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クリ、翡翠、土偶=暮らし、交流、信仰。3つの視点で縄文世界を捉える-夢枕獏・岡村道雄『縄文探検隊の記録』

先日、國學院大學博物館で開催された、縄文文化発信サポーターズ主催の「縄文の思考~小林達雄×夢枕獏~」という対談イベントに行ってきました。

その対談は、小林達雄先生が「縄文はユートピアではない」「土偶は人じゃない」といつもどおりの持論を展開し夢枕獏さんがそれをなだめるという展開で、いろいろな話が出てなかなか面白かったです。

ですが、今回はその対談の話ではなく、その中で紹介されていた夢枕獏さんの著書『縄文探検隊の記録』の話。夢枕獏さんと「縄文ユートピア説」を推す岡村道雄さんがいろいろな人と話をする内容ということで、面白そうだと思いその本を読んでみたのです。

この本は、縄文人の世界を3つの視点から捉えていると思います。1つ目は暮らし、2つ目は交流、3つ目は信仰。夢枕獏さんは、縄文の神話世界についての小説を書こうとしているそうで、どうしても信仰の話によりがちですが、縄文人の信仰について書くには暮らしの遺物と交流のあとから考えるしかないし、そこが縄文の面白いところでもあるので、そこが面白くもありました。

植物から見る縄文人の暮らし

この本を読んで一番興味深かったのは、植物考古学で東北大学名誉教授の鈴木三男さんを迎えて「クリ」と「漆」について議論した第五章と第六章でした。

本でも触れられていますが、縄文について研究したり考えたりする時私たちが目にするものは土と石でできたものが中心です。木製品も多く使われていたことはわかっているものの残りづらいため資料が少なく、クルミやクリの殻もあまり想像力をふくらませる役には立ってくれません。

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(写真:三内丸山遺跡に落ちていた栗)

しかし、近年、種や花粉の分析から多くのことがわかってきたと言います。その一つが、縄文文化が花開くのと時を同じくしてクリが日本列島に広く広がっていったこと、そして縄文人たちがクリを栽培してたらしいことです。

日当たりのよい土地を好むクリは、縄文人が森を切り拓いて「むら」をつくったことでその地域で栄えるようになります。縄文人はそれを利用し、他の木を伐採したり、時には種を植えたりして意図的に増やすようになったといいます。クリは実を食べられるだけでなく、建材や燃料としても優秀で、縄文時代の建材の約八割がクリだという研究結果もあるそう。

そして、三内丸山遺跡の巨大な六本柱の建物など太いものでは1メートルにもなるクリの巨木が利用されたのです。それは、縄文時代の人々は世代をまたいでクリを育てたことを意味します。

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(写真:三内丸山遺跡)

夢枕獏さんはここで諏訪の御柱祭は縄文に由来すると発想を飛躍させますが、少なくとも日本で今も巨木が信仰の対象となっているのは縄文時代から続く文化の一つだとは言えるのではないでしょうか。そしてそれは、自然の中に神を見出し、神の世界と私たちの世界の媒介として人間が手を入れた自然を存在させる日本人の精神性の起源になっているような気もします。このことについては、3つ目の「信仰」と絡めながらもう少し考えたいと思います。

もう一つの議題の「漆」については岡村さんと鈴木さんが漆の木が日本に自生していたかどうかで議論を交わすのですが、そこは私にとってはあまりどうでも良くて、それよりも漆という素材を見事に生かした縄文人の技術力の高さに感服させられました。

なかで、漆を塗られきれいな装飾がされた弓は実用品で、白木の素朴な弓が祭祀用だったという話が出てきます。現代人の発想だと豪華なものが際しに使われたのではないかと思うのですが、縄文人は強靭で美しいものこそ実用に使うのにふさわしいと考えたというのです。

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(写真:飾り弓、寿能泥炭層遺跡出土、埼玉県立歴史と民族の博物館)

考えてみればそのほうが合理的で、だからこそ縄文人は弓に限らず実用品に手をかけたのだろうと思います。土器も火焔型土器に代表される過剰な装飾が縄文の不思議として注目されるし、たしかに火焔型土器の装飾は過剰で使いづらかっただろうとは思うのですが、そうやって実用品に腰手間をかけるというのが縄文人の精神性だったのだと漆の話を読んで再認識しました。

逆に素朴なものを祭祀に使うというのも、現代でもかわらけのように破壊することが儀式になる道具があることを考えると合点がいきます。それは、もしかしたら壊れた土偶しか出土しない背景につながる話なのかもしれません。これもまた「信仰」のところで考えたいと思います。

翡翠から見る「贈り合い」の秩序

信仰の話に行く前に翡翠の話を。翡翠は私も最近とみに気になっているトピックで、糸魚川という狭い地域で産出したものが北海道から沖縄まで広い範囲に分布しているというところに縄文の世界を全体的に捉える鍵があるような気がするのです。


