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プロ選手は結果が全て。なのか??

たとえばマラソン選手なら、スポンサーの衣類やイメージを身に纏い、上位で走りきることが、仕事だとされている。

それに間違いはなくて、プロスポーツ選手は『結果が全て』の世界だから、マラソン選手が途中棄権してしまったら、それは結果が出なかったとして批判の対象になる。

一見、正しいように見えるこのロジックですが、個人的には嫌で仕方ないのです。

まず、スポンサーの目線で言えば、撃沈が早すぎてテレビに映る時間が短いとか、表彰台に居ないとか、ニュースにならないとか、、
スポンサーがお金をかける意味を果たせなければ、まさに『結果が全て』として切られてしまう。それは普通のことだし、異論はない。

だけどさ。

僕は魅力ある選手のことを応援している。それは、人に惹かれているはずだし、だから『応援』の感情がある。

その人が、その人の価値観(僕はそれに感銘を受けている)で、その瞬間瞬間の最善判断をして、結果が伴わなかった。

それは残念なことだったけど、それを批判したり、あのときこうしておけば!なんてタラレバを語る気にはなれない。

語るにしても、彼は彼女は、なぜああいう決断をしたんだろう?と興味が湧くし、
その決断のあとに何を想い、これからの競技生活にどう活かしてくれるんだろうか、そう考えると、普通にワクワクする。

だって、応援してるんだから。

そのワクワク(思惑?)に沿わなくても、それがその人の魅力の一部なんだから、それはそれで何もおかしくないし、
そのギャップが大きくて、なんか違うなーって思うようになったら、応援しなくなっちゃうかもしれないけど。

でもそれはそれで、何も悪くないよね。

自分の思う通りのあの人であってほしい、なんて希望が叶う保証など、何もない。

プロの選手を応援すればするほど、結果やイメージだけじゃない、その人となりや人生そのものに、惹かれるんじゃないのかな。