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衝撃の「かわいい」

先日19歳の今どきの女の子とファッションについて話したときの、わたしが受けたショックを記録しておきたい。

本気で言ってる?

 先日19歳のいとこと買い物に出かけた。
 14歳下の彼女は、生まれたときから可愛がっている大好きないとこだ。その子とオシャレの話になった。わたしはそこで衝撃を受けることになる。

 いとこは、顔はとびっきり美人まではいかないまでも、アイドル系の十分かわいい顔立ちだ。細すぎない細身で背は高くないが出るとこは出ていてスタイルがいい。なので男の子にモテる。(性格もかわいいしあざといので余計モテる。笑)

 なのに、選ぶ服がつまらない。パステルカラーとフワッとしたテイストが好きで、似たような服ばかり買う。
 そしてわたしが一番気に入らないのが服で選んでいることだ。似合うかどうかで選ばない。だから試着をしない。

 気に入らないと言っても、わたしだって別に、おしゃれに人一倍気を使っているわけではないから文句を言ったりはしない。センスに多少の自信はあるものの、いとこがオシャレになりたいと思ってないんだったら自由に買い物する方がいいと思うし、流行りに敏感な今どきの子にアラサーのわたしがつべこべ口を出すのは違うな、と思うから。

 しかしつい、もったいないと思ってしまう。服の色が顔色に合っていない。服の印象が優しすぎて、常にこんな印象を周りに与えていたら頼りない人に思われてしまいそうだ。本当のいとこはしっかりした子なのに。
 いとこ自身の素材の良さを引き出せてない。これはファッションのプロじゃなくても容易に感じることだろうと思う。だからわたしは、「この子は似合う服が判断できないタイプの子なんだな。似合う服がわかればもっと良くなるのに。」と感じていた。

 そんな折、わたしはいとこの価値観に衝撃を受けた。以下、その時の会話だ。

いとこ「かわいくなりたいから、これからファッションとメイクをかんばる!」
わたし「そっか。そう思うようになったんだ。なんか、似合う服を専門家に教えてもらえるサロンかあるらしいよ。一回そういう所へ行って参考にしてみてもいいかもね~。」
いとこ「え~、服は好きなものを着たいから、アドバイスはいらない。」
わたし「(あれ?かわいくなりたいんじゃなかったっけ?)着たい服だったら似合わなくても着るの?」
いとこ「うん。着る。」
わたし「...へ?まじで言ってる?!似合わないんだよ?」
いとこ「え?着たい服でしょ?着るよ。」

まじか...

 わたしはビックリしたし、意味がわからないと思った。いとこはファッションモデルを目指してるわけでも、デザイナーになりたいわけでもない。周りに似合わないと思われていても着たい服に包まれていられるという心の強さは、「わたし、誰が何と言おうと好きな服を着るの!自分の信じた道を進むの!」バリの強さだなと思った。
 でも......要る?その強い意思w もう一回言うけど、いとこはファッションで仕事がしたいわけではない普通の女の子なのだ。

主観的かわいいと客観的かわいい

わたし「わたしは着たいかどうかで服を選んだことがないからなぁ。その感覚がわからない。似合ってるかどうかを無視して着たい服を着るってどういう感覚?その服の印象に自分もなれるって思ってんの?それヤバくない?」
いとこ「違う違う!そんな複雑に考えてないよ。ただかわいー!って思って、着たい!って思って着るだけ。」
わたし「…へぇ(まだよくわかっていない)。」

 最初はいとこの感覚が理解できなかったが、よくよく聞くにつれいとこが求めているのは主観的なかわいいなんだとわかった。
 自分がかわいいと思った服ならそれを着たいし、自分が鏡を見てかわいいと思えればそれでいいのだ。いとこの「かわいくなりたい」という言葉を、わたしに通じるように翻訳すると「自分が鏡を見てかわいいと思えるようになりたい」なんだ。他人から見てかわいいかどうかはどうでもいいのだ。
 「え、それ普通でしょ。」そう思う人が果たして何割くらいいるもんなんだろう。とにかく、はじめまして!の価値観だったもので、わたしはものすっごく驚いて混乱した。感動すら覚えた。

