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杉田庄一ノート105 「秘めたる空戦」(松本良男/幾瀬勝琳)

 かなり前の話になるが、この「秘めたる空戦」がリアリティのある空戦記として話題になったことがあった。すでにネット時代に入ってのことだ。三式戦闘機「飛燕」のパイロットである松本氏のラバウル時代から終戦までの記録である。いま、読み返しても、空戦記というよりも小説として読み込める面白さがある。
 実際、この空戦記はNHKアナウンサーから作家になった幾瀬氏が、旧制中学校の同級生だった松本氏の「手紙と手記を整理し、首尾を整えたもの」という体裁をとっていて、事実なのか小説なのかが今ひとつわからないのだ。部隊名は実在しないし、松本氏の写真などもない。いや、松本氏は実在するし、写真も存在するという話もある。陸軍で使わない「搭乗員」という言葉が使われていてあきらかに創作だという説もあるし、幾瀬氏が海軍航空隊の予備士官だったので、ついつい「搭乗員」と書いたのだろう、英語も普通に使われていて読みやすくしているだけだという擁護論もある。

 ともあれ、読んでいてたいへんリアリティを感ずるのだ。会話に悲壮感が感じられず、たんたんと細部まで細かく描写されているのが特徴的である。幾瀬氏が手記を書いている部分と松本氏からの手紙という形態で書いている部分とがあって
それぞれ常体と敬体を使い分けている。この敬体の文章がまた独特のリアリティを増している気がする。以下は手紙に書かれている離陸場面。
「キャノピーから半身を乗り出した中隊長から、『チョークはずせ』の合図、つづいて発進であります。
 ピッチ三五、機はスルスルとはゆかず、ノロノロと前進をはじめました。
 なにせ装弾は満杯、燃料は第一タンク三四〇リットル、第二タンク一六〇リットル、第三タンク二百リットル、それに一六〇リットルの増槽を二本、合計一〇二〇リットル。燃料だけでも一〇〇〇キロはあります。
 搭載量のリミットは九七〇キロなのに、弾丸ともに二〇〇キロ以上のオーバーであります。全備滑走距離一六〇〇メートルで浮けるかどうか心配であります。
 次第に加速し、メーターは時速一九〇キロでもまだ浮く気配なし。ブースト一杯、ピッチ四五に上げると、心持ちスピードが増しました。
 全長二〇〇〇メートルの滑走路の端がぐんぐんと迫ってきます。時速二二〇キロ、ステッキをわずかに手前に引くと、機はゴソゴソッと地面を離れ、ステッキの引きに正直にあわせて、機首をチョッピリもたげたまま、上昇せずに水平に飛んでゆきます。」

 ところで、べらんめい口調の人情小隊長と松本少尉のかけあいもこの本のユニークなところだ。戦闘後、松本少尉は必ず隊長から基地へ戻るまでの距離や進路を聞かれている。それを瞬時に答えるため、操縦席に計算式を書き込んで対応している。
「『松本!』
 『はい、松本!』
 『燃料残、ウエワクまでの距離、進路・・・・どうなっている・・・・。ただちに報告せい』
 いつもこれだ。どうしてか必ずこのペエペエの私にやらせるのだ。
 『燃料残二二〇リットル。時速四〇〇キロで四二〇キロ飛べます。ウエワクは北四五度東、約四〇〇キロ。以上』
 『進路修正したか』
 『しておりません』
 『ようーし。ハンサに向かう。松本、ハンサまでの距離、進路をただちに報告せい!』
 『了解、ただいま・・・』
 『早くしろ・・・、みんな疲れたか・・・・。ウエワクまでは届かねェ。ハンサへゆく。心配するな。松本がキッチリと出してくれる。その通り飛べばいいんだ」
 隊長はそういった。だが、私の出した進路や方位だけで飛ぶのでは決してない。隊長みずから正確に計算し、編隊を誘導しているのだ。私の出した数字は、その参考にするだけであった。
 『計算出ました。ハンサは北四三度、三一〇キロにあります。以上』
 『了解。これよりハンサに向かう!』

