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実録の良しと悪し『邪悪な天才 ピザ配達人爆死事件の真相』をミステリーとして見てみると。

普段、ソーシネなどと言って、映画を見てそこから社会との関わりについて考えているわけですが、それが楽しい半面、そういった映画ばかり見ていると疲れることもあります。

そういうときは、アウトプットを前提とせずにエンターテインメント系の映画を見たり、ミステリー小説を読んだりしているのですが、アウトプットを考えつつなにか見てみようかなと思って、ソーシャルとエンターテインメントの境界にありそうな作品をNetflixで探してみました。

それで試してみたのが『邪悪な天才 ピザ配達人爆死事件の真相』です。この作品は15年ほど前に起きた奇妙な殺人事件の真相を探っていくというドキュメンタリーシリーズ(全4回)。その事件というのは、銀行強盗をしたピザ配達人の男の首に爆弾が巻かれていて、警察の目の前でその爆弾が爆発して死んだというものです。

私はこの事件のことを全く覚えていなかったんですが、映画の中に日本の番組の映像(多分「アンビリーバボー」)が挿入されていたりしたので日本でも話題になったのだと思います。

この事件は一旦迷宮入りしたものの、事件現場の近所で別の事件が起き、その容疑者がこっちの事件にも関わっているんじゃないかという疑惑が持ち上がって新たな展開を迎えていくという筋書き。その容疑者である女性への取材を繰り返してきたジャーナリストの視線から物語は展開していきます。

面白さの中心は「いったい事件の真相はどうなんだ」というのと、主人公と言っていい女性マージョリーの異常さ。ある種のサイコパスのような犯人を証拠を固めて追い詰めていくという展開がミステリーの王道っぽくていいなと思いました。そして、地元の警察とFBIの関係がうまくいっていなかったりするのも、アメリカのミステリーにありがちな展開で良かったです。

本当にミステリー小説みたいなことがアメリカでは起きていて、それをしっかり実名で皆が顔を出してドキュメンタリー作品として作れてしまうのはすごいなと思った次第です。

ただ、あくまで実話なので、小説のように強いカタルシスを感じることはできないし、犯人たちがあまり魅力的ではないというのはあります。まあそれが現実だし、本当に小説のようなカリスマな殺人者がいたら困るわけですが、エンターテインメントとして見るとそこはどうなのかなと。

というのがエンターテインメントとしてみた時の感想です。ここからソーシャルに少しよると、この作品から見えてくるのはアメリカ社会の病理なのだろうと思います。

一番印象的だったのは、出てくる容疑者たちの家がどこも”ゴミ屋敷”だったこと。彼らはどこかでソシオパスの要素を持っているわけですが、その彼らが物を捨てられないというのは、彼らの病理が大量生産大量消費の資本主義社会のあり方との齟齬から生まれているという疑義を生じさせます。強盗も殺人もある意味では社会が彼らに起こさせた犯罪だと。

頭がいいと周りから言われる彼らが社会から疎外された時、そこで生じる軋轢が彼らを犯罪に駆り立てる、そう思ってしまうのです。その軋轢が非常に大きいのがアメリカの格差社会であるとも。

『ヤクザと憲法』を見たときにも感じたことですが、社会から疎外された人の受け皿がないと、犯罪の増加などさまざまな問題が出てきます。資本主義というお金儲け一義主義の社会が進めば進むほど疎外される人は増え社会は荒んでいく。だから今「多様性」が叫ばれているとも言えるわけですが、やはり資本主義と多様性というのは根本的に相性が良くないなと思うのです。

この作品で極悪犯罪者となった彼らも本当に多様な社会であれば活躍の場があったかもしれないし、そうすれば犯罪に走ることもなかったかもしれない。まあ可能性に過ぎませんがそんなことを思いました。

余談ですが、実録物で面白いのを探しているかたは、『作家、本当のJ.T.リロイ』が面白かったのでこちらもぜひ。


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