ISHIYA私観「平成ハードコア史」第2章〜#12 静岡・浜松・磐田シーン

 第1章で出てこなかったバンドや出来事がまだまだたくさんあるのだが、俺が書いているコラムであるのに登場していないバンドがある。そう、DEATH SIDEだ。
 この第2章では、DEATH SIDEの話を中心に、様々な話を交えながらDEATH SIDEの歴史についても書いていきたいと思う。
 2019年の現時点でも活動しているDEATH SIDEだが、今のDEATH SIDEの話はまだ先になってしまうだろう。この章では第1期と言えるDEATH SIDEについて触れていきたい。そのため昭和の話もふんだんに出てくるはずだ。平成史と謳っているが、DEATH SIDEは昭和から活動を始めたので、そのあたりはご容赦いただきたい。
 様々なバンドとの関わりなどかなり数多くの話もあり、今まで世に出ていない話もたくさんあると思う。
 もし興味があるならば、連載する上での励みにもなるので、第2章も購入していただけると幸いである。

 第1章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#12 静岡・浜松・磐田シーン」

 何年も全国ツアーをやり続けていると、馴染みの街や安心できる街がたくさできる。第1章#20の函館第2章#11の札幌は、現在ごくたまに訪れることはあるが、なかなか行けない遠い街ではある。第2章#8の出雲になると、20年以上行っていない街になってしまい、現在の出雲はどんな感じなのだろうと思いを馳せている状態だ。
 そんな中で、今でもよく行く街というものもある。大阪や京都、名古屋や広島といった大都市ではないのだが、昭和の頃から何故かハードコアが常に盛り上がっている街がある。静岡県だ。

 静岡県の中でも浜松シーンは、磐田出身で今でも磐田に住むPUNKSが多いのだが、G-SIDEというライブハウスが浜松にあるためにライブは浜松で行われることがほとんどだ。
 他にも同じ静岡県内には、静岡市と富士市でよくライブをやっていたのだが、同じ県内でありながらこの2 つのハードコアシーンが存在する土地が静岡県である。大都市ではないにもかかわらず、静岡県内にはPUNKSとハードコアバンドの歴史が多く存在する。今回は、今現在でもよく行くこの静岡県について書いてきたいと思う。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!