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本を書いています。

Vol.10 権利とか義務とか自由とか責任とか

最近なんだか、少年革命家なる10歳の不登校YouTuberが話題です。正直この手の話題には、敢えて言及することすら不毛だと思いつつ。こういう話題に触れることで「権利とは何か」「義務とは何か」「自由とは何か」「責任とは何か」といったことについて、考えることは大事かと思います。

まず、主張する自由を謳うこと自体は、間違ってはいません。憲法で「基本的人権」の名の下に、誰もが生まれながらにして「言論の自由」「表現の自由」が認められているからです。

ただし、主張そのものの内容と理由が肝心です。件の少年の主張を要約すると「宿題を強制されたりするのが我慢ならないから、小学校に行かない」というものです。しかし、義務教育の本当の意義は「勉強することの大切さを知る」ということにあるのではないかと、私は考えています。そういう意味では、件の少年の主張は残念ながら根本から間違っているのではないか、と言うしかありません。ごめんね。

一方で、同じように自主的に不登校になりながら、本当に革命を起こそうとしている女子高生がいます。いや、既に革命を起こしています。

ノーベル平和賞候補になった、スウェーデンの女子高生グレタ・トゥーンベリ。彼女の英国議会スピーチを全訳しました

うーん…なんだかもう凄いとしか言いようがありません。比較した所で何にもならないのですが、この2人の違いは何でしょうか。

私が思うに、最も大きな違いは「ビジョン」です。主張の仕方自体は、実はどちらも似ています。自分に「言いたいこと」があって、それを貫き通すために「行動」に出た。ここまでは大きく変わりません。しかし、その「言いたいことの内容」「目指すべきビジョン」に対して、まわりの人々が「共感」できたかどうか、という所に大きな差があります。

もし仮に、件の少年の主張が大人も唸らすような立派なものであったなら、若年であっても家族がどうであっても、もっと耳を傾ける人も多かったはずです。つまり「自由と権利の先にあるもの」を提示できていなかった、理解できていなかったということが、大きな間違いだと思うのです。そういうことを理解するためには、やはりちゃんと学校に行って勉強をした方がいいと思うのですが…。

そして「共感」の反対にあるものは「差別」です。この辺りのことについては、自著の中でも触れている所ですが、自分と同質であるものに感じるのが「共感」、自分と異質であるものに感じるのが「差別」です。このことは、件の少年に対するネット上の反応にも、色濃く表れています。

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そんな事案などを見るにつけ、「自由」って本当に難しいなと思うわけですが、「本を書く」ということもまた「基本的人権」で守られるべき「出版の自由」に基づいた行動です。この自由について、意外とみんな忘れているような気がします。私自身も、去年まで完全に忘れていました。この自由が認められているからこそ、副業が原則禁止されている弊社でも元々出版は(一定の条件のもと)認められているのでしょう。主張したいこと、言いたいことがあったら本を書く、ということは、そもそも誰にでも開かれた基本的なチャンスのはずなのです。当然「自由」には、それに伴って「責任」も必要にはなるのですが。

今回、(まだ出版されてもいないのですが)本を書いてみて分かったことがたくさんありました。はっきり言って、論述を書くのに「文才」は必要ありません。ある程度は、努力と根性で何とか乗り切れるものです。それは、私が証明です。

それよりも何よりも、まずは「言いたいこと」があるということが大前提です。そして、それについてひたすら「考えること」が大切です。この「考える」ということは、内容についてもさることながら「その主張の先にあるものを想像する」ということも必要になります。それは、先に述べた「ビジョン」と同じようなことです。

じゃあ自分にそんな立派な「ビジョン」があったのかというと甚だ疑問ではありますが、書いているうちに「ビジョン」が見えてくるということもありますし、途中で変わることもあったりします。まぁ、そんな程度でもいいとは思うんです。大人なんて、そんなものです。

ただ、書いているうちに分かった一番のことは「勉強ってやっぱり大事だな」ということでした。書くことでわかること、考えることでわかること、知ることでわかることが、たくさんあるということです。

日々是勉強なり。


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