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本を書いています。

Vol.3 「本」というメディアについて

みなさんは、一ヶ月に何冊くらい本を読んでいるでしょうか。ちょっと調べてみたところ、わかりやすくまとめてくれているブログがいくつかありました。

日本の 読書 に関する状況を調べてみました
https://nikuq299.com/miscellaneous_notes/research_on_reading/
みんなどれくらい本を読んでるの? 統計情報から読書量を調べてみた
https://todoworks.com/archives/1707/

何となく「読書離れ」が進んでいることは想像していましたが、やはり本を読まない人は増加傾向にあるようですね。…と言いながら、実は私もつい最近まで、それほど本を読む方ではありませんでした。紙の本とkindleを合わせても、月に2〜3冊程度でしょうか。むしろ漫画の方が、読んでいる量が多かったと思います。

そして、小中高で一番本を読んでいるのは小学生なんですね。たしかに、うちの子どもたちも、やたらと本を読んでいます。最近では、漫画も多くなっているようですが…。

自分のことを思い返してみると、私は子どもの頃もそれほど本を読んでおらず、漫画ばかり読んでいました。せいぜい読んでいたのは、主に小・中学生の頃に星新一、高校生でスティーブン・キングやダニエル・キイスの作品などを少し読んでいたくらいです。大学では、デザイン関係の本をちょっとと、あとはやはり漫画ばかり…。会社に入ってからは、多少本を読むようになりましたが、読む本のジャンルは、やはりデザイン関係の本か、伊坂幸太郎、奥田英朗、東野圭吾などの比較的読みやすい小説が多かったように思います。デザイン系の本を除けば、極めてフツーな読書歴なのかと個人的には思いますが、どうなのでしょう。

そんな自分が、何を思ったか突然本を書き始めてから、今さらながら本そのものについても興味が増してきました。いまは、参考文献や類書の調査として、人生でいちばん本を読み漁っている時期です。必要にかられると、人間意外と何でもできるものですね。シャワーのように文章を浴びることで、読むスピードも格段に上がってきました。この間までは2〜3行読むと眠くなっていたのが信じられないくらいです。そして、ネット・サーフィン(死語)ならぬブック・サーフィンといった感じで、芋づる式に読みたい本がどんどん繋がっていくようになりました。このご時世に、何とも皮肉な話ですが…。

そうしてやっと気づいたのですが、今までは「本」というメディアについて、ちゃんと理解できていなかったな、と少し反省しています。

「情報をインプットするためのメディア」ということでいうと、主に「本」の仮想敵は「Web」であると考えられます。この2つの大きな違いは「1つの記事の文章量」です。PCにしろスマホにしろ、Web上で何万字にも及ぶ文章を読むことは、苦痛以外の何ものでもありません。ひとつひとつの記事の情報量でいうと、Webは雑誌に近いのではないかと、個人的には考えています。Webは広く浅い知識を得るには有用ですが、ある特定の分野について、より深い知識を得たいのであれば、「本」に勝るメディアはないでしょう。

では電子書籍はどうかというと、長い文章を読むには、やっぱり紙の本の方が向いているのではないかと、個人的には思っています。もちろん読めないことはないですし、見た目のUI上は、ほとんど不満もありません。しかし、紙の本に比べると、電子書籍の方が一般的に「読破率」が低いという傾向があるそうです。理由としては、「いま本全体の何割くらい読んだのかが直感的に可視化されていない」ということだそうです。たしかに、kindleでも「あと何%です」とか「この章を読み終わるまでX時間」という表示をすることはできますが、あまり直感的ではありません。物理的な厚みを持った本の「しおりの位置」の方が、はるかに分かりやすいことは確かです。実際に紙の本を読んでいると、半分を越えたあたりから、一気に読むモチベーションが上がることが多々あります。逆にkindleの場合は、途中で挫折してもあまり罪悪感がなく、つまらないパートに差し掛かると途端に諦めてしまうことがよくあります。私はこの状態を「積ん読」ならぬ「積ンドル」状態と読んでいます(笑)

ただ、本の読み方のコツとして色んな人が言っているのですが、本は無理に隅から隅まで読む必要はないそうです。つい勿体ないからという理由で、つまらなくても頑張って読み進めようとしてしまうのが常ですが、読むのが億劫になったら、その部分は飛ばしたり、途中でやめてしまってもいいのです。

一方、「スキマ時間の奪い合い」という観点で言うと、本の仮想敵として「動画」や「ゲーム」などのエンターテイメントも含まれてきます。ここでの「動画」は「テレビ」だけではなく、「映画」や、NETFLIXなどの「動画配信メディア」、YouTubeなども含みます。これらに比べて「本」に優位性があるのは「時間を自分で調整できる」という点にあると思います。ドラマや映画を見ると、強制的に1〜2時間程度、まとまった時間を取られます。ゲームは事によると、無限に時間を取られます。それに対して「本」は、読むスピードも自分で調整できますし、自分のペースに合わせて「細切れ」にして読むこともできます。もちろん動画でも一時停止することはできますが、ストーリーの途中で中断してしまうと興ざめして没入することができません。「本」のように「細切れ」にしても楽しめるメディアは、意外と他にありません。また、いつでもどこでも一瞬でアクセスできるという特徴もあります。テレビでもスマホでも、動画を見るにはある一定の「儀式」が必要になります。細かいことですが、意外とその一瞬の「儀式」が、ユーザーにとってはストレスにもなりうるのです。

「自分のペースで調整して読める」「細切れにしても読める」「すぐにアクセスできる」という特徴から考えると、一周まわって、本は最もスキマ時間に向いているメディアなのかもしれません。考えてみれば当たり前のことなのですが、実によくできた人類の発明品だと思います。

本は、考え方によってその起源をいつと捉えるかが異なりますが、紙の本ということで言えば、活版印刷が発明されて以降のことなので、500年以上前ということになります(羊皮紙本であれば2000年ほど前、パピルスや粘土板などであれば3000年以上前)。音楽で言えばカセットテープやCD、映像であればVHSやDVD、写真であれば銀塩フィルム、といった「記録メディア」は、ここ数十年の間にほぼデジタルに取って代わられました。しかし、それらよりもはるかに歴史の古い紙の本が、なかなかデジタルに移行されないという事実を考えると、本というメディアの完成度の高さは、奇跡のようにも思えます。音楽や動画、画像といったコンテンツは、そもそもデジタル・データと相性がいいのかもしれません。一方、本(特に論述文)の持っているコンテンツは「文字」ではなく「思考」です。「文字」は「思考」を可視化するための媒体であって、本来の姿ではないのです。本一冊分という、ある一定量の「思考」をデジタル上で再現することは物理的には可能ですが、それを人間がインプットするために最適なメディアは、まだ発明されていないのかもしれません。

この「思考」は、大量の文字の羅列で表現するしか方法がないために、多くの人が読むのを億劫に感じてしまうのです。これはまだ、仕方のないことなのかもしれません。しかし、本を大量に読むようになって分かったことは、「読書に必要なのは『好奇心』ただひとつである」ということです。誰かが記した「私はこう考える」という「思考」に対して、好奇心を持って「面白がる」ということが、何よりも大切なのです。

本はいいですよ。

「面白いとは何か(仮)」
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Photo by Eugenio Mazzone on Unsplash

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