ISHIYA私観「平成ハードコア史」第2章〜#18 DEATH SIDE 2ndアルバム「BET ON THE POSSIBILITY」

 第1章で出てこなかったバンドや出来事がまだまだたくさんあるのだが、俺が書いているコラムであるのに登場していないバンドがある。そう、DEATH SIDEだ。
 この第2章では、DEATH SIDEの話を中心に、様々な話を交えながらDEATH SIDEの歴史についても書いていきたいと思う。
 2019年の現時点でも活動しているDEATH SIDEだが、今のDEATH SIDEの話はまだ先になってしまうだろう。この章では第1期と言えるDEATH SIDEについて触れていきたい。そのため昭和の話もふんだんに出てくるはずだ。平成史と謳っているが、DEATH SIDEは昭和から活動を始めたので、そのあたりはご容赦いただきたい。
 様々なバンドとの関わりなどかなり数多くの話もあり、今まで世に出ていない話もたくさんあると思う。
 もし興味があるならば、連載する上での励みにもなるので、第2章も購入していただけると幸いである。

 第1章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。


「#18 DEATH SIDE 2ndアルバム BET ON THE POSSIBILITY」

 1stアルバムを発売したDEATH SIDEは精力的に活動を始める。鉄アレイと共にシリーズGIG「BURNING SPIRITS」を立ち上げ、全国的な活動に加え東京でも頻繁に企画ライブを行うようになる。
 下北沢に移転した屋根裏の系列店である新宿アンチノックでライブができるようになったために、この時期から東京でのハードコアのライブのほとんどが新宿アンチノックで行われるようになって行く。その後少ししてから、同じ系列店として高円寺にも20000Vというライブハウスができ、それまで屋根裏で行われていたハードコアのライブは、新宿アンチノックか20000Vで行われるようになっていった。
 WASTED DREAMを発売したあとの頃だったと思うが、俺もやっと宿無し生活が終わり高円寺にアパートを借りた。鉄アレイのブタマンとかきちゃん、LIPCREAMの運転手をしていたロンリーなども近所に住み始め、俺たちはほとんど毎日のように遊んでいた。ようやく一人暮らしを始めた俺は、1人の時間というものを持つことができたために、この頃からやっと音楽やバンドに対して真剣に考えるようになってきた。
 それまで歌詞も数曲しか書かず、ほとんどCHELSEAが書いていたのだが、L.O.Xでの伊藤耕さんとの出会い(第1章#14)により、歌詞というものの重要性を考えるようになってきた。そして次の作品にとりかかろうという話も持ち上がってきたのである。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!