いけばな教室始めました

いけばな教室を始めました。なんと愛おしい営みなのだろうと幸福感に満ちています。日記として走り出したこの今の想いを書き留めたい。(そしていつかもし嫌になるときが来たら見返してこの気持ちを思い出したい)

まず、私にとって教室の始まりは青山のfugaまでお花の買い出しに向かうところから。今回の教室でのカリキュラムを頭に叩き込んだ上で、初心の方にも生けやすい花材を調達する必要がある。fugaは、以前先生にお薦めしてもらったお花屋さんで、敷居も高くなく、それでいて生け花にぴったりの花材が法外ではない値段で売られている。花屋で花を選ぶことの幸福よ…!可愛いに囲まれて、その中で選び抜いた枝、花が、私のものになってくれるという。今回は、ねこやなぎ、カーネーション、ホワイトスターを選択。ねこやなぎがお手頃で、淡いピンク色が愛らしかったこと、それに白の花が、統一感のある色で生けやすいと見た。今回花の調達で花屋には2度訪れた。偵察と購入。人様のお金を預かって人様のお花を選ぶわけなので、絶対に良いものを選びたかった。
購入したお花を抱え歩く家路、満ち足りた気持ち!すれ違う全ての人に花を見せびらかしたい。

教室当日、5年前に履修したカリキュラムを最終確認し、年始に読んだ家元の日記や調査しておいた生け花の歴史の内容をまとめる。(本来まだまだ、教えられるような立場ではないのだ…)自転車操業、仕入れた情報をすぐさま展開。

武蔵野プレイスにて準備をしてお越しくださる方をお出迎えする。いつか、かつての親先生が、生け花教室はみんなで使う湯船だと言っていたことを思い出す。その心は、教室は主催一人のものではなく、そこにくる全ての人のものなのだという。主催一人が気合を入れてどうにかなるようなものではなく、来てくれる人の協力あってこそなりたつものだという話で、今回それを深く実感した。
この方が、はじめての生徒さんで本当に良かったという気持ちでいっぱいになる。彼女は、あまりに勿体無くて枝が切れない、と言うのだ。ああ、分かる…そう!わたしもかつて感じていたこと!せっかく美しく長尺の状態で私のもとにやってきてくれたこの枝、花を、私ごときが短く切り刻んでしまって良いのかと。切ってしまったら終わりだという恐怖。ここにあるこの花は、わたしが切ってしまったら、もう元には戻らないのだと。
この感覚は想像していた以上に共感してくれる人がいない。が、この恐怖こそが、花への畏敬の念にも通ずるのではないかと思う。帰り際、花を綺麗に包んで支度する彼女の様子をわき目に見る。この人はお花が好きなのだなと思うと、とてつもなく嬉しい気持ちになった。恥ずかしながらこれまで私は先生に何度もお叱りを受けてきたけれど、最も大きな雷を喰らったのは、花を大事にする気持ちが欠けているときの行動だった。水切りをするのを忘れていたときや、花の持ち帰りかたがぞんざいだったときのこと。震え上がるほどの形相で先生は私を叱ったけれど、花を大事にしてほしいという気持ちが心底伝ってきたのを覚えている。そして今、私のところに通うことを決めてくれた方が、花を大切に想ってくれていることになんだかもう感動する。

(ちなみに怖くても枝、花はぞんぶんに切らねばならない。ここにあるこの花は、その花と巡り合わせたこの私がどうにかして活かすしかないのだから。そしてその責任は、花への敬意であり、生け花の上達に一躍かってくれるものと信じている。)

気持ちの悪い言い方になるが、親が子を育て、子がまた親になり、そしてまた子を育てるというサイクルの自然さと、同じくらいにひとりの生徒が先生になり生徒を持つことは自然のことであるように思う。まだ未熟で完成には程遠い人間(生け花人口の一部)だけれど、それでも恐れず生け花という行為の尊さを伝えたい。と、思う。

楽しかった〜来月も頑張る😌



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