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穴のない心、(けっこう)大きな荷物。

 10月31日に、半年ぶりにフランスに来ました。今までの経験を振り返って、自分の求めるものがだんだん形になってきたので、

・パリ、空港から移動が便利で、かつ急行、特急をつかわないで行ける

・歩いて回れるような小さな街(それだけで十分だし、静かだし、宿泊も安い)

・オーガニック・ショップが徒歩圏内にある

・カテドラルもあれば最高

ことなどの条件を絞り込んで、パリからローカル電車で90分のランという小さな街に宿をとりました。

 来てみたら、上記の条件に加えて、タクシーで行ける圏内にカルフール(コストコっぽい大きなスーパーマーケット。最近はオーガニックも充実)にもタクシーで行けることがわかり、リトリート生活にはほぼ完璧です。

 夏に行く予定をキャンセルしたので半年たったわけですが、あの頃(4月)とはあまりにも多くのことが変わってしまっていることを、しみじみ肌で感じています。

 そもそも、4月にフランスから帰ってきて、『ナナコ』を書いて、「さ〜もっと書くぞ〜」と意欲満々だったところにものすごい腰痛に襲われたところから、今回の厳格ゲルソン生活はスタートしたのでした。

 以来、毎日のおさんどんに無我夢中で、それまで私の食生活は書くための力を与えてくれるものだったのに、書くことからどんどん遠ざかっていきました。でも、書くことが自分のアイデンティティだったのに、それがどんどん自分から引きはがされていきました。

 「そんな自分でも、意外とやっていけるんだ〜」、おさんどんとジュースとコーヒー浣腸ミッションを夢中で、ないしは無心で遂行しながら、頭の中のほんの少し残ったメモリでそんなふうに考えていました。

 そして、このたび日本から離れた土地に再び降り立ってみて、ありありと感じたことが、

「あ、わたし、【穴】がない」

【穴】というのは、AV監督二村ヒトシ氏がものしてじわじわとロングセラーになった『恋とセックスで幸せになるヒミツ(文庫版改題『なぜあなたは愛してくれない人を好きになるのか』)で解説されている、両親が子どもの心にあける「穴」のことです。

 二村氏は、両親に悪意があろうとなかろうと、いわゆる「虐待親」であろうとなかろうと、子どもというのはほぼ例外なく、親の心(欠損感)にそって心にそれなりの穴があく、といっています。

 そして、その穴の形のとおりに、自分の欠損を埋めてくれる(実際は与えないのだけどそういう期待を抱かせる)相手を好きになる、と言っています。

 恋愛というのが自分の意思でコントロールできずに、「なんでこんな人好きになっちゃったんだろう」と思わされる人のことをいつまでも追いかけたくなる……なんていうのは、この【穴】のせいだと言っています。

 片方が自分の【穴】を一方的に埋めてもらおうとすれば片思いになるし、(もう片方も相手の片思いによって【穴】を埋めてもらっているのですが無自覚です)、両方で【穴】に惹かれ合うと、強い緊張を伴った関係になります。

 で、仁村氏は、この【穴】に支配される恋愛からどうやって抜け出すことができるのか、について、【穴】を無理にふさごうとするのではなく、その【穴】があることも認める、相手の【穴」があることも認める、それが本当の「自己肯定」で、それができたら、相手は「運命の相手」になりえる、と言っています。

 つまり、【穴】というのは埋まらない、もしくは、出血するような傷はふさがるけど、足を引きずって歩くような機能障害は残る、という感じでしょうか。 

 私も、きっとそうなんだろうな、【穴】というのは埋まらないんだろうな、と思ってきました。

 ところが、今回、異国の地に立ってみたら、もう「穴」を感じなかったのです。 具体的にどういう感覚かというと、自分の行動を何かほかのものが決めてしまった、という、無力感がほとんどなかったのです。

 その「ほかのもの」というものは、【穴】(両親があけた)というより、「過去」すべてのような気がしたな。

 で、そのような感覚になるのに役立ったと感じているものが二つあって、一つは、ゲルソン療法、これは、食べ物が体内で引き起こす化学反応、つまり今までたまったものを追い出す反応として非常にパワフルにきいているなという感覚とともに、毎日お経のように同じ作業を繰り返すことによって、「作業療法」という側面があると思います。毎日決まった所作を繰り返すというのは、ヨガと似たものがあるのではないかとも感じます。

 その毎日毎日の繰り返しが「新しい経験」となり、「新しい竜」を作り上げて行くのです。 役立ったと感じたもう一つのものは、この間に知った「絶対矛盾」という言葉です。

 「絶対矛盾」という言葉は、精神科医の高橋和己氏の著書に出てきました。 この「絶対矛盾」、ジグゾーパズルの最後のピースのように、〜とすると文字通り最後の「穴」を埋めたものなのかもしれません〜 私が長年感じていた「もやもやした、解けない疑問」にぴたりとはまったすごい言葉でした。

 「絶対矛盾」に関しての詳しい解説は、10月末のリアル寺子屋(今年の秋冬は継続クラスだけです)でしたので、ウェブでの解説はまた別の機会にしたいと思います。ご興味のある型は「絶対矛盾 高橋和己」のキーワードで調べてみてください。

 そんな感じで「穴」がない心のすべすべした感じを抱きながら仏蘭西にやってきましたが、心のなめらかさに比べて、荷物は重かったです(笑)。

 というのも、今回は初日からやること(食べるもの)が決まっていましたから、あるかわからないものを探してうろうろするのが嫌だったので、食材だの、保存容器だの、ホテルの包丁が切れないことが多いので、マイ包丁から研ぎ器まで持って行きました^^

 さらに浣腸用のコーヒー、エネマバケツ、ペットシーツ、雑巾まで^^ 

 しかも、出発の頃は日本とほぼ同じ気温で暖かったのですが、週があけて気温が真冬に!(最高気温9度)ということで、綿のシャツからコートまで持ってきましたので、それも場所をとってました。

 初日は、旅の疲れの中で、時差ぼけよりも筋肉痛がつらかったです。

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