第3回 宮部純子さん(五反田団)
大石将弘(ままごと・ナイロン100℃)が、今話を聞きたい人に会いに行って対談します。
今回のお相手:宮部純子(みやべじゅんこ)さん
女優。大阪府出身。五反田団所属。映画『横道世之介』『nico』など舞台以外でも活躍。
五反田団:http://www.uranus.dti.ne.jp/~gotannda/
レトル:http://www.letre.co.jp/artistfiles/female/miyabe.htm
関西から上京して、わりと近い時期に宮部さんと僕はそれぞれ五反田団とままごとに入団していたみたいです。宮部さんは今(2014年6月)京都で生活しながら、はじめて自分でお芝居をつくっていて、ワークショップも企画しているそう。どうして京都に戻ってきたんだろう、自分でつくろうと思ったんだろう。気になって今回お話を聞いてみることにしました。
▼就職せずに演劇やろうと思ったのは・・・
大石 なんの話しよかな。べーやん(宮部さん)はいつから芝居してるんですか?
宮部 あたしね、児童劇団。
大石 そうなんだ!思わぬところから。
宮部 そうやろ。子供のときにお母さんが新聞で募集してるのを見て、行かへんかっていわれて。大阪放送児童劇団(※現在のNHK大阪児童劇団)っていうところのオーディションを受けたら通って。それで知らん学校の子たちと、お芝居っていうより遊んでた。それがおもしろかったから、お芝居するのおもしろいなと思って、大学卒業のときに就職せずにお芝居やるって決めた。
大石 高校、大学はやってなかった?
宮部 だってさ、演劇部ってダサいやん。
大石 児童劇団が楽しくても演劇部はダサいって思うんですね。
宮部 思う思う。
大石 僕も高校演劇にすごい偏見もってた時期があって。でも大学で、はじめて観たお芝居がイメージと違ったから。
宮部 なにみたん。
大石 それは入学した大学の学生劇団だったんですけど、学生だけじゃなくて、立ち上げメンバーがおじさんになってもずっと居座ってる劇団で。なんか、とっつきやすかったのかな。
宮部 うんうん。
大石 「あ、汗まみれになってない。いいことを大声で言わない。」と思って。
宮部 ひひひ。
大石 これなら恥ずかしくないかもって。
宮部 そっか大学のときからなんや。
大石 大学も演劇やってなかったんですか?
宮部 全然やってなくて
大石 なにしてたの。
宮部 何してたんやろな。友達がおもしろくって、友達とずーっと京都ぶらぶらしてた。ずっと大学におったな。何するでもなく。
大石 楽しかったんや。
宮部 楽しかった。友達ほとんどいーひんかったけど。その子が結構知識人で、サブカルに精通してて。なんか映画のチラシとかいっぱい集める子やって、それに影響受けてチラシ収集とかしてた。
大石 僕は入学して早々授業についていけなくなって、だから大学いかなくなりましたよ逆に。お芝居やりはじめたせいで、明日仕込みやからテストいけへんわみたいな感じで。
宮部 大学内でお芝居やってたの?
大石 劇団公演は、ウイングフィールドとか。
宮部 なつかし。
大石 アイホールとか。
▼青年団と出会って、「これや!」って
宮部 青年団とかのお芝居は若いときに観たりしてたん。
大石 はじめて見たのが大学3年とか。結構遅かった。たぶんアイホールにきてたのを。
宮部 そうやね、アイホールにきたよね。あたしもそれではじめてみた青年団。
大石 どうでした。
宮部 衝撃やった。これや!って思った。これこれなんよ!つって。ニーナちゃん(端田新菜さん/青年団・ままごと)が出てた。あたしが20歳くらいのときやから、15、6年前。それで青年団入りたい!と思ってんけど、落とされた。
大石 オーディションがあったんですね。
宮部 あの当時は2年に1回オーディションがあって。青年団観た年もオーディションがあったんやけど最終で落とされて。で、もう2回だけ頑張ったけど、2年に1回ずつ、もうあかんかった。
大石 3回も受けたんだ。
宮部 そう3回受けた。
大石 ほんとに入りたかったんやね。
宮部 入りたかった。入りたかったよ!でも3回も落ちたらもうあかんやろと思って。え、出たくなかった?青年団。
大石 僕は、青年団の後で観た前田(司郎さん/五反田団主宰)の芝居の方が衝撃的やった。
宮部 なにみたん。
大石 一番最初が、『いやむしろわすれて草』で。おもしろいなと思って。あこれにもニーナさんが出てたけど。その次の次くらいに、『ふたりいる景色』。金替(康博)さん(MONO)とかが出てて。
宮部 そうなんや。おんなじの観てるんやね。
大石 僕MONOが好きだったんですよ。あ、大きな声出さなくてもいい劇があると思って。
宮部 くくく。
大石 それで前田さんの芝居みて、『ふたりいる景色』がもう抜群によかった。
宮部 よかったねあれ。
大石 すげえと思って。僕もぼそぼそ喋りたい、だらだらするやつがやりたいと思って。
宮部 ふーん。でもさ大石君さ、だらだらする役こないよね。
大石 こないね。
宮部 滑舌がいいもんねすごい。
大石 えー、五反田団でたかったな。僕は前田さんにオーディションで2回か3回落とされてるから。
宮部 あそう。
大石 五反田団観てて、僕は五反田団には出れないだろうなっていうのはあったんですよ。もう立ってるだけで面白い、ひとこと喋っただけでこいつ変やぞっていう人が好きなんだろうなって思ってたから。
