見出し画像

杉田庄一物語 第二部「開戦」 その14太平洋戦争開戦

 十二月一日、御前会議で開戦が決議され、二日には連合艦隊旗艦の戦艦「長門」から全艦船部隊に対して、開戦を示す暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」が発出せられた。
 十二月八日、日本時間午前七時に大本営政府連絡会議は、宣戦布告を発表する。日本軍は、マレー半島のイギリス領に上陸し南方作戦を開始した。
 南方作戦の目標は、香港、シンガポール、マニラの重要軍事拠点を潰し、英国の支配下にある石油やゴムなどの軍需資源を確保することにあった。
 マレー攻撃の一時間後に海軍の機動部隊が真珠湾を攻撃する。残念ながら、最後まで宣戦布告後の攻撃にこだわっていた山本長官の意に反して、米国への通告は攻撃後になってしまう。その後、山本は、死ぬまで「だまし討ち」と言われるのを気にし続けることになる痛恨事であった。

 真珠湾攻撃の方の目的は米軍の太平洋艦隊、とくに機動部隊を殲滅することであった。真珠湾に停泊していた戦艦などの八隻の主力艦を爆撃によって無力化した。当時の米海軍の保有する戦艦は十五隻であったので、この時点で戦艦を十隻保有する日本海軍の戦力が上回ったことになる。しかし、太平洋側にいたレキシントンとエンタープライズの二隻の空母は演習中で真珠湾にいなかった。
 米空母への二次攻撃は当然あるものと多くの参謀たちは思っていたが、南雲第一航空艦隊司令長官はそのまま帰投する。「艦隊派」であった南雲にとっては、戦艦を叩くことが重要であり、空母のもつ戦略的な価値をそれほど重要視していなかったと言われている。あきらめたように山本長官は、「南雲はやらんよ」とつぶやいたという。このとき撃ちもらした三隻の空母が、結果的に日本海軍を壊滅に追い込むことになる。

 同じ日、ドイツ軍はモスクワ攻撃を放棄してる。この日から、ドイツ軍はじりじりと負け続けるのだが、皮肉にも日本軍はドイツの勝利を前提として開戦に踏み切ったのだった。

 開戦時の作戦は大成功に終わる。マレー沖海戦では、英国海軍の誇る戦艦プリンス・オブ・ウェールズと戦艦レパルスが南部仏印基地から発進した陸上攻撃機による雷撃で沈められた。また、ハワイ攻略でも米機動部隊を逃した以外は米太平洋艦隊の主要艦艇を全滅させる戦果を得た。次なる手はいかに・・・、実は不確定であった。第二航空戦隊の航空参謀であり中枢の動きを知る立場にいた奥宮正武が『ラバウル海軍航空隊』(奥宮正武、朝日ソノラマ)に次のように書いている。
「太平洋方面における全般作戦の動きがあまりにも早く進みつつあったので、戦争指導に最高の責任をもつ東京の大本営、すなわち大本営陸軍部及び海軍部では、早急に時期の作戦をどうするかについて、研究をはじめざるをえなくなっていた。」

 開戦時の第一段作戦(真珠湾作戦とマレー作戦)が成功裏に終わったこの時期になって、ようやく次にどのような作戦を展開するかを研究し出したということだ。
 開戦前から立てられていたマレー作戦は、マレー半島からフィリピン、ジャワ、スマトラ、ボルネオ、ビスマルク諸島の占領だった。緒戦からのいきおいでソロモン群島と東部ニューギニアをも難なくおさえた。第一段作戦はもっと長い期間を要すと考えられており、その間にドイツやイタリヤが戦線を東方に展開してくるだろう、インドで合流できるだろうと考えられていた。この間、敵との戦いの中で次なる手を考えていけばいいという方針だったが、米英軍は予想よりも弱体だったので、いきなり広範囲の占領地を手にしてしまったのだ。手にしたものは守らねばならない。太平洋全域に基地と軍事的物流網を早急に築く必要ができてしまう。
 しかも、ここで時間をかけると米国の巨大な生産力が動き出す。米国が本気を出して反攻してくる前にオーストラリア(豪州)を孤立させて戦局を有利に導いてしまおうという企図だけはできていた。しかし、広範囲に広がる戦場をどう戦略的に進めていくのかという具体策については陸軍とも調整がつかず、海軍内部でも揺れていた。
 陸軍は「米豪遮断」に対して慎重だった。海軍内部でもインド洋にこのまま攻め入って東進してくるはずのドイツ軍と手を結ぶ案や米海軍の機動部隊を殲滅する案など初戦の勝利に驕りに浮かれた案がいくつも出されていた。
 最終的には「米豪遮断作戦」構想に落ち着き、その準備が進められることになる。そして、この作戦上の要衝地がラバウルであった。

 ラバウルは開戦時すでに連合艦隊の基地として機能していたトラック島から南方七百浬(約千三百キロ)にあり、豪州北東部、ニューギニア東部、ソロモン諸島、ニューヘブリデス諸島、ニューカレドニア島などに展開できる扇の要にあたる地であった。
 もともとはドイツ領ニューギニアの首都として開発されたが、第一次世界大戦後はオーストラリアの委任統治領となり、この方面での行政や経済の中心となっていた。
 日中戦争において長距離遠征の実績のある零戦をもって行動すれば、この範囲で制空権を得ることができるという机上の論もそこに働いていた。

 米国と豪州を戦略的に遮断し、シーレーンを押さえる。そのためには制空権を得る必要があった。航空基地の要衝としてラバウルにに基地航空隊を展開することで制空権、制海権が日本のものとなる。
 今一つの理由として、ニューカレドニア諸島に産出するニッケルを手に入れることがあった。航空エンジンにかかせないベアリング、その軸受け部に使われるのがニッケル合金である。ニューカレドニア諸島は世界一のニッケル鋼の産地であった。

 ところで「太平洋戦争」は、第二次世界大戦の中の太平洋地域での戦いと位置付けられており、本物語ではその呼称を使用する。

<参考>

〜〜 ただいま、書籍化にむけてクラウドファンデイングを実施中! 〜〜

クラウドファンディングのページ

QRコードから支援のページ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?