とある工場の憂鬱

 街の西側にある紡糸工場へと毎日父の迎えに母と連れ立って出かけていた少年時代、仕事終わりの父と手をつないで家路を辿る道すがら、長く伸びた影を様々に変化させて遊んでいたものだった。

 その工場が来月、閉鎖されるらしい。高校生になった道明にとって、2年前に交通事故で他界した父のことを思い出すきっかけ程度ではあるが、さして思い出の残る場所というほどでもない。どちらかといえば工場そのものよりも、沈みゆく夕日を背に、少し遠回りをして歩いた川の土手の歩道の方が思い出と呼ぶにはふさわしい場所であった。道明はそのニュースを、父が生前そうしていたように、朝食時の新聞で知った。

「母さん、父さんの勤めてた工場、なくなるらしいよ」

道明は特に何かを意識したわけではなく、風呂場のシャンプーが残り少ないことを報告するときのように、ただ事実を伝えるつもりで何気なく母に言った。しかし、母の反応は予想外のものだった。母は目を見開き、口をあっと開いてみせた。それは一瞬の反応ですぐに元の表情に戻ったが、母がかなり衝撃を受けたであろうことが、その短い反応には現れていた。

「そう…社長さん、頑張ってたんだけどね。不況だからしょうがないのかもね…」

「不況だから…」という母の言葉もいつも快活な母らしくないひどく弱々しいものだった。明朗快活で論理立てて物事をスパッと言い切る母が曖昧な言葉で仕方ないとつぶやく姿は寂しさ、悲しさの相当な現れであるように道明には思えた。

つづく?

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