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「赤ちゃんになる」という試練

 ほんと、やってることが赤ちゃんだな、と思います。

 まず、いつ眠くなるかがコントロールできません。食後にだーっと解毒反応が来たり、いつだるくなるかわからないので、外で用事をしているときはなんとかマネッジしますが、家だと予定をたてておいてもあっさり崩れてしまいます。

 トイレもコントロールできません。小のほうです。これは本当に独特の感覚です。一度膀胱に溜まり始めると早いので、「あっ」と思ったら間に合わない。家に帰って「まず手を洗おう」なんて思ってキッチンで水道の栓をひねったりすると、その水が流れる音を聞いて文字通り呼び水となってアウトです。脚のあいだからさっと伝わっちゃう。水に近いものなので「汚れた」という感覚はないですが、しかし……。

 さらにまあ、コーヒー浣腸です。最初は12分間の放置がなんてことなかったものの、ここ数週間、どんどん耐えられる時間が短くなっていく。たいして汚さなかった、(浣腸をやるときに床に敷いている)ペット・シーツが、ぐっしょり重くなる。腸に本来格納されているものもごっそり出てきちゃう(前はこんなことなかったのになあ)。シーツの上にこんもりできた山を見て、呆然愕然としたことも……。ときどき、親になりたてのお母さん(お父さんもか)がおむつを替えるとき、「替えようとしておむつをひらいたらぴゅーっとやられちゃった」なんて嬉しそうに話しているのを見るけど、それを自分でやって、しかも自分で掃除している。

 食事作りに時間がかかります。昼と夜、どんなに頑張っても1回の食事に1時間かかります(加熱調理に40分かかるので。ゲルソン療法は加熱野菜は作りたてを食べるのが基本)。さらに片付けに30分かかることを考えると、食事そのものはかなりハイピッチですることになります。私は今ジュースを1日6杯飲んで(朝、昼、夜と2杯分ずつ搾っています)浣腸を2回しているので、ほんと、飲んでるか、食べてるか、排泄してるか、眠ってるかの時間が長い。(こう書くと、よくぞそれでも活動の時間をひねり出してるなあ、と思う)。

 私は、エンジェルジューサーでしぼったジュースをもう一度布で搾って飲んでいるので、ジュースを作ることが文字通り「野菜でお乳搾ってる」」みたいなものですから、その手塩にかけた野菜のおっぱいのんで、ねんねして、の世界。

 これで、この作業、誰かにやってもらう、となると、自己評価感覚との戦いだろうなあ、と思います。

 だってこれ以上にただ「食べて、飲んで、排泄して、休むだけ」の生活(なんか、自分がフォアグラになったような気持ちがしてくる)してたら、「自分は何にもできない」っていう気分になると思うんです。

 それも、他の人にお世話してもらって……本当に赤ちゃんみたい!

 私が今のところ頑張って全部の作業を一人でやれているのは、ガンの人のメニューみたいに「ジュース1日13杯」じゃないというのもあるけど(それはもう絶対にムリ。時間的に見て、浣腸しているあいだに誰かが次のジュース搾ってないといけないから)、他人にやってもらったら、自尊心木っ端微塵に砕けそうな恐怖があるからだ。

 もしかしたら、そこで自尊心も木っ端微塵に砕け散らせた後に「本当の新しい自分」が誕生するのかな……って思ったりもするのだけれど、まだそこまでいけていない。

 ガンになってからゲルソン療法に取り組む人は、「食事による細胞の修復」だけでなく、つまりこの生活感の変化を体感するのだろう。

 今までなんでもできていた人が(もしかしたら、頑張り過ぎるぐらい頑張っていた人が)、ある日突然何もできなくなる。赤ちゃんかケージの中のフォアグラみたいに「食べる、飲む、寝る、排泄する」だけを繰り返して、だるくなって、他のことは何もできない。しかも、他の人にお世話をしてもらわないといけない。こりゃーつらい。「屈辱」みたいに感じる人もいるんじゃないかという気がする。

 そしてある日、ふと気がつくかもしれない。「今まで、自分には《お世話=ケア》が足りなさすぎた」と。

 ……そして、そんなこと言ったら気持ちに行き場がなくなるような人も出て来るのかもしれない。例えば、今までご主人に一方的に支えてきたような奥さんで、それなのに旦那様がガンになってしまって、奥様の方はさらなるお世話を求められるような場合だ。

 でも、そのとき、いろいろなことを棚卸しし、気がつくことになるだろう。今までのお世話=ケアは、本当にeffective (=効率的)だったのか、ということに。

 正統派ゲルソン療法って、「万人のためのものじゃない」ってトレーナーの氏家さんが言い切ってるぐらいで(笑)たしかに社会生活の中ではこのプログラムはクレイジーだと思うし、だから、「社会生活(さらに言うなら職業生活)を送りながら続けられるように」アレンジを加えられたプログラム(たとえば星野式ゲルソンなど)が開発される理由もよくわかる(「誰のためのゲルソン療法なのか」?っていう問は、また稿を改めて書くつもりです)。それで疾患の改善に効果があるなら、それもまったく排除する必要のない選択肢の一つだと思う。

 ただ、「社会生活(=職業生活)から脱落しない療法」だと、この、「いったん手足をもがれたような生活から始まる意識改革」は起こらないのではないか。

 その「赤ちゃんになっちゃって、自分は何もできないっていう状態から始まる自己評価の再構築」という事態には。

 病気が治る、治らないという問題ではなくて、この、再構築を、1日1日、一歩一歩進めていくプロセスが面白い。ほんとうに毎日、たくさんやることがある。身体の中、心の中、のぞく場所、片付ける場所がたくさんある。

食事、睡眠、排泄が「社会人のレベル」にコントロールできない、と書いたが、もうひとつ、赤ちゃんと同じようにコントロールできないものがある。

 それは、「涙」だ。

 まあ、よく泣ける。私は今、あいた時間、「これが一番役に立つ」と思っている心理学の本を繰り返し読んでいるので、「あ、そういうことだったのか」と思う度に、また涙がぶわあっと出て来る。

 この涙は、内臓と直結している感じがする。お小水も膀胱を勢い良く通過してくるように、涙も、その涙の原因となった記憶と直結して、すごい勢いで出て来る。

 で、一通り終了すると勝手に止まる。

 赤ちゃんですねえ。

 2012年にワークショップを受けて以来、その身体の変化に驚くとともに「なんでこんなにおもしろいんだろう」と思ってきたのだけれど、これは本当に「生き直しのプログラム」かもしれない。

 そして、……そんなすごいことするわりには、料金が安い、と私は思う。

 一週間で使い切るにんじん10キロって、無農薬栽培でも2000円ちょっとですからね。

高い自己啓発セミナーと比べたら、三桁違うのだ。


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