始める前と続けるの前に立ちはだかるあれ。6月の月報


緊急事態宣言が解除されて1ヶ月たちました。東京アラートとは何だったのだろうなあ(小池さんの繰り出すフレーズや施策っていちいち古い広告屋みたいだよなあ)。国会が閉会して、都知事選が告示され、様々な雑音は何処吹く風、緩和フェーズが進んでいきます。(と下書きしはじめてから10日たってしまった)
僕はじわじわ仕事しつつ、相変わらずだいたいおうちにいます。


noteにわざわざ書くことなどない

書きたいことなどなくても50日間書くことを続けられたのに、書きたいことがあるときに書こうというセッティングだと書けない。
積極的な「書きたくない」が発動するわけではなく、どちらかというと書きたい。のに「わざわざ書くほどのことはないなあ」の壁をなかなか越えられない。

小さく弱いwant(~したい)はあるのに、”面倒”や”後回し”の障壁を超えられないことが往々にしてある。強く大きいwantを持ち続けて、次々に実現していく人をかっこいいなあといつも憧れの目で見ています。

何かを始める前に立ちはだかるあれ。そして始めたとして、続けるの前にもまたあれって立ちはだかるなあと思う。


新宿末廣亭に行く

そんな中、6月に、これは始められたんじゃないかっていうのが、落語というか寄席で。
演劇を観に劇場に足を運ぶのはまだ先になりそうだし、映画館が開いたら行きたいなあと思っていたところ友人から新宿末廣亭行くけど一緒にどうという誘いをもらって行ったのが人生初めての末廣亭で初の生落語。

落語への圧倒的な憧れがずっとあります。半分は落語にハマれる人に対する憧れかもしれない。「イヤホンで何聴いてるの?」「落語」っていうやつ。何度か音源や動画や書籍にあたってみたけど続かず。
始めようとしても続くに至らないことはある。

新宿末廣亭、6月上席、夜の部。17時開演、21時終演。

4時間か長いな疲れるかなあと最初こそ思ったけれど、目の前で誰かが演じるのを見ること自体久しぶりなのもあってか楽しく最後まで観られたのだけど、トリの柳家喬太郎がちょっともう圧倒的にすごくてめちゃくちゃ興奮しまして。その日から映像を見漁り、上席のうちにもう一度足を運び、喬太郎の公演や寄席のスケジュールを調べ予定を立て。

これは、始めて、続けるに至りそうな気配。まだ1ヶ月もたってませんけど。誰かの小さな誘いがぽんときっかけになるんだなと思う。ひとりでこの時期に寄席に足を運ぼうとは思わなかっただろうから。



ひとりでも始めることはできるし、強い意志や行動力をもってすれば続けることもできるし、それが得意な人もいる。自分はほとほと意志も行動も弱く遅く、なかなか一人で動き出せないなあと思う。知っていることを整頓したり、やったことのあるやり方を適用することはできても、知らないことや知らないやり方を編み出すことが、やっぱりどうも不得手だ。いかに、外側の人や世界から受ける、予測不能な、偶発的な、影響に頼っていたかと思う。自分に積んだエンジンだけじゃ全然飛べない。
外出自粛期間は、立ち止まって、自分の内側にストックしてあったもの、貯金を使った活動は生み出しやすかったように思う。世の中に発信された様々な活動や運動も、結局、それぞれが平時に培ってきたものの延長だったように感じる。
一方、自分の外側と、たまたま出会う機会が少なくなったんじゃないかと思う。情報も体験も、基本的には自分が選んだもので。誰かに付き合ったり、押し付けられたり、無目的にぶらぶらして出会ったり、たまたま見つけたり。まあWEBでもそういうことは起こりえるけれど・・・

・・・

など云々何度も書いては消して一向にしっくり言い当てられなくて公開できないまま10日間たっていい加減あれなのでもういい諦めた。

やや関連して最近読んだ記事2つくっつけてアップする。

phaさんが40歳でドラムとバンド始めた話好き。バンドメンバーが僕の高校、大学こじらせて読んでた作家陣すぎる。
これ読んで近場の音楽スタジオ探しているのが今の私です。


外出自粛期以降もやもや考えていることたちがなるほどな言葉で言い当てられていた斎藤環さんのnote。

① 臨場性は「暴力」である。
② 臨場性は「欲望」である。
③ 臨場性は「関係」である。

おしまい。

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