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何故、社長は絵や壺を買ってしまうのか? | 「ノートにもならないメモ」

どうも、子供が最近生まれて、スッカリ子供の保育園の送りとお迎えに励んでいる石澤です。初めての方もいらっしゃるかもしれないので一応書いておくと私は「株式会社EPOCH」という40名くらいの中規模会社を、ひょんな事から経営している者です。会社経営を始めた理由の詳しくはコチラ

そして、その経営する会社が7月で決算になります。いわゆる1年間の締めの月で、今期で6期目が終わります。この決算期というのは経営者にとっては1年間の反省と来期に対しての施策や、新しい野望をいだくためのの準備期間でもあります。

また、黒字の会社は毎年節税やこの期間に新しい事業に投資したり、弊社と同じく7月が決算期の広告系の会社さんだとコネクションづくりのために海外アワードに応募したり、足を運んだりする会社さんも多いと思います。

うちの会社も創業した2013年以降毎年なんとか黒字の増収増益を達成できているので、この時期より少し前に新しい事業を考えて、それに対する投資を毎年したりしていて、事業の多角化などへ挑んでいます。その中で、私がよくやってしまいがちなのが所謂・・・。

絵や壺を買ってしまう事なのです。

これは創業してから毎年必ず、なんかしらの絵や写真や壺や造形物を買っていて、その度にスタッフの皆さんから「また買うんですか?」、「何故こんなもの買うんですか?」、「もう置く場所なくないですか?」、「アート買うより社用車買ってください」、「皆のお金なのでボーナスに還元したほうが良くないですか?」などという至極ごもっともな意見をいただいております。

ですので、今回私がなぜ絵や写真や壺や造形物などの所謂"ART"を買いたくなるかを、稚拙な見解ではありますが、僕なりに書いてスタッフの皆さんへの弁明にしていこうと思いnoteを書き始めた次第です。

僕がARTが欲しくなる理由

まず。大前提にいうとARTというと一般の方は美術館にある高尚なものや、バスキアサザビーズなどに代表される売り買いをされる資産価値がある物をを思いがちですが、僕が買っているアートは非常にデザイン的なものも含めて街にあるギャラリーに置いてあるものや、友人のアーティストの作品も多くあります。
具体的にはmagmaさんや、ヒロ杉山さん、norさん、yasudatakahiroさん、古賀崇洋さんや高石優真さんや百々新さんの物などで値段的にも数十万から100万くらいの物ばかりです。その中で何故、欲しくなるかを下記に整理してみました。

・ARTはVISIONの塊
・究極的な自発行為の結晶
・言い訳不可な絶対的な孤高な存在感
・なぜ買ったのか?を聞かれる
・手に入らないもどかしさが欲しくなる
・1点ものという唯一無二の魅力

などが挙げられます。この理由からも見えるように、
ARTは会社経営に非常に近い
から買うのだと思います。
※この時点で、こじつけに感じた方、申し訳ないです。


ARTと会社経営の類似点

では次になぜ僕がARTと会社経営が似てるのかと思う点を上記の理由に紐づいて整理してみたいと思います。

・ARTはVISIONの塊

→ARTでは美術館の展示で見るようにキャプションという注釈がついているものがあり、そこには常にコンセプトや制作至った背景が書いています。それが非常に会社経営の「VISION」に近いと僕は思っていて、マルセル・デュシャン「泉」などに代表されるコンセプチュアル・アートは特にリンクするものがあると思います。


この「泉」のようにARTのコンセプトも会社のVISIONも色んな人が色んな角度から考察して、意見を交換でき、自分事化できるのが良いARTであり、会社なのかなとも思います。


・究極的な自発行為の結晶

→また、ARTも会社経営も「誰にも頼まれていないのに勝手に何かの使命感に憑りつかれたように個人が行う行為」なのが非常に似ていると思うし、だからこそ会社経営者はアーティストに共感をし、ARTに惹かれてしまうのではないかと思います。
そういう意味でもアーティストと会社経営者は似たような人種であるのだと思うし、弊社で一度試合のスポンサードをさせていただいた青木真也さんに代表される格闘家も同じ人種なのではないかと思います。
誰にも頼まれてないのに、勝手に宿命を背負い、行動してしまう人種が、アーティストであり、格闘家であり、経営者なのだと思います。だから、応援したくなるし、作品を買ってしまう。

