ISHIYA私観「平成ハードコア史」〜#9 CHAOS U.K再来日

 2019年の今年、平成という時代に終止符が打たれる。

 1989年から始まった平成だが、昭和からパンクシーンにどっぷりと浸かった俺は、昭和も終わりを迎える頃にDEATH SIDEというバンドでライブ活動やレコード発売が活発になって行った。

 自身の活動を踏まえた上で考えてみると、平成という時代が人生のメインとなる活動時期だったと感じ、私観ではあるがその歴史を書き留めておこうと思い筆を取った。

 これから連載をしていこうと思っているこのコラムでは、全くと言っていい「極私観」に基づくものであり、俯瞰の要素からはかけ離れているだろう。

 しかし、平成のアンダーグラウンド・ハードコア・パンクシーンを体験し続けてきた俺の記憶に興味のある方であれば、興味深い話があるはずだ。

 今まで世に出ていないこともたくさん出てくるはずだと思うし、こんな世界が世の中にはあるんだと、少しでも興味を持ってもらえれば、俺が人生を賭けてやってきたことも報われる。

 売文を生業としているのでこのコラムに関しては有料とさせてもらうが、興味がある人は是非このコラムを購読してほしい。

 今後このコラムを読んで、様々なバンドに親しみが湧く人間もいるだろう。しかし、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。

 昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。

 そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#9 CHAOS U.K再来日」

 前回のコラムでCHAOS U.Kについて書いたが、今回もCHAOS U.Kについて触れていきたいと思う。日本のハードコアにとってCHAOS U.Kというのは、それほど重要な位置を占めているバンドであると思っていただきたい。個人的に一番好きなハードコア・パンクバンドというのも大きいが、あくまでも「私観」なので、その辺りは許して欲しい。

 1991年に再び来日を果たすCHAOS U.Kであるが、そのときの来日から唯一のオリジナルメンバーであるCHAOSがボーカルの編成になる。ドラムスのCHUCKが待望の初来日を果たし、ベースには紅一点のBEKI、そしてギターには現在もCHAOS U.Kで活動し、毎年日本にやってくる親日家であり日本通のGABBAというラインナップだった。
 しかしこの時の来日は、当時ポジパンと呼ばれていたALIEN SEX FIENDと一緒で、CHAOS U.Kファンであった俺は首を傾げた。あまりにも違うこの2つのバンドで日本ツアーも行なったはずだ。何故なら俺は大阪も観に行ったので覚えているが、その大阪公演でALIEN SEX FIENDが出演していたのかどうかは覚えていない。

 そのときの来日公演のライブ CDも出ているが、それもTOYS FACTORYというメジャーレーベルで、確か当時UKハードコア周辺のバンドをシリーズでリリースしていたように思う。そのため一連の組み合わせでライブもシリーズで様々なハードコアやパンクバンドが来日していたと思うのだが、この時のCHAOS U.K東京公演は川崎のクラブチッタだった。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!