宮部 そうなんかー。
大石 『ノーバディ』(※)もオーディションがあったよね。
宮部 オーディションオーディション。
大石 出てたでしょ。
宮部 出てた出てた。
大石 あれ羨ましかったもんな。
宮部 それまであたしも大阪の劇団でちょっとだけ、全然有名じゃない、掲示板で集まったようなメンバーとお芝居してたんやけど、それやめて、京都にいるから京都でやろうと思って、『ノーバディ』のオーディションがあるから受けてみて。通ったら京都でお芝居やってる人もいたから、そこですごいつながりが出来た。から、あれはほんまに・・・青春、(標準語のイントネーションで)だよね・・・青春・・・だったね。
大石 いいなあ。じゃあかなりターニングポイントに、
宮部 なってるよね。
大石 それが終わってからも京都にいたんですね。
宮部 いたいた。『ノーバディ』のメンバーの中にお芝居つくる人もいたりしたから、呼ばれて「やるやる」って、続けてたねしばらく。でも、ありがたいことに『ノーバディ』が終わった時に打ち上げで飲んでて、「五反田団でたい。でたいんやー」って前田さんに言ってたら呼んでくれたん。『さようなら僕の小さな名声』ていうアゴラでやったやつ。たぶん前田さんは、東京にいる前田さんの周りに居る俳優たちとあたしが仲良くなれると思ったみたいで、それで東京呼んでくれて、アトリエ(ヘリコプター)に滞在したんやけど案の定仲良くなって。今の坊園(初菜さん)とか、まやちゃん(西田麻耶さん/五反田団)とかと同世代やったし、そういう、東京の友達ができたと思って、それきっかけで東京にいけるんじゃないかなって。
大石 なるほど。
宮部 そういうのがなかったら行かへんやん。こわいやん。
大石 やーそうですよね、何かきっかけがないと。
宮部 だから就職で東京出るってえらいよね。
大石 僕もお芝居で東京にいくっていうほどのあれを、持てなくて。べーやん、東京にはいきたかったんですね。
宮部 いきたかったね。
大石 京都じゃなかったの?
宮部 ・・・どうなん?それ・
大石 うーん。僕は関西で何年かお芝居やってて、京都はちょっと特殊で、おもしろいなと思ってたんですけど。ただその、仕事にするとか、生活のあれにするのがやっぱりむつかしいのかなあと思って。
宮部 そうなのよ。
大石 僕が関西を出たいと思ったのは、関西でフリーで役者をやって、それで生活していった人を周りで見てないから。全然思い描けないのよね。それを開拓していくほどの勇気もなくて。僕は関西では無理かなって思っちゃったんですよね。
宮部 そうそうそう。一回役者で食べていくっていう方法を、あたしは探したいと思ったから。失敗してもいいからとりあえず東京には行ってしまおうって。五反田団もいれてくれるっていったし。
大石 それでかいよね。
宮部 大きかったと思う。なんかね、京都にはすごいいい俳優さんいっぱいいるけど、なんか、もっともっとみんな有名になればいいのにってすごい思う。
※『ノーバディ』・・・京都芸術センターのプロジェクト「演劇計画」として、2006年9月にワーク・イン・プログレス公演を上演。作・演出は前田司郎さん。2007年に上演された改訂版『生きてるものはいないのか』で岸田國士戯曲賞を受賞。
▼「待ってるだけのブス」にはなりたくない
宮部 東京きて4年たつけど、もう4年ってあたしは思ってて。映画も出させてもらって演劇以外の仕事もあったりするけど、結局さ、待ってるだけやん俳優って。待つのが仕事とかいうやん……しょうもないなって。他力本願なところが俳優という職業にありますよね。
大石 どうしてもね。
宮部 でもさ、そこまで求められるほどの才能とか容姿とか備えてないから、それでずっと待ってなあかんとかいうのが・・・あほみたい(笑)。
大石 僕も自分で何もできないのが嫌というか。台本書いてくれる人がいて、舞台をお膳立てしてもらえないと何もできないっていうのが。
宮部 やからゼロから作ってみようと思った。待ってるだけのブスにはなりたくない。
大石 ブス俳優にはなりたくない。
宮部 だって待ってたってなんもこーへんやんって思うのよ。待ってるだけの人を見ると。同じような芝居できる役者さんは他にもいるし。そんなんと争ってる意味は、ないよ?って思って。それよりも一緒になんかやる方が、争うよりもつくるっていうことの方が、面白いのかもしれないなって。
大石 僕もそれを考えてて、去年(ままごとで)小豆島に滞在したときにすごいそれを身に染みて感じて、自分が何にもできないなって。役者ですっていっても証明できないじゃないですか。写真を撮ってみせるとか、絵を描いて渡すとか ダンサーなら踊って見せれば済むかものしれないけど。「おまえほんとに役者なの?」みたいな。ちょっとお前がどれだけすごいか見せてくれよって言われたら、「ちょっと今できないんすけど」としか言えないのが嫌なのよね。
宮部 なんかね。
大石 それが納得いかないって思って。前回話したとみやまあゆみさん(ままごとの新聞8号にて対談)は演劇のワークショップをやってて。劇場とか学校とかに行ってやってるんですよ。それもひとつ、自分はこれが出来るっていうことになるじゃないですか。一人でこれができますっていう。なんか、自分の棚にある商品を増やしたいなって。演劇に限らず。だからべーやんがチラシのデザインができるとか、そういうのもいいなって思う。
▼東京と京都/仕事と生活
大石 京都でやろうと思ったのは?
