分からない。理解が到底できないことが目の前で起こっていた。

最中に泣いたか終わった後に泣いたか、どちらだったかそこは覚えていない。

確か3000円くらい置いてかれたような気がする。
終わった後に店長に泣きながら訴えた。

私がこの日に一番覚えているのは、この店長がびっくりも焦りも怒りも警察に行くことも何もしなかったことだ。私には何て声をかけたっけ。なんか穏やかに「そっか・・・」とかそんな感じだったと思う。

その後その男と店長はベランダで座りタバコを吸いながら何かを話していた。

私は部屋の中で待っていた。放心状態だった。その二人の背中を眺めていたのは覚えている。

話し合いが終わった後、店長に「そういうのない子だから・・・って言っておいたよ」みたいなことを言われた。

一連の出来事の理解が17歳くらいの私にはできなかった。

私の心が健全じゃなくなったのはそこからな気がする。
私が私のことを好きだと思えなくなったのはそこからな気がする。
私が私に自信が持てなくなったのはそこからな気がする。
私が私の感情や意見を間違っていると思うようになったのはそこからな気がする。

自分にとってすごくショックな出来事に、誰も怒らなかったし誰も反省もしなかったからだと思う。

あれはまるで、「私はそう扱われて当然、当たり前」だと言われているように感じられた。

だからなのか、私はその後にマッサージのお店のバイトをやめていない。被害者なのに不思議な行動だと多くの人が思うだろう。私にもわからない。「きっと、あそこで泣いたり辛いとか思った自分の方がおかしかったんだろう。」そう思った。

そこから私は、私の身体をどう扱って良いか決める権利が、私ではなく他人にあると錯覚するようになってしまった。

自己決定権の消失

「自分には自分のことを決める権利がある」という当たり前のことに気がつくまでに、そこから10年以上かかってしまった。

これはあくまで私の意見だし、比べるものではないということはもちろん分かっている。それを前置きした上で言いたいのだけれど、私は性被害そのものよりもそのあとの二次被害の方が人生をめちゃくちゃにされたと感じている。

あの日から私は私に自己決定権はないと信じて生きてきた。それゆえ多くの性犯罪に何度もあってしまったと思う。
私の感覚や思いは全て間違っていると信じて生きてきた。だから、ネット上で「お前は価値がないんだから脱ぐべきだ」などと言われ続けると本当に自分には人間としての価値がないのだから脱がなければいけないのだ、それ以外のことがしたいと思ってもする権利がないのだと思っていた。
許可していないグラビアのDVDが発売されても、私は脱がないと価値がない人間なのだからそういうことをされても当たり前だと思っていた。従うしかないと思っていた。
芸能の仕事をしたいのならばセックスを受け入れるべきだと言われたらそうなんだ、と信じていた。

私の好きなものは?
私の嫌いなものは?
私は何がしたいのか?
私は何がしたくないのか?
私は誰とセックスがしたいの?
私は誰とセックスがしたくないの?

そんなことを考える権利があるなんて知らなかったし、女優とかライターとかになりたいと思ってもいいことを知らなかった。なりたいと思って頑張るということをしてもいいのだと知らなかった。

「私って誰かとのセックスを断る権利を持っているの?」
と大真面目に思っていた。

だって、私の身体を自由にする権利が私ではなく他人にあったし、それが当たり前なんだと信じていたからだ。

当たり前だけどレイプはその行為自体がひどい犯罪だ。
だけど、セカンドレイプもなぜこんなにダメかって、被害者の生きていく上での自己決定権や主体性全てを奪ってしまう可能性が高いからだと私は思っている。

性犯罪にあった自分を責めるようなことを言われ続けると、自分もその言葉を信じてしまう。自分が自分を責め続けた時、自分は「自分には人間としての権利があるということ」をすっかり忘れてしまう。

それは思った以上に恐ろしいことだ。色のない人生を送ることになる。
「お風呂に入ることが好き」とか、「あそこのお菓子を買って食べるのが幸せ」とか、「お部屋にお花を飾った時の幸せ」とか、全て人生から失われるのだ。
自分が何が好きかなんて考えて良い存在だとは思えないから。

自分の価値を取り戻すために必死になる。自分はそんなひどい扱いを受けても当然だと思っているので、なんとか人として扱われるようなことをしないといけないと必死になる。結果、やりたくないこともして、望んでいないセックスを受け入れてしまったり、明らかにおかしなことも受け入れてしまったりする。

じゃあどうしたらそうならなくて済むのか?

もちろん性犯罪者がいなくなるのが一番だ。そんな事件が起きないのが一番だ。
で、これは性犯罪はなくせないことを前提としているわけではない。私は性犯罪自体をゼロに絶対したいと思っている。

その上で、それでも被害にあってしまったときにどうしたら精神的ダメージを最小限に抑えられるかって、周りの人間も自分もその起きた性犯罪にがっつり怒ることができるか、ということだと思う。

これは警察もだし相談された人もだしネット上の匿名でなんでも言える人たちもだし、全ての人に大きな責任があると思う。

あなたの一言がその人の人生を大きく左右しているかもしれない。

私はMe Too「私も。」の記事にも書いたように、警察に相談をしに行った時に「仕事のためにセックスするんですか?」と言われたことがある。断る権利が自分にあるなんて知らなかったし、警察みたいな偉い人にこうやって言われて私は、「そうだよね。私が悪いよね」と信じてしまった。相談しに行った件の相手はその時点で既に私がされた内容と同じことで一度捕まっていたし、その後も何回も捕まっている犯罪者であったのに。

そこから約10年ほど、#MeTooムーブメントが起こるまで私は性犯罪にあったということに気がつけなかった。

だから、全ての人に自分が発言をするときは一旦考えて欲しい。

あなたのその何気無い一言、何気無い投稿は何か良い方向に物事が向かうものですか?

人の人生をめちゃくちゃにしないと言い切れますか?

「あなたにも責任があるのでは?」というその言葉、何か役に立ちますか?事件が解決しますか?事件の予防になりますか?

そう思っているのなら本当にそうですか?

私も含めですが、その一言が他人の人生を大きく変えてしまうことがあるかもしれません。時には人を一人殺してしまうこともあるかもしれません。

どうせ何気無くこだわり無く発するのなら、人を殺すより幸せにする方を選んだ方が自分も幸せではありませんか。

そんなことを、この一年半の間にずっと考えていた。
少しでも性犯罪に怒れるような社会に近づけたら。
他人に自分の身体を侵害されるということは犯罪なんだと全ての人が小さな時から学んでいれば。

そう強く思うので、そういう社会に、そういう日本にするために私は選挙に行く。

#KuTooで知った。声を上げれば少しずつでもおかしなことは変わっていく可能性があるのだと。

それは私に限ったことではもちろんない。
全てのこの世界に生まれてきた人がそうなのだ。
そうでなければならないのだ。


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グラビア女優・石川優実です。 様々な形で、性や男女の違いについて表現しています。 100円から支援ができます。今後の活動費や私が幸せを感じるものや事に大切に使わせていただきます。

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石川優実

グラビア女優です。性や男女の違いについて表現しています。映画・舞台・グラビア・文章など。

#MeToo

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