ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#19 Nightmare

 2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれた。

 1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。

 自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。

 これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。

 しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。

 今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。

 売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。

 今後このコラムを読んで、様々なバンドに親しみが湧く人間もいるだろう。しかし、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。

 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。
 そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#19  Nightmare」

 DEATH SIDEと鉄アレイで、昭和最後の年である1988年のゴールデンウィークに行ったツアーから、BURNING SPIRITSというシリーズGIGを始めた。その前年である1987年の大晦日から俺とKATSUTAで企画を始めたが、企画名を決めておらず、1988年ゴールデンウィークのツアーからBURNING SPIRITSという名称を使い始めたと記憶している。基本的に東京でのライブで俺とKATSUTAの企画のときにはBURNING SPIRITSを名乗り、夏の全国ツアーのほかにもゴールデンウォークや秋などにまわる2週間から10日程度のツアーでもその名称は使っていた。

 しかし鉄アレイの水上氏脱退により、それまで鉄アレイと毎年行っていた夏の全国ツアーが継続できなくなってしまう危機がおとずれた。しかし翌年平成5年の1993年には、BASTARAD、WARHEADと共に全国をまわり何とか毎年夏の全国ツアーを継続できたが、BASTARDも解散してしまい、いよいよ夏の全国ツアーが続けられなくなるかもしれないという状況に陥った。夏の全国ツアーを続けるためには、全国ツアーを行うための1ヶ月以上を連続してツアーができるバンドとまわる以外に方法がなかった。
 当時BURNING SPIRITS以外にも夏の全国ツアーを行っているバンドがいて、そこに声をかけてみると2つ返事でOKしてくれたバンドがいた。毎年夏にBURSTツアーをCRUCKと行っていた、大阪のNightmareだ。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!