レーピンの絵は「怖い絵」だけなのか

最も力強く、最も偉大な画家イリヤ・レーピン

イリヤ・レーピンは19世紀後半より20世紀初頭のロシアにおいて活躍した画家であり、ロシア芸術「金の時代」を支えた巨星である。

1844年ハリコフ(ウクライナ語ではハルキウ)の小さな村で生まれ、13歳の頃より絵画の技法を学び始める。ペテルブルク芸術アカデミー入学後、若くして頭角を現し、アカデミーの卒業コンクールにおいては最高の褒賞である大金メダルを獲得した。

1870年には大作《ヴォルガの舟曳き》を完成させる。ヴォルガ河畔にて重い船を集団で曳く人々を描いたこの作品はアカデミーより強い批難を集めたが、同時に当時のロシアをリードする新進気鋭の画家として認められるようになった。

新しい芸術を求めて、レーピンは1873年にパリへと発つ。そこでマネや当時フランスで異彩を放っていた印象派の絵画と出会い、大きな関心を寄せるようになる。陽光や空気をキャンバス上で表現する印象派の技法に影響され、レーピンの絵のスタイルは変化する。

その後は「移動派」に参加し、ペテルブルクに戻ったレーピンは《クールクス県の復活大祭の十字行》、《1581年11月16日のイヴァン雷帝とその息子イヴァン》や《トルコのスルタンに手紙を書くザポロージャのコサック》といった数々の名画をこの世に送り出した。

晩年は美術アカデミーで教鞭を執り、彼の教えを受けて羽ばたいた偉大な芸術家はヴァレンチン・セローフ、フィリップ・マリャービン、ボリス・クストーディエフ、ニコライ・フェーシンなど枚挙に暇がない。巨匠と呼ばれるようになってもレーピンは権威を振りかざすことなく、新しい芸術の発展に努めた。

この記事ではレーピンの代表的な作品をいくつかご紹介したい。

1. ヴォルガの舟曳き

«Бурлаки на Волге» (1872-1873)《ヴォルガの舟曳き》ロシア美術館

縦131センチ、横281センチはある大きな作品。晴空の元で黒ずんだ革帯に繋がれた11人の男たちが広大なヴォルガ川に浮かぶ帆船を陸に引き揚げる様を描いたこの大作はレーピン初期の傑作と謳われている。

実はこの作品の着想を得た場所はヴォルガ川ではない。舟曳きたちとの最初の出会いは、当時アカデミーの聴講生であった画家コンスタンチン・サヴィツキーと共にネヴァ川へスケッチに出かけた時のことである。

川のほとりで余暇を過ごす洒落た人々のすぐそばでボロを纏い引綱で帆船を引っ張る舟曳きたちはレーピンの目には怪物のように見え、強い印象を与えた。

彼らを描いてみようと思い立ったレーピンは水彩でひとつの下絵を描く。

着飾った令嬢たちと彼女らをエスコートする紳士や別荘の様子が描かれ、同じ空間に舟曳きたちは「添えられて」いた。この下絵を見た画家フョードル・ヴァシーリエフは「説教くさい絵」と一蹴し、ヴォルガに向かい「本物の昔ながらの舟曳き」に会ってくるべきだと諭した。

実際にヴォルガを訪れたレーピンは舟曳きたちと交流しながら彼らの様子をスケッチした。レーピンのスケッチ画は舟曳きたちの目にはまるで生きているかのように見え、その見事な画力に舌を巻いたとか。

《ヴォルガの舟曳き》をアレクサンドル二世による農奴解放令の発布後も変わらず厳しい運命に立たされる農民の悲劇と見るのは簡単だろう。しかしこの作品に描かれているのは、苛烈極まる労働にもめげず、重い船を引きずりながらも一歩一歩を確かに踏みしめる男たちの力強さである。その姿はみすぼらしく、決して猛々しい勇士などではないが、彼らの中には強い精神が潜んでいる。

もしレーピンが彼らを単に哀れなどん底の人々として描いていれば、《ヴォルガの舟曳き》は名画として現代までここまで評価され続けることはなかっただろう。レーピンは29歳にしてこの傑作を生み出し、それまでの批判的リアリズムから一歩先を踏み出したのである。

2. イヴァン雷帝とその息子イヴァン

«Иван Грозный и сын его Иван 16 ноября 1581 года » (1885)《1581年11月16日のイヴァン雷帝とその息子イヴァン》トレチャコフ美術館

中野京子さんの「怖い絵」で《皇女ソフィヤ》と共に紹介されたことで日本でも知る人の多い作品。ちなみに筆者が高校時代に使っていた世界史の資料集にもこの作品が載っていた。

「雷帝」の異名を持つリューリク朝の皇帝(ツァーリ)イヴァン4世が激情に駆られて息子であるイヴァンを杖で打ち殺してしまった事件を描いた作品。(余談ではあるが、この時に撲殺されたというのは作り話である。皇太子イヴァンの死因については諸説あるが、病死が有力)

そのショッキングなテーマ故この作品が公開されるや否や大きな反響を呼び、しばらくの間公開禁止の処分を受けることとなった。

この作品の習作における雷帝のモデルとなったのは画家のグリゴーリ・ミヤソエードフ。完成作と習作では、雷帝の顔付きがだいぶ変化している。

《1581年11月16日のイヴァン雷帝とその息子イヴァン》習作 (1883)トレチャコフ美術館

Григорий Мясоедов «Страдная пора (Косцы)» (1887)グリゴーリー・ミヤソエードフ《刈り手たち》ロシア美術館

皇太子イヴァンのモデルはレーピンの盟友である作家のフセヴォロド・ガルシン。なお、ガルシンは精神病を患っており、この絵が完成した3年後にその身を投げ、33歳の若さでこの世を去った。