 ところで、普通に機上電話(無線)で会話をしているが、海軍機の零戦では無線はまったく使えず、中にはアンテナ棒(木でできていた)をへし折ってしまう者も多くいたという。搭乗員(パイロット)たちは、空中では指会話で合図をおくっていたとされるが、編隊空戦が常態になると無線が使えないことは致命的な欠点となってしまう。陸軍機は、エンジンにアースをとることで雑音の発生を防いでいたのだが、なぜ陸軍と海軍でこのような重大な情報を共有できなかったのかが問題である。戦争末期、三四三空ではこの情報を得て、空中無線で隊長から指示を出すことができた。

 さて、杉田との関係はどこにあるのか・・・・。この本の冒頭、「ダンピールの悲劇」と言われた作戦で松本氏は空戦デビューをする。実は、このダンピールの作戦に杉田も参加しているのだ。
 東部ニューギニア方面の戦略体制強化のため、第五十一師団の主力約六千九百名の陸軍将兵がラバウルからニューギニア島ラエに進出する。ダンピール海峡を輸送船八隻で渡ろうとするが、事前に暗号を解読して作戦を知った米軍機が来襲し、輸送船団と将兵たちが全滅した。これが「ダンピールの悲劇」というできごとである。この輸送船団を護衛するために陸軍と海軍は協力して哨戒任務についていたのだ。

 本文中に、「三日目。第一陣の零戦が暗いうちに出撃。」・・・「零戦は一二機とも無事でありました。『やるもんだなあ』と感心し、はるか海面を眺めると、海上は見るも無惨、惨憺たる有様でした」・・・「わたしたちの姿を見つけた零戦は、バンクを振って高度約三〇〇〇メートルのところを、北東に去っていきました。彼らの仕事は終わったのであります」とある。

 この日、二〇四空にいた杉田の行動もわかっている。この日、二〇四空は二交代で哨戒に出撃している。一直は早朝五時三十分から小福田少佐に率いられて四小隊十二機で、二直は入れ替わるように九時十五分から十三時四十分まで森崎中尉が指揮をして四小隊十二機、計二十四機が出撃している。杉田は一直の第一小隊三番機だった。つまり松本少尉の見た交替する零戦の中にいたのだ。

 まあ、それだけの話ではあるが、この作戦により、輸送船七隻、運送艦一隻、駆逐艦荒潮、朝潮、白雪、時津風が沈められた。わずか十数分で、陸軍の上陸部隊三千六百名が戦死する。目的地のラエに到着したのは第五十一師団長を含め八百五十七名だった。翌日の駆逐艦乗員などを含めると五千名以上が失われ、輸送作戦は失敗した。この作戦が完全に失敗したことで関係者はそれぞれ敗因を分析しているが、航空兵力に圧倒的な差がついたことが共通認識であった。特に、三月三日の攻撃は豪軍をのぞけば、すべて米陸軍機だったことが注目された。米軍は陸軍機を増加してきていたのに対して、南東方面における日本軍航空兵力の損耗が激しかった。ラバウル、ブイン、ブカ、カビエンに展開している各航空隊の定数は三百四十八機であるのに、相次ぐ損耗で作戦可能な実数は零戦九十機を含んでも約百六十機までに減っていたのである。

 もともとこの輸送作戦は航空の劣勢から無理と思われていたのに、甘い状況判断のまま作戦を押し切ったことが各方面から指摘された。これまでもガダルカナル島での輸送に使うなど駆逐艦のみが牛馬のごとく使われていて、現場の不満も高まっていた。ラバウルに帰還後に朝雲艦長岩橋中佐は第八艦隊司令部に乗り込んで「こんな無謀な作戦をたてるということは、ひいては日本民族を滅亡させるようなものだ。よく考えてからやっていただきたい」と怒鳴った。しかし、すでに主力艦艇を動かすための石油が十分にはなくなっていたことも考えねばならない。

 ところで、連合国軍機がダンピール海域で漂流している生存者と救助活動を行っている日本軍艦艇に対して掃討戦を行ったのだが、数日間にわたって航空機ならびに魚雷艇が漂流中の日本軍生存者を機関銃で掃射し、のちに連合国軍内で問題となっている。

 この「秘めたる空戦」を滝沢聖峰氏がコミックにしている。「飛燕独立戦闘隊」である。慰安婦とのエピソードが除かれているが、空戦など細かいところまで忠実に再現していて驚く。ダンピール海峡上空の二〇四空零戦の編隊が交代で飛んでいくカットがある。




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