服を使う

 いとことは対照的に、わたしは客観的なかわいいしか気にしたことがない。言い換えれば、どの服を着れば客観的な好感を最大化できるか、と考えていつも服を選ぶ。
 わたしは主観的なかわいいなんかに全然価値を感じない。だって自己満足したってその場の人に不評ならその服の価値はないじゃん。むしろ足を引っ張る存在じゃん。
 他人の目を気にするなんて恥ずかしいって?いやいや、大好きな相手や絶対に好かれたい相手でも同じ事言えます?自分の良さを服なんかに消されたらもったいない。服で主張できることはいっぱいある。「あなたの事か好きです」とか「わたし仕事できます」とか、ある程度は服で伝わるからね。
 相手の好みに合わせて好かれようとすることは、悪い言い方をすれば媚びてることにもなるけど、相手の性格を知って分析することは相手を大切にしてるとも言える。逆もある。わざと相手の好みじゃない格好をすることで「わたしに近づきすぎるなよ。」を暗にプレゼンできたり。
 相手からの印象をコントロールしたいと思ったら、絶対に客観的な視点は必要だ。コントロールしたいと思うなら、だけどね。

幸せなのは いとこ

 とはいえ、主観的なかわいいが間違っているわけではない。だって、どっちが幸せな価値観かといえば絶対に主観的な方だから。なんたって自分の中に正解があるんだもん。客観的かわいいは、正解が他人の中にあるから自分が何点なのかはわからない。満足できるようになるまでは何回も失敗するし時間がかかる。失敗した時は1日中辛い。
 「ありの~ままの~姿見せるのよ~」的なマインドはわたしだって好きだ。ただわたしはそれをファッションではやらないだけ。言動等はありのままに失礼なくせにw。
 もし、いとこが人に評価される事を気にしなくてもいい人生を選ぶんだったら、全然今のままでいてほしい。でも彼女が目指しているのはサービス業で、しかもフリーランスだ。

わたし「プライベートで着る分には今のままでいいけど、仕事とか場面によっては、着たい服より似合ってて周りから良く見られる服を選ぶのが正解だと思う。」
いとこ「言われてみればそうか。考えたことなかった。」

 服を使うためには、クローゼットの中に自分の着たい服ばかりではなく、自分に似合う服が並んでいる方がいい。色んな印象の服があった方がいい。買い物では、自分に似合うかどうかをわかって買う方がいい。試着もした方がいい。
 きっと上級者になれば、似合わない服でも似合うように着こなせるようになるんじゃないかな。そうすれば、似合わなくても着たい服だって印象良く着られる。でもそのためにはまず、何が自分に似合うのかを知ることは必須。

 さぁ、いとこはどこまでわかってくれたのか。これから似合うを意識できるのか。

「着たい服を着る方がいい」

 そういえば今まで何度か言われた言葉だな、と思った。その度にわたしは、ピンと来ずに「そうだね~」と相槌を打っていた。その「着たい服」が純粋なそのままの意味で使われてるなんて思いもしなかったから。

 しばらくいとこが異常な価値観の持ち主なのかと思っていたが、よくよく友達の服やら買い物の様子やらを思い返すと、いとこに似た価値観の女の子の方が多いような気がしてきた。裏地がかわいいという理由で服を買った友達に少し驚いたことがあったけど、今ならこう理解できる。あぁ、この子も主観的かわいい派閥に属しているのか、と。まぁ二分できるものでもないんだろうけどね。

 わたしにはどうしても着たい服なんてない。学生時代、ダサいと言われていた男友達がいて、でもスタイルが良かったものだからみんなに「オシャレすればいいのに」といじられていた。そのとき、そのダサい男の子は自分の着ている服がどんなに機能的で優れているかを力説していて、どうしてもこの服が着たいと言っていた。他の人は笑っていたけど、わたしは妙に感心して少し感動した。「この人には着たい服があるんだ。そして周りからどう思われても自分を貫くことができる。本当にファッションに熱い人のマインドに近いのは、わたしよりむしろこの人かもしれない。」と。

 わたしの価値観は、有効ではあるけど比較的不幸な価値観だ。なんでこんな価値観になったんだろうと考えたら、幼少期の結婚式のドレス事件を思い出した。その話はまた次回。(ホントに書くのか?)


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