ヤバいやつに手を出してしまったかもしれない。
最初にそいつを見たときの印象は「思っていたよりもゴツいな」と感じたように記憶している。
ただそれは、今まで付き合ってきたやつが極端にスリムだったからに他ならず、二度目に会ったときには「何だ。意外とかわいいじゃないか」と自分の中で印象に変化があったのも事実だ。
ただ、それからだ。「これはもう付き合うしかないな」という思いに駆られ、自分を抑制することができなくなってしまったのは…。
そいつの名前はSIGMA fp。またカメラの話だ。
今まで付き合ってきたやつというのは、SIGMA dp2 Quattroのことだ。前回までの投稿でモノクロの写真を撮っていたのが、この一風変わったカメラだ。(写真奥)
いささかマニアックな話をしてしまうと、dp2 Quattroの特徴はその斬新な外観だけではなく、センサーの違いにあるのだが、その辺の比較は次回にでもまた。
ちなみに個人的な好みとしては、モノクロに関してはdp2 Quattroに軍配が上がると感じており、今後は新しいfpと並行して運用していくことになりそうだ。
さて、このfpというカメラ。一番の特徴は、その「小ささ」にある。世界最小を謳うコンパクトな筐体の中に、モンスターのような性能がギュッと詰まっているのだ。
カメラにとって「適度なサイズ」は重要だ。人間は自分の力だけでは写真を撮ることができない以上、できるだけカメラと一体化する必要がある。大きすぎると動きづらくなり、小さすぎても撮りづらくなってしまう。そういう意味では、このfpのサイズは絶妙だ。今までにない新しいカテゴリーと言ってもいいかもしれない。
センサーのサイズは「フルサイズ」と呼ばれるもので、ちょっと前のデジタル一眼でさえ、もう少し小さなセンサーが主流だった。私が使っているCanon EOS 7Dでさえ、「APS-Cサイズ」という少し小さなセンサーが搭載されている。それでも十分にキレイな写真が撮れるのだが、人間とは欲深い生き物で、常に上を目指さないと納得がいかないらしい。
フルサイズで何がいいかというと、その解像力もさることながら、まぁとにかくよくボケる(印象として)。最近は被写界深度が浅く、いい感じにボケている写真の方が「エモい」とされる傾向があるせいか、詳しい話はさておきよくボケるカメラのほうがもてはやされるようだ。まぁ、ボケればいいというものでもないのだが…。
SIGMA fp | 45mm F2.8 DG DN | ISO 100 | 1/4000 | f2.8
被写界深度が浅いということは、人間の見た目に近いということでもある。人間の目というのは、極端に被写界深度が浅い。視点が合った一点の周辺にしかピントが合わないようにできているのだ。
また、このfpのキットレンズとしてセットで購入できるのが「45mm F2.8 DG DN」というフルサイズミラーレス専用レンズだ。
人間の視界の画角は、レンズで言えば40〜50mm程度に近いと言われている。さすれば、この画角でボケ味のキレイな写真というのは、人間の見た目の印象に近く、誰にとっても共感性の高いものなのかもしれない。
「理想のカメラとは何か」と問われれば、「見たままに撮れるカメラ」というのが定説ではないかと思うのだが、カメラという機械を通すと、なかなかそうはいかないのが難しいところであり、面白いところでもある。将来的には、カメラはコンタクトレンズのようなものになり、瞬きをするだけで写真が撮れるようになるかもしれない。
そこにきて、このfpというカメラは「見た目以上にリアルに撮れるカメラ」という印象が強い。そのくらい、描画のレベルが高度なものになっているということが、誰にでも実感できると思う。この「リアルよりリアルっぽい感じ」を実現しているのが、写真としての「硬さと柔らかさのバランス」なのではないだろうか。
SIGMA fp | 45mm F2.8 DG DN | ISO 100 | 1/2000 | f2.8
ところが、こうして見ると「写真というのは、見たままをキレイに写すのが正しいのだろうか」という疑問が浮かぶ。この写真に写っている鳩にしたって、実際にはもっと生っぽく、言い方は悪いが薄汚い印象だったはずだ。
こうしたことについては、ホンマタカシさんがその著書の中で説いている。「写真」という言葉自体が明治以降に「Photograph」の訳語として輸入された言葉であり、この「真を写す」というニュアンスが誤解を呼んでいるのではないかというのだ。
そもそもPhotographという単語の語源に「真実」という意味は含まれていません。
photo=光 graph=描く、あるいは画
ですから、普通に訳せば「光画」ぐらいの訳語が妥当でしょう。
ー『たのしい写真 よいこのための写真教室』 ホンマタカシ/平凡社
ちなみに光合成は「Photosynthesis」。「Photo=光」と「synthesis=合成(シンセサイザーのsynthesis)」が合わさった言葉であるということからも、Photoが光を表すものであることが分かる。
少々脱線したが、つまるところ写真とは「光を描くこと」であり、「目に見えるものをそのまま写し取ること」ではないのだ。
そういう意味では、このfpというカメラは「その場の光を捉えて理想的なイメージを描画すること」に長けているように感じられる。
どんな場所でも取り回しのしやすい小さな筐体。暗い場所でも十分に撮影が可能になる高感度への対応(dpでは三脚がない限り暗い場所での撮影はどうやっても無理だった)。大きなセンサーと明るいレンズによるしっとりとした美しい描画性能。
これだけでも、世界に類を見ない超魅力的な一台なのだ。
さらには、動画もプロ仕様に耐えうるスペックとなっており、それを可能にするのが、「モジュールとしての拡張性」だ。最初から同梱されているホットシューも、別売りのオプションとなっているグリップも、自分の好みで付け外しができるようになっており、ガジェットおじさんホイホイな大人のオモチャなのである。
…とまぁ、語りだしたらキリがないのだが、とりあえず今回は、昨日プラプラと通勤途中にテスト撮影した写真を何枚か見てもらって、終わりにしたいと思う。
そりゃあ、楽しいですよ。
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