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人は見た目で判断しろ

俺が初めてモヒカンにしたのは、まだ高校に行き始めて半年ぐらい経った16歳の頃だった。

それまでの中学生時代は、校則で「男子は全員坊主頭」という決まりがあり、髪型には様々な憧れがあった。

中学生でPUNKと出会い、スパイキーヘアーやモヒカンを雑誌などでは見ていたが、実際にモヒカンを見たことは無かった。

1970年代後半から80年代初期にPUNKと出会うまでは、日本でモヒカンにしているのは暴走族ぐらいしかいなかったと思う。

初めてモヒカンを実際に見たのは、中学生の頃に原宿に遊びに行ったときだった。それ以降、原宿に行くとPUNKSを目の当たりにするようになり「カッコイイ!」と思うようになっていた。

雑誌にはイギリス・ロンドンのストリートパンクスの写真などがよく載っていて、THE EXPLOITEDのWATTIEがモヒカンのPUNKSの代表だったように思う。

高校生になってから、毎回原宿に行くと駅前のテント村にあった「ジムズイン」には、いつもマサミさん(ex.GHOUL)やクマさん(現FINAL BOMBS)がいて、メチャクチャかっこいいトロージャン(モヒカンを立てた髪型)姿は「これがPUNKなんだ」と心の底から感激した。

そのころあった雑誌「宝島」にZOUOのチェリーさんが出ていて、俺の記憶では当時世界で一番長いトロージャンだったのではないだろうか。

チェリーさんのトロージャンも凄まじくカッコ良くて、マサミさん、クマさん、チェリーさんとWATTIEは、俺の中でほぼ神格化されていた。

その頃は、まさか自分がモヒカンにするなんて思っていなかったんだが…

俺がモヒカンにした話は、このコラムで以前書いた「変化」に書いてあるが、モヒカンにしてライブハウスに通い出すと、瞬く間に友人が増えて行った。その頃のライブでは、静岡のSO WHAT、DEADLESS MUSS、DISPADが出るときには、静岡PUNKS達が大挙として東京に押し寄せてきて、その大勢のPUNKSのほとんどがモヒカンで、俺はすぐに仲良くなった。それが今のZONEのサワやヒロシだったことは言うまでもないだろう。

その頃のSO WHATのBass.ヨシのモヒカンの長さは、恐らくチェリーさんを超え、世界一長かったんじゃないだろうか?DISPADのVo.シンヤも凄かったが、ヨシのモヒカンはレベルが違った。

現ZONEのサワやヒロシなどの他の静岡PUNKS達のモヒカンは、長さはそこまで長くはないが、非常におしゃれでカッコ良かった。染め方も凝っていて、俺は静岡PUNKSに対抗心を燃やし「絶対負けねぇ」と思い、どんどんエスカレートして行った。

俺が立てたモヒカンが一番長いときには、新宿アンチノックの物販や楽屋入口付近などの天井部分には余裕で当たっていて、東京の人間にはわかると思うが、新宿駅の地下鉄丸ノ内線改札付近の天井にも当たっていた。

そんな俺のモヒカンは、カツタしか立てることができず、ステージに出て行って1曲目で倒れないときに、カツタは喜んでいた。

俺もモヒカンが倒れないようにするなんてことは全く無く、出て行けば頭を振ってノってしまうので、約二時間かけて立てても1分〜2分ぐらいで倒れてしまうことばかりだった。

一番長いモヒカンのときの写真が無いのだが、たぶんマサミさんやカツタと、ヒステリックグラマーのモデルをやったときのポスターに写っているのが、一番長かったときじゃないだろうかと思う。誰か持っていないか?当時のヒステリックグラマーのショップと、カツタの部屋でしか見たことが無いんだが......。

マサミさんは残念ながら亡くなってしまったが、クマさん、チェリーさん、サワ、ヒロシ、そしてWATTIEも現在現役で活動している。

ヨシは今何をやっているんだろう。シンヤは今何をやっているんだろう。あんな凄いモヒカンだった奴が闘っていないわけないよな。

「人を見た目で判断するな」と、よく人は言う。

障碍を持った方々がこう発言したり、肌の色の違いや人種、体の特徴などの、持って産まれたその人間の身体的なことを差別する奴らに向けてこの言葉を使うのならよくわかる。

しかし、自分から望んで見た目を変えた人間が、この言葉を使うことには違和感をおぼえる。

俺のことは見た目で判断してもらって構わない。

モヒカンというのは、インディアンの戦士の髪型で「死んでもいいから闘争する」という意味を持つ。


写真 1990年ごろ、楽屋でKATSUTAに髪の毛を立たせてもらっているところ。


30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!