ISHIYA私観「平成ハードコア史」第2章〜#19 DEATH SIDE / CHAOS U.KカップリングアルバムとTHE WILL NEVER DIE

 第1章で出てこなかったバンドや出来事がまだまだたくさんあるのだが、俺が書いているコラムであるのに登場していないバンドがある。そう、DEATH SIDEだ。
 この第2章では、DEATH SIDEの話を中心に、様々な話を交えながらDEATH SIDEの歴史についても書いていきたいと思う。
 2019年の現時点でも活動しているDEATH SIDEだが、今のDEATH SIDEの話はまだ先になってしまうだろう。この章では第1期と言えるDEATH SIDEについて触れていきたい。そのため昭和の話もふんだんに出てくるはずだ。平成史と謳っているが、DEATH SIDEは昭和から活動を始めたので、そのあたりはご容赦いただきたい。
 様々なバンドとの関わりなどかなり数多くの話もあり、今まで世に出ていない話もたくさんあると思う。
 もし興味があるならば、連載する上での励みにもなるので、第2章も購入していただけると幸いである。

 第1章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#19 DEATH SIDE / CHAOS U.KカップリングアルバムとTHE WILL NEVER DIE」

 2ndアルバム「BET ON THE POSSIBILITY」を、やっとのことで発売したDEATH SIDEだが、ちょうどこの頃音楽を聴くフォーマットがレコードからCDへと移り変わる過渡期であった。初めて出すCDというフォーマットだったが「レコードよりも音がいい」という触れ込みだったためにかなり期待していた。しかしレコーディングはオープンリールのアナログ録音でデジタルに対応していないため、プレスに出す場合に何か信号のようなものを入れなくてはならなかったらしい。そんなことを知らなかったエンジニアと俺たち、レーベルがその信号を入れ忘れたためにアナログ盤の方がはるかに音がよく「なんだよCDなんてたいしたことねぇな」」などと言っていた。もし1stプレスのSELFISH盤「BET ON THE POSSIBILITY」のアナログとCDの両方を持っているのであれば、聴き比べてみると格段の差があることがわかるだろう。そんな時期に発売された作品であるこのアルバムを、1年ほどかけて録音していたのが東京の田町にあるOUR HOUSEというスタジオで、やっと安心して任せられる音作りのできるスタジオが見つかった思いだった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!