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本当に自由であることについて

こんにちは。

石渡悠起子です。企業向け翻訳と歌や朗読をしています。
6月の一ヶ月間古巣のNYに来ています。
今日と日曜にポエトリーリーディングとシンセのライブパフォーマンスがあり、その準備で一週間ほど毎日スタジオに籠もったり、ナレーション原稿の和訳&録音という自分のためのようなニッチな仕事をいただいて、部屋でぶつぶつ録音してました。テキサスから戻ってから友達とご飯行く以外観光なんにもしてません。airbnbのホストに「こんなに家にいる人新鮮」と笑われました。ですよね。自分でもそう思います。でもいいのだ。現地暮らしごっこみたいなのをしながら、こちらでも仕事して、物を作って、自分のペースで滞在できるのか試してみたかったから。あと、観光とか人混みで力強い作品とか鑑賞を毎日すると、外食が続いて胃が疲れるみたいに脳がもたれちゃうんだ、私は。味わえる余力を残しときたいです。

ただ、そんな風にシンプルな暮らししてるから、ブログをもっと書く時間あるかと思ったらそうでもなかったです。多分ブログに使うエネルギーを全部パフォーマンスの制作にぶっ込んでるからだと思います。見えるもの感じるもの全部詩にしたい、といういまだかつて無い切実さをもって毎日小さなノートを地下鉄やスタジオで開いては殴り書きしています。

自分がどんどん自由になっていくので、ちょっとびっくりしています。

それは多分、どんな体でも着たければショートパンツやスパンデックスを自身を持って身につける人々や、性的志向関係なく愛する人と手に手をとって歩くカップルがたくさんいる街にいるから、というのも大いに影響していると思う。

でも、それと同じだけ、私の心はいつだって私だけのものなのだから、どこにいても自分が自分を自由にすれば、自由でいられるはずだ、とも思います。そして、「日本に戻ってもどうしたらこうしていつも自由で開いて作品と向き合える自分でいられるのか」と気づくと考えています。

そんな風に、いろんな人がいる街で、いろんな人や価値観に影響を受けて、それでも変わらない自分の芯がいくつかあることに気づいてきました。

一つには、自分は自分の丸い「女性らしい体」を見て、特定の女性像を投影されるのが嫌いだ、ということ。なぜなら外側は自分の内面を反映していないから。でも女性を性的に愛するわけではない、ということ。そして、自分の体が嫌いなわけではない。ただ、それを自分という人間の判断材料にされるのが本当に本当に本当に嫌いだ。ということ。

私は女でもあるけど、その前に人間だから。

自分で自分を醜いと思うから自分の体を隠す、でなくて、自分の体は自分にとってとても大切で個人的で神殿のようなものだから、それを近しくもない人にじろじろ見られてジャッジされたくないから隠す、というのもまた自分の選択だ、と思いました。

自分や自分の体を誇りに思うことの意思表明って、いろんな形があっていいね。

見せたければ見せればいいし、隠したければ隠せばいい。自分で心の底から納得して選んだことは、例えそれがどんなにいびつに他者の目にうつっても、全て美しいし、全て祝福されるべきだと私はおもう。

スカートをはくのが本当に嫌いだった子供時代から、第二次性徴で急に女性として扱われるようになって戸惑った十代から、ずっとずっとどう言葉にしていいかわからなかった自分についての謎が解けて、すごく嬉しいです。


さて。
Pride Monthである六月、そして夏至である今日、Make Music New Yorkという野外音楽イベントの一環でストーンウォールパークでライブをやらせてもらってきます。

アライとして、そして自分に与えられたジェンダーにずっと疑問を持ち続けてきた一人として、このLGBTQ+コミュニティにとって歴史ある場所で演奏できることを本当に嬉しく思います。

ではでは。滞在中に書くかもしれないし、もうこれからやはりブログは書かないで、作品に言葉を落とし込んでいくことに専念するかもしれない。いずれにせよ、自分で自分を決めないで自由でいます。

ではでは。

悠起子


おまけ

カバーの写真は、59st/Lex Ave駅のホーム。昔よく乗り換えてた駅です。大学でて死にたいくらい先が見えない時に、多分鬱になってて毎日泣いてた。朝起きると体はぼろぼろに痛くて、今日も惨めな日の始まりかと思うと、朝から泣いてた。

そんなある日、仕事の後に疲れ果ててこのホームのベンチでぼーっとしてたら、化粧もぐちゃぐちゃで真っ赤な口紅がはみ出たホームレスっぽい雰囲気のおばさんが隣に座ってきて、私の目を見てにっこり笑ってくれたのです。

あんまり良い笑顔だったので、なんか急に元気が出て、その後初めて曲を書きました。そっから先は、仕事も変わって音楽もたくさん演奏する機会に恵まれて人生好転した感じだったな。

あのおばさんはきっと魔女だったんじゃないか、と割と本気で今では思っている。10年ぶりくらいにこのホームを通って、くそまじめに「あのときの自分よ。割とびっくりする未来が待ってるから、とりあえず死なないで、もうちょっと頑張って。」とお祈りしときました。そしてあの魔女のおばさんありがとう、私は元気です!









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