静かな雲

石王英臣と手形

これは、今から20年以上前。僕が高校生だった頃に体験した出来事です。

場所は埼玉県比企郡にある僕の実家でした。

最初に「それ」に気がついたのは、母親が出した車に乗った時でした。
自宅前に停められた車に乗り込んだ僕は、車のフロントガラスに二つの手形がある事に気がつきました。

「?」

その手形は車の助手席前に二つ、ペタリとついていました。ちょうど車のボンネットに乗ってフロントガラスに手をつくと、同じような手形がつきそうな、そんな位置にありました。

弟の悪戯かな?

そう思った僕は、深く考えずにフロントガラスの手形を「拭き取り」ました。
その時は何とも思わなかったのですが、よく考えると、あの手形はフロントガラスの「内側についていた」のです。だから、僕は助手席に座ったまま手形を拭き取る事ができました。

でも、その時はただの手形としか認識しておらず、思い出すまで気にも留めていませんでした。

その次に僕が手形を見つけたのは浴室でした。

僕の実家の浴室には大きなガラスの窓があるのですが、そのすりガラスに手形が一つありました。

また弟の悪戯だな。

僕はそう思いました。

よく見ると、手形には指が六本ありました。

指をずらしてつけたな。

僕には、その六本指の手形が、弟が僕を驚かせようとしてつけた悪戯なのだとしか思えませんでした。

そして、なんとなく、僕はその手形の隣に同じような六本指の手形をつけてみました。

でも、弟のように綺麗な手形にはなりません。
弟がつけたであろう手形は、指の関節まで綺麗に分かるような手形だったのですが、僕がつけた手形は指の関節が浮いてしまって綺麗に残りません。

弟にできて自分に出来ないのが悔しくなったのか、僕はもう一つ六本指の手形を作りました。今度は指の関節がしっかりガラスに残るように、手のひらを押し付けて。

すると、僕がつけた手形はべったりと大きく残り、弟がつけたであろう手形のように指の関節のシワが残らず潰れてしまいました。

ちぇ。

つまらなくなった僕は、ガラス窓についた六本指の手形にお湯をかけて消しました。

そして、また手形の事は忘れてしまいました。

三度目に僕が手形を見たのは、トイレでした。

その時、僕はシャツにグレーのスウェットのズボンという格好で、用を足すために便座に腰を下ろしました。

ふぅ。

そう息をついて頭を下した時、僕の視界に六本指の手形が入ってきました。

手形は、僕のグレーのスウェットのズボンの、右内腿についていました。

僕は、濡れた手でズボンに触ったかな?とも思いました。でも、用を足す前で、手を洗う前の状態です。手が濡れている訳はありません。

僕のズボンの右内腿についた黒く塗れた様な六本指の手形を見て、僕は初めてゾクッとしました。

これはなんだ?

何か得体の知れないものが僕の体に迫っているようで、僕は気味が悪くなりました。

その後の事は、20年以上も経ったからか、夢中だったからか、自分がどうしたのか覚えていません。


それ以来、僕は漠然と、自分の前に現れた三回の手形の事が忘れられずにいました。

僕の前に現れた手形に意味を与えてくれたのは、学生時代に知り合った漫画家の方でした。
霊感が強いというその漫画家の方と知り合って話をしていた時に、僕は自分が経験した手形の話をしました。

それはね。石王君が将来手を使う仕事に就くという暗示だよ。

その漫画家さんはそう言っていました。
六本の指というのは指に才能があるという暗示なのだそうです。

あれから20年以上経って、僕は今フリーライターとして仕事をしています。
確かに、手を活かした仕事かもしれません。

あの六本指の手形がなんだったのか、本当のところは分かりません。

今でもたまに、浴室の鏡に六本指の手形を作る事があります。
何度やっても、あの時のような綺麗な手形は作れません。

2017年6月27日 石王英臣

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