この本では、翡翠を鍵に糸魚川から諏訪に繋がりそこから四方八方につながる「道」について書いています。そして別の章では日本海側を結ぶ「海の道」についても。

そして、翡翠などのものを運ぶ人々はある種の「使者」で物を運ぶと同時に人や物についての情報も届けた人々であると。だから彼らは各地域でありがたがられ、その土地のものを贈られ、その代わりに翡翠などを贈ったというのです。

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(写真:立石遺跡出土の翡翠)

この「ギブ・アンド・ギブ」というあり方には私も賛同します。現代というか近い過去においては、手土産などを渡して恩に報いるという行為はごく普通のことであったし、一宿一飯の恩義ではないけれど、滞在させてもらうお礼にものや情報を贈るというのは受け入れやすい話だと思います。迎い入れた側もその御礼にその土地のものを贈る。それは土地土地で価値が異なるものを交換するという見方をすると交易ですが、当事者としては交換しているという意識はなく「贈り合っている」という意識なのだと思うのです。

この考え方に拠れば、物の交換を損得で考えることはなくなり、そこに争いは起きにくくなります。それによって縄文のむらとむらの間の秩序が保たれていたのではないでしょうか。縄文時代は小規模なむらという閉じられた社会で人々が暮らしていたというイメージをどうしても抱きがちですが、実はむらとむらの交流は盛んで、かなり広い地域が社会としてまとまっていたと考えることができそうです。

土偶は人か、神か。

この交流が意味するものは何かと考えると、ある程度の広さの地域で文化が共有されていただろうということです。例えば縄文中期の中部高地や縄文後期の南北海道と北東北など、遺物からも文化的な共通点が多く見られる文化圏があります。そのようなエリアが日本中に各時代にあったと考えられるのです。

この本では、尖石縄文考古館の2つの国宝土偶について、縄文のビーナスは受胎や安産、乳の出などを祈る対象であったのに対し、1000年ほど時代を下った仮面の女神はシャーマンを象徴し少し複雑な宗教的意味がありそうだと分析しています。

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(写真:縄文のビーナス、茅野市尖石縄文考古館)

そして、本には書かれていませんが尖石の周辺では同じ時代に似たような土偶が出ていることから、この文化圏で同じような信仰が広まっていたと推測できます。つまり、縄文時代、ある時代ある地域の人々は文化や信仰を共有していたということです。

そこで次に話題になるのが、土偶は意図的に壊されたのか、自然と壊れたのかという話。この縄文好きの間でも話題になりがちな議題について、アスファルトを扱った第七章なども絡めつつ話を勧めていきます。

結論は、なんとなく出ていますが、まあそれはどうでもいいのかなと思いました。結局どの説も推測に過ぎず正解はないので、この本ではそう結論づけたというだけの話ですから。

ただ、土偶はそもそも構造が壊れやすくできているというのは最近、土偶について考える中で気になっているトピックです。土偶は腕、足、胴体、顔といったパーツを別々に作って、それを組み合わせて焼くという作り方をします。だから接合部はどうしても弱く、衝撃によって簡単に壊れてしまうのです。

この本では、国宝の合掌土偶を補修する前のばらばらの状態の写真(p183)が載っていて、それはなかなか興味深いものでした。

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(写真:合掌土偶、是川縄文館)

漆の部分で少し触れましたが、土偶にはそもそも壊れるという特性があることに道具としての意味があるかもしれないと私は思いました。ちぎれると願いが叶うミサンガのように、あるいは壊れることで災難を避けてくれる身代わり守りのように、土偶が壊れることに何が意味があったのかもしれないと思うのです。

そしてそれは土偶が人の世界と神の世界の媒介者であることも意味します。人と神の中間的な存在の似姿を像にして持ったり祈ったりすることで、神の世界とのつながりを持とうとしたのではないでしょうか。

尖石の二つの国宝土偶で考えてみると、縄文のビーナスは妊婦の像、仮面の女神はシャーマンの像であるという説には説得力があります。そして、妊婦は新しい命を宿し生み出すという意味で、シャーマンは神の言葉を伝えるという意味で、人と神の中間的な存在と捉えることもできます。

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(写真:仮面の女神、尖石縄文考古館)

土偶は人でも神でもなく、人と神の中間的な存在の像であると私は思います。それは土偶に限らず、動物形土製品でも、キノコ型土製品でも、漆塗りの弓矢でも、もしかしたら土器でもそうなのかもしれません。私たちは土偶を特別な道具と考えがちですが、自然全体を神的なものと捉えていた縄文人にとってはあらゆる道具が神の世界とつながるものだったのかもしれない。そんなことをこの本を読みながら考えました。

そんな考えにふけっていたため、最後の神々の話はあまり頭に入ってこなかったんですが、まあ妄想の話を語っているのを流し読みながら自分の妄想にふけるものなんだか縄文的でいいかなと思った次第です。

次は鈴木三男さんの『クリの木と縄文人』を読んでみたいですね。


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