言い訳不可な絶対的な孤高な存在感

→僕が過去に見に行ったARTで印象的なものがあります。それは直島の地中海美術館にあるウォルター・デ・マリアさんの「タイム/タイムレス/ノー・タイム」です。

この作品は、無機質なコンクリートの広い空間に淀み一つない鏡面する巨大な球体に圧倒される作品です。これを見ていると大きい企業を一代で起こし、自社ビルを建てて、巨大企業を経営する圧倒的な先人の経営者の、眼を背けることできない実績と孤高な現実を思わせられます。そして、それは自分自身にもっと頑張らなくてはという刺激と凄い悔しい嫉妬を感じさせてくれます。

・なぜ買ったのか?を聞かれる

→僕は自分が買ったARTを買った際は必ず会社の来訪者が見える場所に置くようにしています。それは何故かというと来訪者の目に触れたときに「何故買ったのか?」理由を聞かれるからです。
経営者にとって「なぜ?-WHY-」を聞かれるのはすごく良いことで、その「なぜ?-WHY-」から常に「VISION」や「MISSION」が生まれるので、そこを意識する存在のARTが会社にあるのは非常に良いと思っていますし、買った自分が会社にいない時にも、来訪者に「このARTを買う理由を見出すことができる会社であり、経営者なんだな」という会社の「まだ見えないノビシロ」を提示してくれるのがARTなのかなと思います。

また、高級時計や車と比較されやすいARTですが、ベンツやRolexはART以上の値段がする物もありますが、その価値は誰しもがわかるものであり、普遍的です。そして、普遍的であるからこそ、そこに「なぜ?-WHY-」の問いかけはないように思います。

・手に入らないもどかしさが欲しくなる

→前述したように僕が買っているARTはまだ比較的にすごい高値のものが多いわけでもなく、どちらかというと「自分の会社の成長」とリンクするように、「挑戦をしている過程のアーティスト」の作品を買わせていただいていおります。
そして、そういった方の作品も今後引き続き買いたいですし、まだ買えてない方の作品で欲しいものも沢山あります。こういった状況は会社の経営とも似ていて、「お金があれば始めたい新事業」「まだ買えていないけど欲しいART」このどちらも今の自分の「努力の延長上」にしか手に入らなく、そこへ目指して頑張ろうという活力をもらいます。

・1点ものという唯一無二の魅力

→また、前述したように金銭的に手に入らないもどかしさにプラスでARTには「エディション」という所謂「制作点数」を表す単位があり、「エディション1」は1点ものを指し、常に誰かに買われてしまう可能性があり、とても魅力的に感じます。
そして、これを会社に置き換えると「人材」がまさにそれで、常に「エデイション1」であり「唯一無二」なのかなと思います。
人を物に置き換えるのは良くないですが、「人材もARTその価値を定量化することは出来ず」、良い人材を見抜いて自社に入社してもらうのも、良いARTを買うことは非常に似ているし、どちらも会社にとっては有益であるし魅力的なことだなと思っています。

まとめa.k.a言い訳

そんな訳で、またしても今回も長い文書になってしまい、すいません。そして、ここまで駄文を読んでくださった方がありがとうございます。いろいろと書きましたが、要はまとめると。

会社経営者は孤独と向き合わなきゃいけないから、お金が余るとARTを買いたくなるし、お金がないときはARTを買うために自分を鼓舞して頑張る。

ということなのだと思います。だから、僕も含めてですが、こちらのnoteを読んでくださっている方の所属している会社の社長が「いやー、今度この絵が欲しくてさー」とか「この壺買ってしまったんだよね」とか言ってきた際は、生暖かい目で見つめながらスルーしてあげてください。

ARTを買うという事は、きっと御社の社長はまだまだ会社経営に燃えていて挑戦しようとしている証なはずですので。。。。



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