ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#1 DEATH SIDE解散

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#1 DEATH SIDE解散」

 2ndアルバム「BET ON THE POSSIBILITY」の頃から、ハードコアのみならずあらゆる音楽を聴き、そういった表現を欲していたCHELSEAは、DEATH SIDEでは自分のやりたい表現が押さえつけられてしまうと感じたのかもしれない。事実俺はあまりにやりすぎだと感じたレコーディングや楽曲にはダメ出しをしていたし、CHELSEAもそれを受け入れてはいたが、やはり納得いく自分の音楽活動がしたかったのだろう。DEATH SIDE最後の作品である3rd 7インチシングル「ALL IS HERE NOW」を発売したあとだったと思うが「俺ソロをやりたいんだけどいいか?」と俺に訊ねてきた。
 この頃俺は、音楽的にもいわゆる一般的なロックを取り入れるようなものにはうんざりしていたし、そういった楽曲を提供されても採用することはなかった。  
 CHELSEAがこの話をしてきたときに「別に構わない」という意味のことを言ったと思う。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!