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杉田庄一物語 第三部「ミッドウェイ海戦」 その18 B25爆撃機、東京初空襲

四月十八日、米軍機動部隊が空母ホーネットからノース・アメリカンB25ミッチェル爆撃機を発進させ東京空襲を行なった。陸軍の双発爆撃機を空母から無理やり発進させ、極めて遠距離から東京を空爆し、そのあと中国へ飛行するという無謀な作戦計画であった。
 本来であれば日本本土から八百キロメートルの近くまで接近する予定であったが、日本時間の午前六時三十分、随行していた米巡洋艦が日本の監視艇第二十三日東丸を発見、攻撃を加え撃沈した。当然、監視艇は通報打電をしているだろうということで予定より三百キロメートルも遠いところから急遽発進させることになった。
 B25は陸軍の双発爆撃機であり空母から飛び立つようには設計されていない。そもそも陸軍機を海軍の空母から発進させようとすることも、洋上飛行をさせることも常識はずれの計画であった。重い爆弾を満載した双発爆撃機が空母から発進できるのか、陸軍機が長距離洋上飛行をできるのか、敵に気づかれないで侵入できるのか、攻撃した後中国大陸まで飛行できるのか、中国大陸で日本軍に捕まらないか・・・リスクばかりだった。
 計画立案者はシュナイダー・トロフィー・レースで有名なジミー・ドゥリトル中佐である。シュナイダー・トロフィー・レースは、一九一三年から一九三一年まで行われた世界最速を競う水上機の速度競技である。ドゥリトルは、戦前から陸軍航空隊を退役してこのレースや冒険飛行で名声を得ていたが、戦争の機運が高まったときに陸軍に復帰した。この無謀な計画を立案しただけでなく、自らも隊長としてB25に搭乗し先導している。

 空襲を行ったのは十六機のB25で、東京、横須賀、横浜、名古屋、神戸等を空襲し、死者八十八人、重傷者百五十四人、家屋全焼百三十六戸、半焼五十九戸、全壊四十二戸、半壊四十戸の被害が出た。東京だけで六十一戸が焼失、千二百三十七世帯が被災した。
 爆撃を終えたB25のうち十五機は中国大陸に、一機はソ連に不時着したが、日本軍に捕まり八名が捕虜になった。翌年、軍事裁判が行われ民間人への銃撃を行ったという罪で操縦士二名と銃手一名が処刑されている。「日本を攻撃して捕虜になったら死刑になるという見せしめのためであった」と福留繁軍令部第一部長がのちに述べている。

 まさか日本本土が空襲されるとは民間人だけでなく軍でも考えておらず、対応はあたふたとしたものになった。米機動部隊接近の報があってから、海軍は国内各基地に通報と哨戒命令を出したが、六空では機動部隊との距離もあるので邀撃のため十二時半くらいまで零戦で待機していた。
 攻撃隊長は新郷英城大尉である。新郷は明治四十四年佐賀県生まれで、海兵五十九期卒業。巡洋艦の士官を経てから昭和八年十月に飛行学生になり、その後ずっと戦闘機畑を歩いて開戦時は台南海軍航空隊(台南空)の飛行隊長兼分隊長をしていた。六空を新設するということで台南空から部下共々引き抜かれ、搭乗員たちと木更津に着いたばかりであった。

 実は新郷大尉はマラリアの発熱がおさまっておらず静養が必要な状態であったが、十八日早朝にたたき起こされ準備をした。第三航空隊(三空)から来た宮野善次郎大尉とともに顔も名前も一致しない隊員たちの編成をふらふらしながら行った。九機ずつ二個中隊の十八機の編成である。宮野は、大正四年十二月二十九日大阪府生まれの海兵六十五期生。昭和十五年四月に三十二期飛行学生を修了し、昭和十六年十二空の士官搭乗員として日中戦争に参加している。太平洋戦争が開戦してからは三空分隊長として比島蘭印航空撃滅戦に参加し、昭和十七年四月に六空分隊長となり、赴任直後にこのB25の邀撃に出撃することになる。

 木更津飛行場で零戦に乗って待機中の新郷は、東京湾の向こう側の横浜や川崎方面で爆煙が上がるのを確認している。望遠鏡で監視をしていた整備員が、双尾翼の爆撃機が低空で侵入しているのを見ていて、どうやらB25らしいと報告があった。陸軍の爆撃機B25が空母から発進したのか?と疑念が生じたがそれ以外考えられない。空母はどこだということになり、第十一航空艦隊(十一航艦)の一式陸上攻撃機二十九機が雷装して飛び立った。六空十八機の零戦は、陸攻援護任務のため十二時四十分に木更津を発進した。
 攻撃隊は約六百浬(千百キロメートル)まで進出して捜索を行ったが、発見することはできなかった。米機動部隊は、B25爆撃機を発進させたあとすぐに反転していた。当初から回収する予定はなかったからである。そのころ、爆撃を終えたB25は中国へ向かって飛行していた。東京上空ではB25を発見しても味方機と誤認して見過ごした部隊もあった。まさか米軍機が日本上空に現れるとは微塵も思っていなかったのである。

 このB25による東京空襲は日本中を震撼させた。太平洋戦争緒戦での連戦連勝で湧き立っている日本国民に、そして、次の侵攻作戦を進めようとしている日本軍に冷や水を浴びせかけることになった。このため米豪を遮断する作戦(FS作戦)が一気に具体化し、さらに軍令部が反対していたミッドウェイ攻略(MI作戦)も合わせて進められることになるのだ。



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