《イヴァン雷帝》に描かれた皇太子イヴァンが亡くなったのは27歳。若年で死したこの2人をどこか重ね合わせてしまうのは筆者だけだろうか。

«Портрет Всеволод Михайлович Гаршин» (1884) イリヤ・レーピン《フセヴォロド・ガルシンの肖像画》メトロポリタン美術館

3. あぜ道にて

«На Меже. В.А.Репина С Детьми Идет По Меже» (1879)《あぜ道にて—畝を歩くヴェーラ・レーピナと子どもたち》トレチャコフ美術館

暖かな陽光に包まれ、畝(うね)を散策する画家の家族を描いた作品。日傘を差している女性は画家の妻ヴェーラ。画面手前で草花と戯れるのは長女ヴェーラ、次女のナジェージダで、奥の方で抱えられているのは長男のユーリーだろう。

パリより戻ったレーピンは故郷のチュグーエフ、そしてモスクワで家族とともに過ごした。ささやかな日常の一場面を写実性よりも光景のイメージを重視して奔放なタッチで表現している。

この時期のレーピンは印象主義からの影響と見てとれる外光派の絵画作品をいくつか残している。

«На дерновой скамье»《芝生のベンチで》(1876年)

こちらはクラースノエ・セローで夏を過ごす家族の姿を捉えた作品。

涼やかなベンチで皆が思い思いに時を過ごす、ゆったりとして微笑ましい光景。

木漏れ日の光と陰のコントラストが見事に表現されており、優れた人物描写の手腕がこの作品でもしっかりと発揮されている。

4. 休息

«Отдых» (1882)《休息》トレチャコフ美術館

2012年に渋谷と葉山で開催されたレーピン展ではポスターを飾った作品。一度は目にしたことのある人も多いはず。

この鮮やかな真紅のドレスを見に纏い、肘掛椅子でうたた寝をする婦人も画家の妻ヴェーラ・レーピナである。プライベートな作品であるはずの本作は展覧会にも出品され、それに合わせてか首元のレースはいささか派手で装飾性を強めている。

ヴェーラはレーピンが美術アカデミーの学生だった頃の下宿先の主人の娘だった。

2人は1872年に結婚し、一男三女の子宝に恵まれた。しかし結婚生活はそれほど長くは続かず、15年後の1887年に離婚を決意する。

レーピンは自宅に多くの人々を呼び、客に来た婦人たちは自身を新しい絵のモデルにと懇願した。

家庭でありながらサロンのような雰囲気だったレーピン家はヴェーラにとって重荷だったに違いない。

仕事人のレーピンに代わって子どもの世話はほとんどヴェーラが担っていた。現代にもよくあるような家庭の悩みをレーピンとその妻ヴェーラは抱えていたのであった。


5. クールスク県の復活大祭の十字行

«Крестный ход в Курской губернии» (1880-1883)《クールクス県の復活大祭の十字行》トレチャコフ美術館

クールスク県にて毎年行われていた十字架行進を描いた作品。聖母マリアの肖像画をかかげ、多くの群衆が行進を行なっている。

画面の左右にそれぞれ注目してもらいたい。右側の灯篭を担いだ男たちは恰幅の良い格好をしておりおそらくは富裕層の者たちであろう。一方で左側には杖をついた身体の不自由な男やみすぼらしくうつむき気味に歩く女たちといった貧しき人々が目立つ。馬に跨った巡査は革鞭を片手に群衆を厳しく監視している。右手には今にも鞭をふるわんとしている警備の男の姿が見える。

レーピンはこの作品を描くために、膨大な人物のスケッチを描いた。この作品に描かれた人々は皆レーピンがじっくりと観察し、活き活きと描かれている。その中でも松葉杖をつく男はとりわけレーピンの関心を惹いたモデルだった。身体的なハンデを負い、体力的にも劣るはずだが、男は十字架行進の進む先へまっすぐと顔を向け力強く歩みを進めている。レーピンはこの青年のスケッチをいくつも描いた。信仰心に篤い彼の姿はレーピンが描いた優れた農民像のひとつだった。

イリヤ・レーピン《背の曲がった男》1881年 トレチャコフ美術館

レーピンはロシアの貧しき人々を臆することなく如実に描ききったが、決して彼らをただ惨めで救いのない存在にすることはなかった。彼らの中に宿る大いなる力はロシアの民衆の力強い精神を象徴している。


《ピアニスト、ゾフィー・メンターの肖像》(1887年)

《伯爵夫人、ナターリヤ・ゴロヴィナの肖像》(1896年)

レーピンの作品は「怖い絵」ばかりではない。というかむしろ少数である。

芸術家は一様ではない面をいくつも持っているもので、たった一つの作品で画家の全てを知ることは不可能なはず。レーピンはその典型的な芸術家だ。

もしトレチャコフ美術館やロシア美術館に足を運んだ際は是非とも巨匠の作品を生で観て欲しい。きっとあなたはその大きな力に圧倒されることだろう。


読書案内

レーピンとロシア近代絵画の煌めき (ToBi selection) 著:籾山 昌夫

去年ようやく刊行された日本語で読めるロシア近代絵画の画集。レーピンだけでなく、クラムスコイやシーシキン、スーリコフなど移動派の画家の名画も知ることができる。ロシア絵画入門必携の書。

ヴォルガの舟ひき (中公文庫) 著:イリヤー・レーピン 、訳:松下 裕 

少年時代からの自伝、ヴォルガの舟曳きを描いた背景や師クラムスコイについての回顧録など、レーピンの人となりを知れる一冊。文庫本としては分厚いが、松下先生の翻訳が素晴らしく、すんなりと読める。






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イスクーストバ

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