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杉田庄一物語その30 第三部「ミッドウェイ海戦」 杉田初出撃

 九月十三日、六空戦闘行動調書に初めて杉田が登場する。任務はラバウル上空哨戒である。まだ訓練をかねた出撃なので、ガダルカナル島遠征作戦には連れて行ってもらえない。

 午前九時に発進し、十一時三十分に帰着している。「上空哨戒スルモ敵ヲ見ズ」と記録されている。編成は、第一小隊一番機 神田佐治一飛、二番機福田一博三飛曹、三番機杉田庄一二飛、第二小隊一番機小林勇一一飛、二番機木股茂一飛、三番機加藤好一郎二飛だった。国立公文書館アジア歴史資料センター「六空戦闘行動調書」には次のように記されている。

 訓練を兼ねているためか士官は編成に入っていない。指揮官機の左側が二番機、右側が三番機となる。編隊で敵と遭遇すると、通常は左旋回する。当然三番機がいちばん外側で大回りをすることになるので敵から集中攻撃を受けることになる。カモ番機と呼ばれる位置で、たいがい新米がつとめることになる。このカモ番機で生き残れることがまずは新米としての大事な役目である。中隊単位で編隊を組む場合、三小隊三番機は特に狙われやすく、初陣で命を落とすケースが多かったという。

 九月十四日、陸軍によるガダルカナル島総攻撃が実施されるが、失敗に終わる。この日から二十六日までソロモン群島では悪天候が続き、零戦と陸上攻撃機による攻撃隊はしばしば途中から引き返している。

 九月十五日午前九時から、基地上空哨戒任務にあたっていた第一小隊ならびに第二小隊が十一時に帰着中、警報がなりB17爆撃機が三機来襲した。すぐさま追撃し、攻撃をしたが雲中に逃げられている。この日も第一小隊カモ番の三番機に杉田が搭乗していた。編成は、第一小隊一番機大正谷(おおじょうだに)宗市三飛曹、二番機木股茂一飛、三番機杉田庄一二飛、第二小隊一番機武田彌一飛、二番機矢頭元佑一飛、三番機加藤正雄二飛、第三小隊一番機川真田勝敏中尉、二番機金光武久満中尉、三番機平井三馬飛曹長、 第四小隊一番機松村百人一飛曹、二番機鈴木軍治一飛曹、三番機日高義己一飛曹だった。

 九月二十三日、ラバウルへのB17による爆撃は連日続いており、もはや六空では基地上空哨戒任務がルーチンになっていた。ブイン基地には見張り所も皆無で、対空砲火もわずかしかなく、頭の上に敵がやってきてはじめて敵襲の合図が出される始末であった。敵もこのころはかなり手薄になっていて、一機か二機やってきて神経戦としての爆撃を行なっていた。ジャングルの中にいい加減に爆弾を落として、さっさと帰っていく。しかし、落とされる方にはやはり被害が出ることがあり、常に緊張を強いられることになった。戦死者も出ていた。

 この日、杉田は午前十一時四十五分から十四時十五分までラバウル上空哨戒任務についている。編成は、第一小隊一番機川真田勝敏中尉、二番機中野智弌一飛、三番機山根亀治二飛、第二小隊一番機鈴木軍治一飛曹、二番機杉田庄一二飛、三番機渡辺清三郎二飛だった。敵との遭遇はなかった。

<参考>


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