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宮崎産マンゴーがトップブランドになった理由【連載1】

マンゴーと言えば「太陽のタマゴ」宮崎産マンゴーと想起してしまう。もちろん沖縄産マンゴーも美味しいという人もいるが、ブランドイメージが高いのは「宮崎産」に落ち着く。

実は約30年前、宮崎産マンゴーは売れなかった。東京中央卸売市場で相手にしてもらえなかった。それがトップブランドになった。

マンゴー生産量日本一は沖縄で約2000トン(宮崎は沖縄の約半分)。沖縄は国産マンゴー発祥の地で明治初期に栽培が確認されている。

東京中央卸売市場における宮崎産マンゴーと沖縄産マンゴー1㎏の価格差は、2.54倍(2017年)と年々開いている。

売れなかった宮崎産マンゴーがなぜトップブランドになったのか? その理由を分析解説(連載)する。


1.生産農家、関係者の樹上完熟マンゴーへのこだわり

 1985年(昭和60年)宮崎県成都市生産農家8戸でハウスマンゴー部会が結成されマンゴー栽培がスタート。

1988年8月宮崎県産マンゴー250㎏を初出荷。生産農家が贈答用果物として東京都中央卸売市場へ出荷するが品質が評価されず炭疽病も発生したため売れなかった。地元宮崎でも認知度が低く試食さえも食べてもらえないほどだった。1989年までは東京、大阪など県外出荷が8割を占めていたが県内へシフトし1990年には県内出荷が8割占めた。

一方、沖縄産マンゴーは、県内全域でミカンコミバエ(1986年根絶)、ウリミバエ(1993年根絶)が根絶したことから生産が拡大し本土市場へ出荷が増え始める。当時は安い外国産マンゴーが圧倒的に市場シェアを占めていた。1993年(平成5年)当時、国内産の沖縄産シェアは91.1%だった。


 後発の宮崎産マンゴーは、先行する沖縄産マンゴーとは違う切り口、独自性が必要だった。宮崎産マンゴーの独自性が「樹上で完熟させる」完熟マンゴーだった。


JA西都・楯彰一氏は、落果するマンゴーへの対策を生産農家から相談を受けた際、樹上で完熟し自然落果したマンゴーを食べてみると甘く美味しいことに気が付く。当時は8~9割熟したものを剪定し収穫する方法が一般的だった。8~9割熟したマンゴーを剪定し収穫したものより、樹上で完熟したマンゴーの方が美味しい。濃厚な甘さと柔らかい酸味、とろけるような食感の違いは歴然だった。


ただし、完熟し自然落果するマンゴーをネットで収穫する事例がないので収穫方法を独自で開発する必要があった。後で完熟マンゴー収穫ネット開発の経緯を述べるが、楯彰一氏や生産農家の樹上完熟マンゴーへのこだわりが、専用収穫ネット開発につながった。

→連載2に続く



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