見出し画像

ベルP-39エアラコブラ(1938)

 ミッドシップ・エンジンのスポーツカーは数多くある。最も重いエンジンを車全体の重心近くに置くことで、走る・曲がる・止まるすべての性能が良くなることが分かっている。しかし、人間が乗って使うには一番使い勝手の良い位置をエンジンが占めてしまうので実用性がなくなってしまう。故に実用性を二の次にしたスポーツカーでしか採用されない。このミッドシップ・エンジンを飛行機に採用したのがP-39である。

 飛行機の重心位置にエンジンが置かれていて、いかにも性能が良さそうに見える。実際、重いエンジンを胴体中央に置くことで機体の運動性が良くなり、機首にエンジンを乗せるスペースを設けなくて良いのでスマートなデザインを描けた。エンジンからの回転は長い軸で機首のプロペラに伝えられ、その軸の中に大口径の機関砲を搭載することができた。排気タービン過給器を備えたアリソンエンジンV1710を積んだ試作機XP-39は、1939年の初飛行で最大速度628 km/h、上昇率1,219 m/minの高性能を発揮した。

 しかし、陸軍は高々度戦闘機として採用する気は無く、排気タービンを外して中高度戦闘機として生産するように指示を出した。また、武装と装甲を強化することも指示した。その結果、速度も上昇力も大幅に悪化することになってしまう。イギリスはエアラコブラと命名して大量発注するが、実戦配備して使ってみると著しい性能劣化がある。そこで発注を取り消し、ソ連への援助武器(レンドリース)として使われることになった。日本との開戦によって航空機が大量に必要になったためアメリカに戻された機体もあり、P-400 としてニューギニア戦線に送られることになった。  

 使い物にならないとされソ連に送られたP-39は、しかしソ連で大活躍する。37ミリ機関砲が対戦車攻撃に適していたのだ。高高度戦闘機として開発されたのに低高度で活躍の場を得たのだ。この辺は、使い物にならなかったF2Aバッファローがフィンランドに渡って大活躍する経緯と似ている。そして、ソ連と「冬戦争」で戦っていたフィンランド空軍にもアメリカからP-39エアロコブラが援助武器として渡される。かなりややこしいことになったのだ。ソ連には合計4,773機が送られた。

 ニューギニア戦線に送られたP-400(P-39)は、日本海軍の零戦や日本陸軍の隼にとって速度は同程度ではあるが、運動性で劣り餌食になってしまう。日本側ではその形状から「カツオブシ」と呼んでお得意様にしていた。結局、1943年には前線から引き上げられることになる。

 佐貫亦男氏は、次のような評をしている(続ヒコーキの心、佐貫亦男)。
「P -39は第二次世界大戦前にすでに知られていたので、航空雑誌にも掲げられていた。それを読んだ感じでは、画期的な設計という扱いかたであった。しかし、経験のある設計者はおそらく首をかしげたことであろう。設計というものにそんなうまい抜け道は滅多になく、奇抜なことをすればかならず困難につき当る。P-39の場合でも、延長軸の軸受と剛性、それにその先の減速歯車の重量と潤滑はかなり厳しい技術問題を提起したことは疑いない。アメリカだから一応解決して量産に移したのであって、うっかり真似をしたらひどいことになりそうである。したがって、もらったイギリスではすぐにスピットファイアに換えたし、アメリカとてもP-39の任務をP-38ライトニングに交替させている。
 前方にエンジンがないから、操縦者はうっとうしさがとれてぐあいがよいだろうと思ったら、0.5インチ機銃口やドアの隙間から風が入ってきて寒かったそうである。エンジンは暖房の役目もしていたのである。」

 なるほどそういうものかというのがエンジンによる暖房である。私はPHEVに乗っているが、冬季はエンジンが優先してかかる。暖房のためだ。完全なEV車は、暖房が弱点である。いくら電熱シートでも車内の暖まりはエンジン車にかなわない。

 後継機のP-63は、性能低下問題を解決した発展型で「キングコブラ」としてアメリカ陸軍に採用されたが、すでにP47、P-51といった優秀な新型機が前線に配備されつつあり、もっぱらソ連へ送られることになってしまう。あくまでもツイていない奴である。

P-39
全長 9.19m
全幅 10.36m
全備重量 3,630kg
発動機 アリソンエンジンV1710 (1150hp)
最高速度 620km/h
武装 37mm機関砲×1  12.7mm機銃×4

> 軍用機図譜



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?