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坪内隆彦「中国脅威論の背後にある黄禍論」(『維新と興亜』第16号、令和5年1月号)

 サッカーのワールドカップ・カタール大会で、日本は見事にドイツに逆転勝利した。次のコスタリカ戦では敗れたものの、強豪スペインを撃破した。その直後に配信された番組(ニュースサイト「WELT」)で、事件は起きた。出演したドイツの元プロサッカー選手ジミー・ハートウィグ氏が、ドイツ代表に厳しいコメントをした上で、「チン・チャン・チョン」(Ching, Chang, Chong)と発言し、両手を合わせながらお辞儀する振る舞いを見せたのだ。
 「チン・チャン・チョン」は、アジア人を馬鹿にする際に使われる最悪の差別用語だ。中国語の言語を真似たものであり、もともとは中国系を嘲笑する際に使われていたが、やがて中国系だけではなく、日本人を含めアジア人を差別する際に用いられるようになる。
 ミュンヘン出身の日独ハーフで、現在日本でエッセイストとして活動しているサンドラ・ヘフェリンさんは、ドイツ人の耳には、日本語も中国語も韓国語もベトナム語も全部、響きとして「チン・チャン・チョン」と聞こえることがあるようだと書いている。
 新型コロナの感染が武漢で最初に拡大したことから、アメリカなどでは、中国系だけではなく、日本人などアジア系全体に対する差別や暴力が拡大した。カリフォルニア州立大サンバーナディーノ校の「憎悪・過激主義研究センター」によると、米国の主要十六都市で二〇二〇年に起きた憎悪犯罪は二〇一九年の約二・五倍に急増した。「武漢ウイルス」の連呼が、欧米社会で日本人までもが差別を受ける結果をもたらすということである。
 欧米におけるアジア系差別の歴史は古い。遡れば、アメリカでは一八八二年に「中国人排斥法」が成立し、やがてアジア系移民の排斥に拡がっていった。
 さらに欧米では黄禍論が高まっていく。黄禍論は、モンゴル帝国を始めとする東方系民族の侵攻の歴史によって呼び覚まされる。日清戦争における勝利による日本の遼東半島領有は、露独仏による三国干渉を招いたが、それはドイツ皇帝ヴィルヘルム二世の黄禍論に根差していたのだ。欧米の指導者たちは、アジアで強大な国家が生まれることを恐れる。同時に彼らはアジア諸国が団結することを恐れる。
 だからこそ、欧米は日露戦争に勝利した日本に対する警戒感を高めたのだ。シカゴ大学のフレデリック・スタール教授は「日露戦争は東洋と西洋の戦争であり、ロシアの敗北は黄色人種の勃興と白人の没落を意味する」と断じた。翌一九〇六年にはアメリカ西海岸にアジア人排斥同盟が結成される。一九二四年にはアメリカでいわゆる「排日移民法」が成立する。やがて、日本は大東亜戦争に突入、最後は原爆投下によって叩き潰された。アメリカはその過程で、「侵略国家」、「国際秩序を乱す軍国主義国家」として日本を断罪した。
 アメリカ政府の意向に沿って編纂され、占領下の日本人洗脳に活用された『太平洋戦争史』は、日本政府が治安維持法制定以来、国民の言論圧迫を強め、人権を抑圧していたことを強調していた。
 そしていま、アメリカの覇権を脅かす中国は、欧米から厳しい批判を浴びている。その批判の多くが、かつて欧米が日本に浴びせた批判と重なる。もちろん、戦前の日本と現在の中国を同列視するつもりは毛頭ない。筆者が指摘したいのは、中国の台頭が新たな黄禍論に火をつけている現実である。二〇一九年四月、米国務省政策立案局局長のキロン・スキナー女史は「東西冷戦は西洋諸国(Western Family)の間での戦いだったが、中国は西側の思想、歴史から産まれたものではない。米国は白人以外と初めての大きな対立を経験しようとしている」と述べた。
 もちろん、わが国は中国に対する防衛を怠ってはならないし、中国の覇権主義を許してはならない。しかし、欧米の指導者の中国脅威論の背後にある黄禍論の存在を忘れてはならない。 

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