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やばい。また写真を撮るのが楽しくなってきた。

本を書いています。(書いてないけど) Vol.33

ここのところ、何だか忙しかったのもあって、noteの方をすっかりサボってしまっていた。というか、そんな余裕がまったくなかった。物理的に時間が少し空いたとしても、心に余裕がなければ仕事以外で何かを生み出すことなんて、できない。自分の本にも書いたことだが、改めて実感してしまった。

さて、そんな忙しさにもちょっと関係しているのだが、先日、ひょんなことで我が家が自然光を活かした撮影スタジオとして活用できることが分かってしまった。というか前から分かってはいたのだが、セッティングして撮影したのは初めて。自然光でかつ小さいものであれば、十分撮れるのだ。そのことに味をしめて、速攻でAmazonでバック紙とスタンドを購入。自分でもブツ撮りをしてみたのだが、これがまた実に楽しい。

このことがキッカケで、また自分の中で何度目かの写真ブームが到来しつつあるのだ。困ったことに。

これまでも何度か自分の中で写真ブームがあった。あるときはトイカメラ(LOMOやHOLGA)、あるときはインスタントカメラ(SX-70やPolaroidのピンホール)、そしてあるときはレンジファインダー(Vessa R3a)…と、ひと通り遊んできた。

突然マンガを描いてみたり、CGやプログラミングを学び直してみたり、本を書いてみたりと、文字通り熱しやすく冷めやすいのは、もはや宿命なのかもしれない…何だか申し訳ないのだが。

そして毎回の写真ブームで最も困るのは「何を撮るか」だ。大体の場合、フワフワした気持ちでカメラを持ち歩き、そこらのものを適当にとって悦に入り、いつの間にかブームが過ぎ去っていく。しかし、そこはもう私もいい歳だ。ちょっと落ち着いて撮ることができるようになったのではないか、と自分に言い聞かせている。

とはいえ、写真なんてものは何を撮ったっていいのだ。世の中のカメラ好きの撮った写真を見ればわかるが、大体の写真は自分以外にはまったく意味のないものがほとんどだ。でも、それでいいのである。

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何かに活かせるかどうかではない。そんなことを考えるから、写真に邪な気持ちが入ってしまうのだ。撮りたいと思ったものをすかさず撮ればいい。

というわけで、とりあえずしばらくはカメラを持ち歩いてみることにした。本当はフィルムがいいなと思ってBessaを持ち歩こうと思ったのだが、フィルムはまぁとにかく金がかかる。何を撮るかも決まっていないような人間は、まずはデジカメで始めるべきだ。

そんなのスマホでいいじゃないかと思うかもしれないが、そこはやはりまだまだ歴然とした差がある。撮り比べたり見比べたりしてみれば分かるが、はっきり言って全然違う。iPhoneの写真は一見とてもキレイなので、普段の記録用なら十分だが、拡大してみると独特の画像処理を行なっているのが一目でわかる。おそらくレンズの小ささをカバーするための工夫なのだろう。

そこで、とりあえず携帯性に優れていて描写もいい感じの名機・初代GR Digitalを掘り出してみたのだが、うまく起動しないことがあったり、黒点が入ってしまっていたり、何時間経っても電池が満充電にならなかったりして何だか心もとない。

ならばということで次に掘り出してきたのが、SIGMAのdp2 Quattroだ。掘り出したと言っても、仕事でもたまに使っていたりする現役のサブ機だ(メインはEOS 7D)。

このdp2 Quattroというマニアックなカメラ、見た目も斬新でカッチョイイのだが、その筋では「解像度番長」などと呼ばれているモンスターカメラなのだ。今回のトップ画像をよく見て欲しい。中央に髪の毛が一本、ハッキリと写っているのがお分りいただけるだろうか。だから何だといった感じだが、とにかくそういうことなのだ。

とりあえずこのモンスターを携えて、移動してみる。そして、何となく気になったものを撮ってみる。このdp2の面白いところは、解像力がありすぎて処理に時間がかかる上に1枚のデータが20MBくらいになるのでむやみやたらと撮れないのと、電池の減りがバカみたいに早いのと、手ブレ補正もついてないから暗いとすぐブレるところだ。どれも不便なところじゃないかと思われるかもしれないが、そういった一見不便な儀式的なことこそが昔のフィルムカメラの感覚を彷彿とさせて面白いのだ。

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自慢の解像力も、背面の液晶では十分に分からない。PCの画面で改めて見たときの楽しみがあるのもまた、面白いところであるとも言える。

さてさて、とはいえ結局は「何を撮るか」という話になってしまうのだが、自分の中でいくつか「ルール」を決めておくといいのではないかと思っている。ちなみに私が決めているルールは「カッコいいものは撮らない」ということである。

これは大学のときに受けた写真の授業のテーマにまでさかのぼるのだが、そのテーマというのが「ものそのもの」というものだった。

当時はあまり理解できなかったのだが、とにかく最初からキレイなもの、カッコいいものは撮ってもキレイになるのは当たり前で、つまらないものでもいかに面白く見せるかということに写真の本質がある、というのが自分なりの解釈だ。

それがずっと引っかかっているのか何なのか分からないが、自分の気の赴くままに、何だか分からないけど惹かれてしまうものを魅力的に見せてあげることが大事なのではないか、と思っている次第である。

そして自分の中では「人間の痕跡を感じさせるもの」についつい何だか惹かれてしまうことが分かっている。これは言うなれば超芸術トマソンみたいなものだと思うが、人を出さずに人を感じさせる写真というのは、見る人にも考えさせる余地がある気がして、撮っていて純粋に楽しいのだ。

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まぁ実際はそんな大層なものでもなく、誰にとっても意味のない、何でもない写真でしかないのだが…。

それからこのdp2、ご覧の通りモノクロがまぁ、よく撮れる。テキトーに撮ってもそれっぽく見えてしまうのが、モノグサな自分にとっては何ともありがたい。頭の中で描いていた通りのイメージ、もしくはそれ以上のものを捉えて表現してくれるカメラこそ、名機と言えるのではないかと思っている。

これでしばらくはまた、何でもないものを撮り続けてしまいそうな気がしている。あー楽しい。

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拙著も出版から3ヶ月半ほど経ちました。いつの間にか消費税もキッチリ10%になってますね。


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