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杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その17第六海軍航空隊(六空)

 四月一日、基地航空兵力の編成替えがあり、開戦前から少ない兵力で内南洋方面の警戒及び南東方面の進攻作戦を続けてきた二十四航空戦隊は二十六航空戦隊と入れ替わることになった。航空戦隊は複数の航空隊をもち少将クラスが指揮をする。二十六航空戦隊は、木更津航空隊、三沢航空隊、第六航空隊(六空)で新編成されたもので次のようになる。

「基地航空兵力」
第十一航空艦隊(司令長官 塚原二四三中将)
 第二十一航空戦隊(司令官 多田武雄少将)
  鹿屋航空隊(戦闘機三十六機、陸上攻撃機四十八機)
  東港航空隊(飛行艇十六機)
  付属 輸送機五機
 第二十二航空戦隊(司令官 吉良俊一少将)
  美幌航空隊(陸上攻撃機三十六機)
  元山航空隊(戦闘機三十六機、陸上攻撃機三十六機)
  付属 輸送機五機
 第二十三航空戦隊(司令官 竹中龍造少将)
  高雄航空隊(陸上攻撃機六十機)
  第三航空隊(戦闘機六十機、陸上偵察機八機)
  付属 輸送機六機
 第二十四航空戦隊(司令官 後藤英次中将)
  千歳航空隊(戦闘機三十六機、陸上攻撃機三十六機)
  第一航空隊(戦闘機三十六機、陸上攻撃機三十六機)
  第十四航空隊(飛行艇十六機)
  横浜航空隊(水上戦闘機十二機、飛行艇十六機)
  第四航空隊(陸上攻撃機四十八機)
  台南航空隊(戦闘機六十機、陸上偵察機八機)
  付属 輸送機八機
 第二十五航空戦隊(司令官 山田定義少将)
  付属 輸送機七機
 第二十六航空戦隊(司令官 山縣正郷中将)
  木更津航空隊(陸上攻撃機三十六機)
  三沢航空隊(陸上攻撃機三十六機)
  第六航空隊(戦闘機六十機、陸上偵察機八機)
  付属 輸送機七機

 木更津航空隊は、これまで陸攻搭乗員の養成航空隊であったがこの日をもって作戦部隊に切り替えられた。その兵力の半分は鹿屋航空隊から移されたもので兵力整備や訓練は未完のままだった。三沢航空隊は昭和十七年二月に新編成され、整備、訓練中であった。第六航空隊(六空)も昭和十七年四月一日に新編成された戦闘機に特化した部隊であった。

 六空司令は森田千里中佐、飛行長玉井浅一少佐、飛行隊長兼分隊長新郷英城大尉、戦闘機分隊長宮野善治郎大尉及び牧幸男大尉、偵察機分隊長美坐(みざ)正巳大尉という幹部編成であった。宮野、牧、美坐はともに海兵同期(六十五期)である。
 六空の搭乗員定数は百二十名とされた。太平洋戦争初戦で活躍した台南海軍航空隊と第三航空隊の下士官搭乗員を核として、前年末や三月末に戦闘機課程を終えた杉田らの新人の戦闘機搭乗員で構成されていた。先任搭乗員には岡本重造一等飛行兵曹(操練三十一期)があてられた。

 編成時、木更津には数機の零戦しかなかったが、艦上戦闘機六十機(常用機四十五補用機十五)、偵察機八機(常用機六補用機二)が定数とされ、艦上戦闘機には零戦二一型を充て、新品が完成次第、中島飛行機会社まで搭乗員が出向いて検査・受領し移送してくることになっていた。偵察機は、旧式の九八式陸上偵察機であったが、夏以後には新しい二式陸上偵察機に交替する予定であった。
 搭乗員や飛行機だけでなく、整備員、兵器員、主計科や看護科など大量の人員や必要機材などを揃えなければならず、新規の部隊編成は莫大な労力を必要とした。

 四月六日、杉田は一週間の旅行期間をもらって木更津基地の第六航空隊(六空)に着任する。大分航空隊から戦闘機搭乗員として同時に転勤したものは十五人である。予科練、飛行練習生(飛練)、大分空と一緒だった杉野や谷水もこの十五人に含まれていた。

 この後、作戦直前まで搭乗員の訓練が行われることになるが、新人の錬成期間は平時よりかなり短くなり、技量の評価はまだ低かった。作戦開始時点(五月二十日付け)での現状で、A級二十五名、B級0名、C級三十一名、D級0名という評価であった(技量最上位がA級、C級は昼間作戦可能、D級は作戦に使えないという評価基準である)。ベテラン搭乗員はもちろんA級だ。杉田ら新人搭乗員はかろうじて離着陸ができる程度のC級とされた。『戦史叢書』にも「整備や訓練が遅れていた」と記述されている。

 練習用の九六式艦上戦闘機(九六戦)十五機と出来上がるのを待って移送してきた新品の零式戦闘機(零戦)三十機がそろったところで、FS作戦を想定した訓練が始められた。

 当時はまだMI作戦が固まっているわけではなく、大きな作戦が近々あることを感じながら、六空では実戦を意識した戦闘訓練を開始する。九六戦と零戦とを並行して使用し訓練しているため自然と両戦闘機は比較されることになる。杉野は次のように述べている。

「先輩たちが零戦を領収して空輸して来るたびに、列線が賑やかになる。十機、二十機、三十機と増えて来ると力強さを感ずる。そうして、九六戦から零戦の訓練に進んでいった。零戦が高馬力、高速で、じつに安定のよい飛行機に驚くばかりであった。定着訓練も、九六戦より安定して容易である。定点を銃眼口から覗く九六戦にくらべると、視界がきわめて良好であり、安定した定着ができた。また、高高度の操縦訓練も、九六戦より性能はよく、何から何まで申し分のない飛行機であった。」

 ただ、一つだけ初期零戦の欠点として、胴体タンクから翼内タンクへ燃料を切り替えるときにうまくエンジンが起動しないことがあり、この不具合から杉野は暴風林の杉林の中に突っ込む不時着事故を起こしてしまう。幸い杉野は無事だったが、開発者の堀越二郎技師が現場調査に来てこの欠点についての改良を行うことになった。

<参考>

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