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杉田庄一ノート95 「最後の撃墜王 紫電改戦闘機隊長 菅野直の生涯」(碇義朗)に書かれた杉田庄一

碇義朗氏の「最後の撃墜王」は菅野直の生涯を幼少期から追った渾身の書である。特に中学校時代、文学少年だった菅野の一面をその日記から掘り起こしているのは一読の価値がある。ナイーブでロマンチックで全く別の菅野を知ることができる。

菅野と杉田は、昭和19年の二六三空で出会ってから昭和20年三四三空で戦死するまで上司と部下の関係で過ごす。「最後の撃墜王」には、二人のエピソードがたくさん出てくる。

以下は、菅野が二〇一空に配属になり杉田を部下にもつ経緯。
「搭乗員の選択にあたっては先任の飛行隊長から順に気に入ったのをとった。菅野が分隊長になった戦闘三〇六飛行隊は、隊長の森井宏大尉が一番後輩だったことから、他の隊長の指名にあぶれた者が自動的に隊員になった。
 彼らは、どちらかといえば空戦には強いが暴れん坊で、扱いにくいとして敬遠された者が多かったが、森井大尉の戦死後、代わって飛行隊長になった菅野はなぜか彼らに慕われ、その代表格が杉田だったのである。
 杉田は昭和十八年四月十八日、ブーゲンビル島ブイン付近で山本長官の乗機が撃墜された際、護衛していた六機の零戦搭乗員の一人だった。その後あいつぐ戦闘で一人が負傷し内地送還、四人が戦死してしまい、杉田は山本長官戦死の責任を一人で引きずって生きていた。だから、どんな危険な戦闘にも率先して出ていったし、つねに死ぬ気で戦っていたから、敵も恐れをなして杉田機を避けた。
 空戦技倆抜群のうえに、こうした捨て身の気持ちが加わっていたから、彼の戦闘ぶりは際立っていた。列機としてはこれほど心強い男はいないはずだが、気性が荒くて使いにくいとして他の隊長からは敬遠されていたのだ。その杉田が菅野に心服し、この隊長の悪口をいおうものなら、即座になぐりかかるほどの入れ込みようだったのである。」



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