11_のコピー

友よ

昔から仲間と揉めることはよくある。

DEATH SIDEの解散の原因も、CHELSEAとの仲違いからで、その後CHELSEAの彼女に不幸があったときまで口もきかなかったぐらいだ。

さぞやまわりは俺に対して腹を立てていたんじゃないだろうか。今考えてみると、俺の理由は非常にガキ臭いことで、完全に俺がおかしかったんだが、そんなまわりの人間たちの思いもよそに、頑に俺はCHELSEAを嫌っていた。

CHELSEAの彼女が事故により亡くなったときに、新潟のBLOW BACKが東京に来ていて、ギター・せいいちと、ベース・スギちゃんと何かの用事で会った。

そのときにせいいちが「CHELSEAのとこ行く?」と言ってくれ、それまでアホみたいに頑だった俺の心に変化が起きた。というか、溶けた。

まわりの友達からの話でCHELSEAが俺のことをいつも気にかけてくれていたのは聞いていた。しかし俺は、俺の一方的な勝手な理由によりCHELSEAと口をきく気はなかった。

ひどい話だよな。

でも、せいいちのその一言により、俺がCHELSEAのところへ行くことで何か少しでも励みになればと思ったのは事実だし、その気持ちが自分にあることにやっと気付いた。

本当に勝手でどうしようもない話だし、事実CHELSEAの部屋に入った瞬間、そこにいた人間たちはかなりびっくりしていて「何しに来たんだよ」という声も聞こえた。当たり前だよな。

でもそのCHELSEA本人が、笑いながら「何だよ!お前が来るかよ!びっくりさせんじゃねーよ!」と言って迎え入れてくれた。

一瞬で昔に戻った。

俺のクソみたいな理由も吹き飛ばしてくれ、今まで話さなかったことをたくさん話した。

俺が何か少しでもできることがあるかと思ったら、ヤツの方がうわてだったな(笑)

まわりの人間でCHELSEAを慕っていたヤツには、わけがわからんだろうし、俺に腹立っただろうな。

まぁ、それだけのひどいことをしていたんだから、どう思われてもしかたないが。

それからはずっと、会えば昔のように下らないことを言いながら仲良くしていたんだが、知らない間にCHELSEAは、だいぶ面倒臭さに拍車がかかっていた。

それまでのまわりの人間にはそれを指摘するヤツもいなかったらしく、俺が普通に言ったら目を丸くして驚いていたこともたくさんあった(笑)

お互い気付かないことを言い合えるヤツなんて、そうそう居るもんじゃないしな。

死ぬ前に仲直りができて本当によかった。

せいいちとスギちゃんには今でもずっと、感謝している。

何の因果か、CHELSEAが死んだ一報を受け飛んで行ったら俺1人でヤツの死体と会うハメになった。

病院に電話しても死んだのかどうかは教えてもらえず、行って確認するしかなかった。

病院に着くと、受付で霊安室を案内されたんだが、まだ信じていなかった。

霊安室に入ると、ヤツがベッドの上に苦しそうな顔で上を向いて横たわっていた。

俺がいくら声をかけても返事がない。何度大声で目の前で声をかけてもピクリともしない。身体を洋服の上からさわり、揺すっても起きやしねぇ。揺すってる動きもおかしい。固まってるみたいに。

顔を覗き込み、目を見ると瞳が白濁して濁っている。

これはおかしすぎると思い顔をさわったら、尋常ではない冷たさが俺の身体に伝わってきた。それはもう既に生き物の温度ではなかった。

ふざけんな。

一気に力が抜けた。もうその部屋には居れなかった。外に出て何をしていたかおぼえていないが、おそらく誰かに電話して事実を伝えたんじゃないだろうか。それから友人達が続々とかけつけてきた。

俺が最初にヤツの死を確認したのだろうか?それはわからない…

それから今でもCHELSEAのお母さんとはたまに連絡をとって話をしている。たいして話はしていないが、毎年CHELSEAの命日には「今日も仲間が集まってライブをやってますよ!」と伝えている。

血は争えないというか、さすがお母さんで、CHELSEAに似ていると思う。顔じゃなくてね(笑)

そして今月ニューヨークでDEATH SIDEはライブをやる。それも鉄アレイと一緒に。

ヤツは悔しがってんのかな?

まぁ、ヤツが生きてたらDEATH SIDEはやらなかったと思うけど(笑)たぶん。

スタジオに入ってDEATH SIDEの曲をやっていると「さすがだな」と思うことが今更ながらたくさんある。

悔しいが、アイツは凄かったと認めざるを得ない。

その凄さを、やっぱり伝えていかなきゃなと思ってる。

俺はFORWARDをやって行くが、DEATH SIDEを観ればヤツを感じることができるだろう。

CHELSEAは死んじまったが、あいつの曲は生きている。

あいつの曲をやることで、あいつはそこに一緒にいるんだよ。

まぁ見とけよCHELSEA(笑)

一緒に始めた最初の頃から言ってたことが今できることになったわ。

俺の全力でやってくるからよ。


写真 1987年BLOODY SUMMER TOUR後の打ち上げ旅行の山中湖モーターボートにて。

*このコラムは、DEATH SIDEが復活してから初めて海外のニューヨークでやる前に書いたものです。

30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!