宮部 今回上演する壱坪シアターが安く借りられるっていうことと、京都に自分が今戻ってるっていうタイミングと。東京でやんのこわくない!?
大石 こわいかも。その公演が終わったらまた東京に戻るの?
宮部 五反田団の公演をやって、それを京都でもやんねんけど、それが終わったらまた京都に居残り。
大石 東京にも家があるのに?
宮部 うち母親が家一人っきりっていうのもあるし、自分も東京おったら一人やから、なんかこの生活ってさ、意味なくない?と思って。お芝居の仕事がないんやったら帰ろうと思って。
大石 じゃ生活の拠点をこっち(京都)にしようっていう。
宮部 生活はこっちでしてたくて。仕事は東京。
大石 こっちにいる空いた時間でワークショップをやろうと。
宮部 そそ。
大石 いいですね。僕も今月来月と東京での予定がほとんどないから家を引き払ったんですよ。家賃を払い続けてると東京にいちゃうじゃない。それが重力になってるのがあんまり、良くないなって思って。東京にいる必然性をなくしたら、実家に帰ることも含めてどこに行くにも軽くなるから。
宮部 あたしが今度ワークショップやろうと思ってるのは、人と出会いたいっていうスタンスで。人と出会ってなんかやろうと思ったら、なんか作れるんちゃうかなって思ってて。そういうことを京都でやったら、今度は東京でもやってみたいなと思ってて。うん。あとなんか、お芝居を観に来たい人よりも、なにか一緒にやりたい人の方が今って多い気がしてて。
大石 へー。
宮部 京都とか特に、お芝居みたいっていう人の数が少ない・・・ような気がするから。なんか一緒に作る人を集めたほうが早いんちゃうかなと思って。
大石 なるほど。
▼世の中の評価と自分のやりたいことのギャップ
大石 映画の話とかはないんですか?
宮部 ・・・ ない、こと、ないけど。ないことないし、ないっていうのもある。
大石 意外とないものなんですね。
宮部 CMもオーディションばっかりでしょ。でCM落ちまくってるから。もうわかってん。自分がこの、一般、的な、あの、枠におさまる顔をしてないって。わかってん。
大石 一般枠におさまらない・・・
宮部 おさまってないやんって。どうがんばっても無理なんやって。
大石 どうすんの、じゃ。
宮部 だからそこはもうスルーするしかないやんと思って。
大石 そかそか、じゃ一般の人っていう役はできないっていうことね。変な人の方が向いてるっていう。
宮部 そういうことよね。世の中のわたしの、
大石 世の中的には・・・
宮部 世の中的にはそうでしょ。あなたも滑舌いい枠っていう。
大石 ああ。
宮部 だからCMにたぶん関してはそういうことやねん。
大石 印象で決めるだろうからね。
宮部 求められてるキャラクターって限られてる。でも、いろんなことできるはずの自分がいて、その幅を広げたい、もっと他の役やりたいとか思うと、もう自分でやるしかないのかなって。
▼お話を終えて・・・
宮部 なんかね。おもしろいよね。あたしら共演もしたことないのにさ。
大石 宮部さんの力ですよ。
宮部 なにがやねん。
大石 だれとでも、急に仲良くなっちゃう。
宮部 そんなことないよ。
大石 そうでしょ。それ羨ましいなって思いますよ。
宮部 そうお?でもあたし人見てると思う。
大石 誰でもいいわけじゃないっていう?
宮部 ていうか、こんなキャラでいっても引く人はいっぱいおるから。「あごめんなさいごめんなさい」って。だから大石君と給食つくったのも
大石 給食つくったね(※いわき総合高校演劇部の東京公演でふたりとも給食班としてお手伝いしました)
宮部 まわりに知ってるニーナちゃんとかやまも(山本雅幸さん/青年団)がいたから普通のキャラでいけたけど、あれが誰も知らんとこにおったら、もう「どどどうも、あたしなにも料理とかできないんでー、でへへ」って気持ち悪いので終わってたと思う。
大石 笑。
おわり。
(2014年6月6日奈良県奈良市にて)
(わっしょいハウス『エーテル』より)
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